もしかして、師走ですか?私です。初めまして、あなたは。

増田朋美

もしかして、師走ですか?私です。初めまして、あなたは。

12月になった。もう寒くなって当たり前なのだが、今年はやっと寒くなったという気がするのだった。それでは

どこかおかしいと思う人もいるかもしれないが、いずれにしても、今年も後数日で、あっという間に、終わってしまうなあという印象である。

その日、御殿場は、雪が降りそうなくらい寒くて、誰もがコートなどを着用したいなあと思われるくらい寒かったが、小久保法律事務所では、一人の男性と一人の女性が来訪していた。名前は、平岡新五郎、女性は、平岡春代といった。なんでも、二人は、杉ちゃんに弁護士をさがしているのなら、小久保さんにやってもらえ、といわれて来たそうである。

「それで、相談とは一体何ですか?」

小久保さんに言われて、男性のほうがこう切り出した。

「はい、妻の弁護をしていただきたいんです。もう報道で流れているから、ご存知だと思いますが、生まれたばかりの子を橋から落として殺害したという事件がありましたよね?」

「ああ、あの事件ですか。」

と、小久保さんは言った。

「事件のことは報道で知っています。でも、それならもっと優秀な弁護士にお願いした方が、良いのではありませんか?」

「はい。何人か弁護士を用意しましたが、家内は一言も事件のことは話そうとしないのです。大事なことだから、しっかり話せといくらせかしてもだめです。」

男性は、申し訳なさそうに言った。

「こんな事件ですから、若い弁護士よりも、年配の人のほうがやってくれるんじゃないかと思って、それで連れてきたんだよ。小久保さんよろしく頼む!」

杉ちゃんに言われて、小久保さんは、事件の概要をもう一度話してくれといった。

「はい、まだ生まれて半年も経っていませんが、息子の正雄を潤井川に橋から落として放置したというものです。妻の、朝子が、本当に殺害しようと思ったのかは、本人が全く話さないので、わかりません。」

新五郎さんは、申し訳なさそうに言った。

「私の力が足りなかったんです。一生懸命、朝子さんに、正雄くんを抱いてあげてと言いましたけど、朝子には、何も届いていなかった。本当に無念でなりません。」

春代さんは、残念そうに言った。

「まあ、それは置いといて、朝子さんというひとは、耳が遠かったわけでなし、なんで話が通じなかったんだろうねえ?」

と、杉ちゃんが言った。

「ええ、出産したあとも、おかしなことをくちばしるようなことが何度かありまして。病院で見てもらったこともありましたが、本人が薬でなんとかしようとしませんでしたので。」

「つまり、精神疾患とか、そう言う感じだったわけですね。それなら精神鑑定とかも必要になるかな?」

春代さんがいうと、小久保さんが付け加えた。

「そうなると、争点は、朝子さんに殺意があったか、あと朝子さんが、正常に判断ができない状態だったか、になりますね。わかりました。それでは、朝子さんにあってみます。」

小久保さんがそういうと、新五郎さんも、春代さんも、頭を下げた。 

「それなら、まずはじめに、朝子さんとお会いしてみるところから、始めてみようかな。それでは、まずはじめに、拘置所に言ってみましょうかね。」

小久保さんは、カバンをとって、急いで出かける支度を始めた。

「僕も行く!」

杉ちゃんもでかい声で言った。杉ちゃんという人は、いろんなところについていってしまうくせがあった。小久保さんはその事をよく知っているので、止めようとはしなかった。無理に杉ちゃんを止めてしまうと、また何か言われてしまうこともあるからだ。そういうわけで、杉ちゃんと、小久保さんは、本数の少ない御殿場線に乗って沼津駅へ行き、そこからは本数が多くなる東海道線で富士の拘置所に向かった。駅から離れているので二人はタクシーで拘置所まで乗せていってもらった。

「はあ、弁護士の先生ですか。どうせ、平岡朝子は誰でも何も言わないでおわってしまうんじゃないかな。だってこれまでに、ご主人の平岡新五郎さんが用意したという弁護士は、12人いたんですよ。それなのに、12人の弁護士誰一人にも話をしなかったんですから。」

と、老刑事は、小久保さんと杉ちゃんを見て言った。

「12人!それは大量ですなあ。」

小久保さんも驚いてしまった。

「それで僕達は、13人めというわけか。なんか、13って縁起の悪い数だな。」

杉ちゃんがそう言うと、老刑事が、そういうことになりますねといった。

「まあ、13人めであろうとなんであろうと、とにかく彼女と話をしてみましょう。口を噤んだままでは、いつまでたっても、事件が解決しないでしょう。」

小久保さんは、そう言いながら、接見室に入らせてもらった。杉ちゃんも小久保さんの手伝いにんだと言って、入らせてもらった。一枚のアクリル板を隔てて、一人の女性が看守に連れられてやってくる。

