12/11 日曜惰眠【とける】
楽しい夢……あったかい、眠い……あったかい。でも背中だけ「さむい」……毛布掛けなきゃ。
夢の中でぎゅう、と毛布が体に巻きついて、私は温かさに笑ったと思う。
「これで寒くない?」
「うん」
「良かった」と毛布が言ったから、私も返事をしようとして……待って、これ誰の声?
一気に眠気が覚めた。勢いのままに目を開けると、肌色で首。肌色で首がそこにあった。どうやら両手で誰かに抱かれたまま寝ていたらしい。
私、禁欲中だったのはずなのに――ヤっちゃった?
「ゃ、だれ」
離れようとしたら、もっと強くぎゅうっと毛布が密着した。ちがうこれ毛布じゃない、人だ!
「それ……寝惚けてるの?」
頭の上で声がして、ビクッと体が跳ねた。聞き覚えのある声。そろっと上を向くと、相手がもぞもぞと体の位置をずらした。鼻先が、彼の鼻先に擦れた。至近距離で見つめられる。
そうだった。私、オフィスで偶然会って――
「ぁ……あんの、さん?」
「うん、おはよう」
ちゅ、と唇が触れた。あごにちくちく髭が刺さってちょっと痛くて、ようやく頭が回り始めた。全部、思い出した。
「おはよう、ございます」
◇
金曜はくたびれて家に着いたらすぐ寝てしまった。
そうして土曜の朝。気のままに起きてから、オフィスにスマホを忘れたことに気づいた。
どうせ、誰からも連絡なんて来てないけどさ……。
私は、オフィスビルのエレベーターに乗り込みながらため息を吐いた。がらんとした銀色の箱は、珍しく誰も乗ってこない。
ちょっと寂しい。でも、自業自得だ。
――あの停電の日、杏野さんとうっかりホテルに泊まった日から、私は固い誓いを立てた。当分、絶対に誰ともシない誓いだ。禁欲だ!
暗闇の中、紳士を貫いてくれた杏野さんがまさかの送り狼になったことは、その最中もその翌朝もまだ混乱が続くくらいに衝撃的な出来事だった。
私って、何か変なフェロモン出してる……?
漫画によくある、ご都合主義な体質を自分も持っているのではないかと疑ったほど。だってそうでなきゃ、杏野さんがあのタイミングで手を出してきた意味が分からなかった。一生推そうと思ってたのに!
エレベーターで囁かれた『好きです』はよくあるリップサービスと捉えた。男の人は、ヤる前にそういうことを言うのだ。お互い罪悪感のない関係を持つために必要なのだろうと思っている。本気にはしなかったから、今回はなし崩しに付き合うのを回避できた。
スマホは記憶通りデスクの上にあって、私はホッと胸を撫で下ろした。椅子に座って変わりないか確認する。いくつか通知が来てたけど、やっぱりニュースや広告の類で、誰からの誘いも来てなかった。勿論、彼からも。がっかりした自分に嫌気が差した。
ブラインドが全部降りたオフィスはまるで夕方のように薄暗い。縞々の弱い光が窓際のPCに細い線を引いているのを眺める。
ギィ、と椅子の背もたれが音を立てた。
あれからもうすぐ四ヶ月で、夏はもう冬。
「私……」
『気の迷いなんかじゃないです』『真木さんじゃなきゃ』他の男性と食事に行ったり会話をしたりすると、ふいに
甘やかされた翌朝も、ホテルを出てからも繋がれた手も、まだ忘れられない。
秋に二度、食事に誘われて――でもまた流されそうで断わった。自分の気持ちが分からなかったから。
「やっぱり好きなのかなぁ……」
朝、エレベーターで会う彼は余裕たっぷりで、困る。必ず声を掛けてくるのもずるい。
だって私は会えると嬉しくて顔がにやけるし、うまく話せなくなる。目を合わせると顔が赤くなる自覚に、挨拶程度しか返せないジレンマ。
完全に片想いで挙動不審だし、女子中学生かよ、と自分が信じられない。
昨日は呼び止められて変な顔をしてしまった。でもさ、「何でもない」って何? まんまと気になって金曜はくたびれ果てたのだ。
「でもやっぱり……分かんないや。最後にヤッたのが杏野さんだから好きになってる気もする」
見極めるための禁欲。でもまだ答えは出ない。
『明日は雪だそうですよ』
……せっかく外に出たから、雪が降る前にぶらついて帰ろう。美味しいランチ食べて、お金を使おう。
立ち上がったときだった。通知音が鳴って、何の気なしにスマホを見た。
>今日、午後から会いませんか
――そうして杏野さんに会って、ランチをして映画を観て、何でか手を繋いで雪が降ってきて……結局ヤッたのだ。でもそこに愛はあった、と……おもう。
日中の杏野さんはとにかく紳士で甘くて、余裕があった。
「夕食はやめておきましょう」と駅で別れることになったとき、彼は躊躇なく私の手を離した。そして「楽しかったです」と言ってすぐ、「もう連絡しません」と笑ったのだ。
◇
「ねぇ真木さん。さっきの、寝惚けたの?」
ざり、と額で互いの髪が擦れ合った。
「それとも特定できないくらい、他に相手がいるってこと?」
額がくっついたまま、ぐいっと腰をホールドされた。咄嗟に離れようとしたけど、全然動けない。杏野さんはまだ狼モードだ。
「い、いません」
「本当? なら僕が食事に誘ったとき、彼氏がいたとか?」
「いない、よ」
本当かなぁ。唇が触れたままで言う。軽く噛まれる。
私はその刺激に震えつつ、もう一度「いないってば」と返した。
触れられたところから熱が灯ってどうしようもない。
「……まぁいいよ。嘘ついてたって別に」
「ぇあっ。な……なんでぇ?」
背筋を上へなぞられた。
「だってもう諦めないことに決めたから」
「へ? あ、うぅ」
「四ヶ月も我慢して、昨日で諦めようと思ってたのに」
今度は下へなぞられる。ため息が掠れた。
「せっかく手を離したのに……繋ぎ直したのは真木さんだからね」
そう、咄嗟にいやだと手をとったのは私。辛うじて「うん」と返す。
ふとキスがやんだ。
――ねぇ真木さん、両想いってことだよね。
密やかな声。
そっと目を開けると彼が私を見ていた。あぁ言わなきゃ。
「私……杏野さんじゃなきゃ、帰ってました」
ほんとう? 本当です。
手が離れたときの喪失感がよみがえって、私は自分から抱きついた。
私も決めたんだ。
「好きです、杏野さん。気の迷いなんかじゃないです」
あーもう。強く抱き返された。
(了)
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良かったね。
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