第3話 記憶(2)
《あ、でもそういうディア姉さんも、どうせ何か書いたんでしょう》
《えっ》
ネリの言葉にディアが飛び上がる。アンが静かに呟く。
《左のポケットと見た》
《はいゲット》と素早くネリが紙束を抜き取る。
《ちょっと馬鹿アン、ああ、ちょっと馬鹿ネリ――!》
ディアは文を書くタイプの馬鹿であった。
アンとネリはしげしげと紙束を読む。
ディアは両手で顔を覆うものの、指の間から二人の様子をじっと見ている。やはりなんだかんだこいつも読んでほしかったのだ。
結構な文量がある。部屋は静寂に包まれる。
耐え切れなくなったディアが壁を殴りながら呻く。
《……なんか言いなさいよ。どうせ、あなた達の好みじゃないでしょ。分かってるわよ》
それで、ようやくアンが口を開いた。
《勉強嫌い、読書嫌い。殿方同士の恋愛要素がなければ、文字を見ることすら苦痛の私から言いますね。文学からっきしの私ですら、分かることがあります》
アンが目頭を押さえながら言った。
《最高》
《ふぐぅ》
《全国民の教科書として広めたい……》
ネリも鼻血を止めながら言う。
《いやあ、セクシーだわ……》
《ネリ……》
《いや、本当に語彙力がない、私。でもこれだけは言える……セクシー》
《ええ……えへへ……うふ、えへへ……》
ディアが真っ赤になって崩れ落ちると、気持ち悪い笑い声を漏らす。
《あ、でもネリお姉さまも何か……何か作ったんでしょ》
《あ、はいこれ》
ネリは至極あっさりとカーテンの向こうから模型のようなものを取り出した
《……本当にあなた、羞恥心らしいものがないわね……》
アンとディアは「それ」を見ながら、うなる。
《これは、絵……?》
《文字も、あるわね……》
文字や複雑な記号が書かれた厚紙が、謎の形状に折りたたまれて、謎の形状に組み立てられている。
ネリは、なんだかよくわからないタイプの馬鹿であった。
《私にはアンのように絵が描けない。ディア姉さんのように小説が書けない。頑張って私の中の世界を表現しようとしたんだけど……》
ネリが小さな声で言う。
言葉の通り、ネリは自らの表現媒体を模索し、迷走していた。
料理、刺繍、彫刻にドレス制作まで。
彼女が手を出した分野は多岐にわたる。
アンとディアはやはり、うなる。
《あえて名前を付けるなら、モニュメント……?》
《わからないけど……》
言い淀みながら、二人は頬を紅潮させながらぐんぐん興奮していく。
《わからないけれど、すごいわ、これ!》
《お姉さまが馬を選んだ理由、分かる気がした……!》
《なんだか昂る感情がある……これは何?》
《萌えですよ、お姉さま!》
口々に叫ぶ二人を見て、ネリの口元が緩んでいく。
《……二人とも、ド変態》
《お前にだけは言われたくないわこの野郎》
《もはや私たち姉妹において、変態性など今更です》
そして全員、満面の笑みで勢いよくハイタッチする。
《お前らさいこーう!》
そう叫んで、三人はきゃらきゃら笑いながら床の上に倒れ込んだ。
《……人生最後の日、楽しかったわ》
ディアが呟く。
《ちょっと悔しいけどね。あと少しで、この萌えをどう表現すべきかわかる気がしたのに》
ネリも呟く。
《……じゃあ、始めましょうか》
アンは立ち上がると、燭台や椅子をよけて部屋の床をあらわにした。
巨大な魔法陣。ところどころ血文字。
《こんなに時間がかかるとは、ちょっと思わなかったわ》
ディアが呟く。
三人で宮廷図書館を何か月も探索し、禁書が収蔵されている秘密の小部屋を発見。
博識なディアが黒魔術の棚から必要な本を選び出した。
絵画にたけたアンが複雑な図案を解読した。
発想力が豊かなネリが、思わぬ案を出して研究を飛躍的に動かした。