「初めまして、弁護士の小久保と申します。あなたの刑が少しでも軽くなりますように、努力して参ります。よろしくどうぞ。」

小久保さんは、そう自己紹介すると、杉ちゃんが、

「僕は影山杉三ね。杉ちゃんって呼んでね。小久保さんとは、大親友の、和裁屋だよ。」

と、にこやかに笑って言った。でも、彼女は、何も反応しないで黙って居る。とても美しい女性であるが、でも、育児というものができるのか、という点では劣るような気がする。

「今日は寒いなあ。やっと師走らしくなったな。やっと暑いのから開放されて、楽になったか。まあ、着物着ていると、洋服よりも寒く感じるけどな。」

杉ちゃんがそう言っても、彼女は黙っていた。

「こういうときはさあ、着物を縫って、しくもくと、過ごしているのが良いよな。和裁ってさ、ミシンも使わないで、何でも縫うから、もうね、手が痛くてしょうがないときもあるけどさ。でも、その作業は本当に楽しいもんだぜ。」

と、杉ちゃんが言った。それでも、彼女は黙っていた。

「お前さんは、赤ちゃんが生まれて、赤ちゃんに着物を縫って上げることはなかったの?そうやって、赤ちゃんに、なにかしてあげるってことも、楽しいことじゃないか。そうやって着るものを作ってやるのも楽しいことじゃないか?」

彼女、つまり平岡朝子さんは涙をこぼして泣き始めた。

「あれえ、僕はなにか言ったかな?」

杉ちゃんが小久保さんの方を見ると、

「なにか、気になる事があったんですか?今、杉三さんは、着物を縫うことを話してくれたのですが?」

と、小久保さんが言うと、彼女は、更になきはじめた。そのうち、声をあげて、もうほかの人が、声をかけても無理なんじゃないかと思われるほどの声で泣き始めた。

「これでは、話が通じ無いね。」

「ええ、近いうちに、影浦先生に一緒に来てもらいましょう。」

杉ちゃんと小久保さんはそう言い合った。とりあえず、接見は今回は中止し、杉ちゃんと小久保さんは、拘置所を出ていった。老刑事が、13人めもだめか、という顔をして、二人を見ていた。

「そうですか。全く話さない被疑者も困りますね。」

製鉄所の食堂で、杉ちゃんたちから話を聞いた水穂さんは、細い声で言った。水穂さんの隣には、由紀子がついていた。もしここで倒れられたら困るということで、誰か人がついているようにと医者からいわれていたのである。

「ええ、困りますというか、今回は難易度の高い弁護になりそうです。あの女性は、弁護士の僕にも口を聞いてくれませんでしたし、杉ちゃんが和裁の話を始めたら、急に泣き出す始末です。」

小久保さんは、申し訳無さそうに言った。

「そうなんだよ。僕はただの世間話のつもりで、話をしただけなのにな。全くああして泣かれるんじゃ、僕も困ってしまった。」

杉ちゃんは苦笑いした。

「まあ、はじめに、平岡朝子さんという女性について、もう少し詳しく知らなければならんな。えーと、彼女の出身は、確か、江尾だったよな?」

「ええ。そうです。江尾の、缶詰を作る食品メーカーを経営している家庭の一人娘です。」

小久保さんは、そう言いながら被告人の経歴書を取り出した。

「じゃあ、何?日常的な事は人任せだったのか?」

杉ちゃんがそうきくと、

「その当たりは聞いてみないとわかりませんが、そうなっているかもしれませんね。」

小久保さんはそう答えた。

「なーるほどね。それなら、一人娘ということもあり、親戚で赤ちゃんと触れ合うこともなかったのかもしれないね。そしてまるでなんでも人任せでは、彼女自身が子供を生むまで、赤ちゃんと接することがなかったというか、経験不足だった事は疑いない。それに対して誰か相談に乗ってくれる人や、助けてくれる人はいなかったんかな?」

杉ちゃんがそう言うと水穂さんも、

「そうですねえ。現実に子供さんを育てるに当たって、悩みは発生するでしょうからね。大体の人は、実の母親や、お姑さんや、あるいは近所の先輩ママとか、そういう人に育児の悩みを相談して解決するはずですが、それはなかったということでしょうか?」

