12/19 昔の話【トモとコト】
『書斎の底が抜けちゃった。』
昼にコトからメールが来た。上司の目を盗んでこっそり読んだ文面に、俺は思わず「げ」と呻いた。
部屋の床一面に積まれた本たち。その高さは腰まであって、コトのスリムな体に合わせた細い通路を作っていた。「もう何冊あるか分かんないや」そう
「いつか抜けるぞ」「さすがにまずいとは思ってるけどさー」と話してはいたものの、コトは他に宛もないからと結局本を増やし続けた結果――。
「大丈夫なのか?」
「どうした、小林」
「いや、アハハ何でも。ちょっと……」
トイレの個室で返信する。
『本はどうなった?』
彼女の一番の懸念事項だろう疑問を投げかけたはいいが、すぐに色々と心配になってきた。
もし部屋にいるときに底が抜けていたら? 彼女は無事なのか。下の階に人は住んでいたのか。賠償請求とかされるんじゃないか。警察や消防車が来てもおかしくない騒ぎじゃないか? そう悶々として過ごしたが、コトからの返信はなく電話も繋がらない。
俺は大学を半年留年して卒業して、何とか就職にこぎ着けた。コトの書斎の二つ隣だった部屋は引き払って、職場の近くに住んでいる。そう遠くはないが、わざわざ会いに行く距離だ。
元々、メールも電話も寄越さないコトに連絡をとるのは俺の方。意外にもコトは「本読んでた」だの「気づかなかった」だのと、スマホを持ってる意味がない質だ。
「営業かけなくていいのって、すごい楽。一日中マナーモード最高!」
店を辞めてからは「静寂を楽しみたいの」が口癖になって、とにかく本を読んでいるらしい。いや、読み出したら鳴っても気づかないだろ。それに営業相手じゃないからって、俺のも無視すんなよ。
とは言えずに、俺はいつも送ったメールや着信が返ってくるのを待つ方になっている。
『ダメになった』
ようやく返信が来たのは夜の八時を回ったとき。もどかしい程に返事が短い。直ぐ電話をかけた。
「もしもし、コト?」
電話の向こうは騒がしくて、何かの音楽が反響して聞こえた。
「……何?」
「何って、心配して電話したんだろ! 全然メールも返さねぇし。怪我とかないのかよ」
「ない」
「ないって、お前」
俺はイラッとして立ち止まった。会社からの帰り路だった。
「大家さんももうこれを機会にアパートやめるって。辞め時を探してたって。全然、叱られなかった。下の階の部屋も滅茶滅茶になったけど、むしろ謝られた」
コトの声は遠くて、後ろのカラオケにかき消されてよく聞こえない。
「は? 何?」
「雨で……本が全部、ダメになっちゃった」
今度は聞こえた。それによく分かった。
「なぁ今どこ?」
「なんで?」
「教えろよ」
「……店」
「はぁ? 辞めたんじゃねぇの?」
今来た道を戻る。
「煩いな、トモには関係ないじゃん。あたし、飲んでるから切るね」
「関係ある、切るなよ」
「ない」
「あるだろ。今、そっち行く。迎えに行く」
駅まで五分、乗り継いで走って二十分。
「な、なんであんたにそんなこと言われなきゃ」
「お前を慰めたいからだよ」
いいから待ってろ。俺は電話を切った。
そして走った。肩に掛けた荷物が重くて、一瞬、家に置いてこようかと思った。けど時間がもったいなくて、すぐにコトに会わなきゃいけない気がして、そのまま走った。
コトの書斎は、コトの居場所でコトだけの世界だった――。それを知ってるのは、きっと俺だけだから。
『ここはあたしの書斎。一冊でも傷つけたら絶対に許さないから』
あの夜の、まるで泣き出しそうだったコトの声が聞こえた気がして、俺はぐっと唾を飲んだ。息が苦しい、運動不足だ。
駅のイルミネーションがうざったくて、早くコトに会いたかった。
(了)
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それで奏太が生まれた。
『ブックツリーと星』
カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354055104024504
ノベプラ
https://novelup.plus/story/454931883
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