それでも、普段から暗号化された古代魔術語を話すこの三人をもってしても、黒魔術の使い方を解読するのに一年以上かかった。
――使う魔法は、時間の巻き戻し。
《お母様、今度こそ幸せになるといいわね》
ネリが呟いた。
母親は――アポロニア・アメルン侯爵夫人は不幸の人だった。
……いや、この三姉妹が娘だからという理由だけではなく。
父親、アメルン侯爵はなかなかひどい男だった。
母親からは持参金も持ち物も、すべてを奪って古い離れに押し込めると、本邸には愛人を入れて幸せに暮らしていた。
母親は、父親の不満のはけ口でもあった。
暴言を吐かれた。
暴力を振るわれた。
離婚をしようにも、その書類すら提出させてもらえなかった。
《……あの状況で、よく私たちを育てたよね……》
《本当に、絶対にへこたれない人だったから……》
愛人に子供が生まれた。母親は、三姉妹の権利を守ろうとした。
そうしたら殺された。
三人の娘を人質に取られて、毒を飲まされて死んだ。
母親は、最後まで何も言わなかった。
自分が受けている仕打ちも、嘆きも。
お荷物の三姉妹の趣味にすら、何も言わなかった。
母は言った。
――あなた達の趣味は、ぶちまけるべきでないところで、ぶちまけてはいけませんわ。でも、そうでない範囲なら、好きなだけ胸を張っていなさい――
合掌。
《では、お姉さま方。これにてさらばです》
アンは笑いながら手首の皮膚を切り、陣に血を落とした。これが儀式の最後の手順となるのだ。
ネリも無言で続く。
ディアだけが、黙って見ている。
《……姉さん?》
ネリが訪ねると、ディアが呻くように言葉を漏らした。
《……姉なのに、あなた達も、お母様も守れなくて、ごめんなさい》
アンとネリは、青ざめて叫んだ。
《今それ言う――!?》
《それ言ったら負けみたいな空気、出てたじゃないですか》
《いや、無理よ。こんなことして、謝らずにいられる度胸がない》
この黒魔術の代償は、三人のこの世における存在そのものである。
願いかなわず、母親が――アポロニアがまたアメルン侯爵と結婚したとしても、もう三人は生まれてくることは出来ない。
……それでも、どっちにしろお荷物の三人組が居なければ、母は多分、逃げられたので。
《お母様ならね、きっと大丈夫よ。死んでも死なないお人だから。やりなおせば、多分……》
《というか、私やネリ姉さまだってお母様を守れなかったのは同じなのに。ディア姉さまばっかり、自分責めてつらいみたいな空気、出さないでくださいよ》
《だって、私が一番上のお姉さまだもの》
《こんな時になって姉面しないでくださいよ。今まで一ミクロンの頼りがいもなかったくせに》
三人は、どうせ巻き戻すなら最大限の魔力を使って、出来る限りの過去にさかのぼることにした。
戻るのは、父親と母親が結婚する時点すらも遡り、母親がこの世に生まれ出でる瞬間。
別に過去に巻き戻したところで、存在しなくなった自分たちが何かできるわけでもないが。
何かの誤差が起こって、母が幸せになる未来があるかもしれない。
――神様、神様、神様。もう一度だけチャンスを。
《はい、終わり良ければすべて良し。最後の最後は未練など残さず、すっきりさわやかに。粘着性などどぶに捨てなさい》
アンとネリがディアの頭をわしゃわしゃとなでる。
ディアは今にも泣きそうな顔をしていたが、無理やり笑顔をつくった。
「……あなた達の人生に、敬意を」
ディアが最後に手首に傷をつけて、血を陣に落とした。
陣が輝きだす。世界が書き換わる。
アンは、ネリは、ディアはこぶしを引き結んで、陣の上でぶつけ合った。
「残念無念、また来世!」
弱くて頼りない小娘が三人、心の中は王様だった。
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