と、小久保さんに聞いた。

「ええ。そうですね。まずはじめに彼女の家族ですが、彼女が、結婚する数年前に、父親が事故死し、母親も亡くなっています。それで結婚したとき、彼女が寂しい思いをしないようにという意味で、平岡新五郎さんのはからいで、新五郎さんのお姉さんの、平岡春代さんが同居するようになったとか。だから、朝子さんにとっては、平岡家の人たちが、頼みの綱だったんだと思います。」

小久保さんがそう答えた。

「そうかあ。親はすでになく、お姉さんと夫だけが頼りになる存在か。それで、お姉さんと、彼女は仲が悪かったんか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「はい、この調書によると、お姉さんとは仲が悪いわけではなかったようで、お姉さんの平岡春代さんと、一緒にカフェに行ったり、百貨店で買い物をしたりしている様子が、近所の人に多数目撃されています。」

小久保さんは答えた。

「じゃあ、家族はいなかったかもしれないけど、朝子さんは、新五郎さんや、春代さんと、一緒に仲良く暮らしていたんだね。それなら、悩んでいることを話しても良かったのではないか?そういう事してくれる援助者がいたなら、利用しない手はないよな。そうだろう?」

と、杉ちゃんがでかい声で言うと、

「そうですね。でも、僕はなんとなく感じたことがあるんですけど、誰か他人になにかしてもらうとなると、なにか悪いなという気持ちが働いてしまって、本当の事は言えないんですよね。特に、何でもそうして手を出してくれる人がいるとなると。それは、人間の欠点というか、機械とは違うところですよ。ガソリンあげれば、なんでも言うとおりにしてくれるという事は、まず無いです。」

と、水穂さんが言った。

「そうだねえ。」

杉ちゃんがでかい声で言う。

「まあ、僕みたいな障害者であれば、逆立ちしたって、歩けないから、どうしてもエレベーターとか階段で、手伝い人を使わなければ行けないから、別に感情は発生しないけどさ、でも、彼女は、そういうわけでは無いんだと思うから、水穂さんが言うような気持ちになっちまっても、おかしくないよな。そういうことで、我慢できないやつも、居るんだよな。だから、人間には、小説とか、詩とかそういう媒体が無いと生きて行けないわけで。そういうふうに書かなきゃ、申し訳ない気持ちを昇華できないっていうやつは、結構多いんじゃないの?」

「そうですね。彼女は、人には恵まれていたようですが、自分の居場所の様なところはなかったようですね。まずはじめに、彼女は結婚後に就職したことは一度もないし、子供が生まれても、平岡春代さんが手伝ってくれて、いつも誰かがそばに居る環境だったことになります。それは確かに周りの人から見たら、理想的な家庭なのかもしれませんが、援助されている本人は、決して、嬉しいと感じないんですよね。」

小久保さんは、杉ちゃんの話に付け加えた。それを聞いて、

「私は、水穂さんのことを一生懸命世話して上げることが、一番の生きがいなのに。」

と、思わず呟いた。

「水穂さんが、嬉しいと感じないのは寂しいわ。」

「そうだよな。由紀子さんがそうやって持っている感情もまた人間なんだ。複雑だねえ。人間は。ただ、与えてもらうだけの関係ってのは、どうしても成り立たないよ。その間に、喜びとか悲しみとか辛さとか、そういうものが発生してしまう。それが、人間だ。人間は機械ではないってことだぜ。」

杉ちゃんは、由紀子に言った。

「そういうわけですから、彼女は、周りの人からは恵まれすぎていた環境であると、さんざんに指摘されていたのだと思います。それで、恵まれすぎているゆえに病んでしまって、それでその元凶になった赤ちゃんを殺害した。これが、真相なのでは無いのかな。それが、この事件なんだと思います。」

水穂さんが心配そうに言った。

「しかし、その事を、僕達がここでああだこうだといっても始まりません。それより、彼女から、その事を口に出して言ってもらわないと。それがないと、こちらも弁護の仕様がありませんよ。」

小久保さんは、腕組みをした。

「まあ、そうかも知れないけどさ。根気よくやるんだな。まずはじめに、彼女が、僕達を信用してくれるか。これから始めよう。」

杉ちゃんに言われて、小久保さんはそうですねといった。

「ありがとうございます。長年弁護士をしてきましたが、彼女の様な女性を相手にすることはなかなか例がなく、正直困っておりましたが、杉ちゃんや水穂さんがそういう事を言ってくれたので、ちょっと勇気が出ました。これからも、彼女を相手に話をしなければなりませんが、僕は、彼女が話をしてくれるのを、根気よく待つことにします。」

「何?小久保さんも悩んでいたの?」

杉ちゃんが面白がってそう言うと、

「ええ。悩みますよ。誰だって。弁護士は悩まないものだと思っていたんですか?そんな事絶対ありません。どんなに経験を積んだ人であっても、悩むことはあります。」

と、小久保さんは言った。

「はあなるほどねえ。小久保さんのような偉い人でも悩むのか。そうなると、人間みんな同じだな。人間は平等じゃないということを言うやつも居るが、でも、多分人間はみんなおんなじだ僕は思うよ。そうやって、悩んだり、考えたりすることは、どんな職業でも、そうなるじゃないか。」

杉ちゃんがカラカラと笑った。

「ええ、そうですね、杉ちゃん。全くね、こういう立場になると、悩んでいる事をなかなか理解されなくて困るんですよ。どんな偉い人だって、悩んでいることや、辛いことはありますよね。人間ですから、何でも悩むことはありますよね。」

「そうそう。それを癒やしてくれるのも人間なんだよな。ほんと、人間って単純じゃないよ。笑ったり、怒ったり、泣いたり驚いたり。いろんなことがあって、生きているんだよな。それは、不思議なもんだというより、人間で居るようにっていう合図なんじゃないのかな。なんか、完璧になりすぎてたら、人間、地球破壊爆弾でも作っちゃうような気がするんだよ。」

杉ちゃんと小久保さんが、そう楽しそうに話しているのを見て、由紀子は、二人の話を受け入れる様な気持ちにはなれなかった。だって、癒やしてくれる人間が、水穂さんのような人を、作っている。水穂さんには、何も罪もない。水穂さんは何も悪いことをしていない。なのに、水穂さんは、穢多とかそう呼ばれて、バカにされ続けている。

「そうなのかもしれないけど、杉ちゃんと小久保さんの言うことは、本当なのか、わからないわ。」

由紀子が思わずつぶやくと、水穂さんが小さな声で、

「本当ですよ。」

と言った。由紀子は思わず耳を疑ったが、水穂さんの顔は優しい顔であった。なんで、そうなんだろうと由紀子は思った。水穂さんも、嫌だと思うなら、嫌だと言えばいいのになと、思うのであるが、水穂さんは、何も言わなかった。

「わかりました。明日、また、平岡朝子さんと接見しますから、今度こそ、彼女が事件の事を話してくれるように、こちらも頑張ってみます。」

「おう、頑張れ。きっとお前さんなら、うまくいくよ。僕は、お前さんができると思うから、それで、平岡さんに、紹介したんだからな。はははは。」

杉ちゃんと小久保さんはでかい声でそう言い合っていた。それを、水穂さんは優しい目で、由紀子は不思議な目で見守っていた。水穂さんが、そうして見てくれているのが、なんだか由紀子には不思議な気がしてしまうのであった。

翌日。

杉ちゃんと小久保さんは、また拘置所に出かけていった。とりあえず、拘置所の老刑事には、13人目の弁護士が、また接見に来ましたという。老刑事は、どうせ無駄だろうと思いながら、アクリル板を隔てて、彼女、平岡朝子さんと合わせた。

「初めまして。平岡朝子さん。僕は弁護士の小久保哲哉です。こちらは、」

「和裁屋の杉ちゃんだ。」

二人は、いつもどおりの挨拶をして、彼女と向き合った。彼女は、この間と比べると表情は柔らかくなっているが、それでもやっぱり口を聞いてくれない。

「今日は、寒い天気ですね。こんな時は、お鍋でも食べたくなりますね。あなたには、ご主人とお姉さんがいて、お鍋を囲むこともできたんですね。」

と、小久保さんがそう言うと、

「それでも、お前さんは、なにか納得できないものがあったのか?」

と、杉ちゃんが言った。

「まあ僕みたいな障害者だと、歩けないから、階段のぼるとかできないから、どうしても、誰かに手伝ってもらわなくちゃいけないけど、それで居心地が悪いって思ったことは、無いよ。」

彼女は、また泣き出した。

「人間は、優しいやつが居るよなあ。そうやって、お前さんのそばにいてくれるやつが居るじゃないか。まあ、お前さんは、それを嬉しいとか、思えなかったんだな。でもさ、お前さんに一生懸命尽くそうとすることで、生きがいにしているやつも居るってことは忘れないでやってくれ。」

杉ちゃんがそう言うと、彼女は、涙を吹いた。

「初めまして。私、平岡朝子です。」

やっと彼女は自分たちを信用してくれたようだ。



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