第5話

 ノートリアス。


 悪名高いという名前の通り、明らかな巨体が落とす影は凶悪さを印象づけた。


 これが何度かボスキャラを狩っていたなら違ったのかも知れないが、初めてのヨウは足を止めてしまう。


「これ、ボス……ですか?」


 疑問形で出されたヨウの言葉は、ほうけたもの。通常のボスキャラではないのだから、呆けている場合ではない。


 セコが叫ぶ。


「いや、逃げてよ!」


 しかしセコの声は結果的に、もう一瞬、ヨウの動きを遅くしてしまう。


 見上げる程の巨体を誇るラプトルは、ゴーグルに表示される名前すら違うのだから、ヨウにとっては驚きの連続になっている。


 ランバージャック――木こりを意味する名称がついているラプトルは、後ろ足で地面を引っ掻くような仕草をしたかと思うと、薙ぎ倒してしまえとばかりにヨウへと突っ込んできた。


 ラプトルに食らったものとは比較にならない衝撃がくる。


「え!?」


 宙を舞うヨウは、体当たりを食らった自覚すら遅れた。視界が回転した事、地から足が離れる感覚、ゲームであるから痛みはないが身体に感じたG、それらが刹那のタイムラグを伴ってやってくる。


 突進に巻き込まれて吹き飛ばされたのだと自覚した時、既にヨウは地面に転がっている。



 その一撃が、雄弁に特別な名を持つボスキャラノートリアスだとヨウに知らしめた。



 ――ランバージャック、成る程!


 大木でも薙ぎ倒せる体当たり、圧倒的な視覚情報、肌に感じる圧力、それらに爽快感すら覚える。


 痛みはなく、また全身のバネを活かして跳び起きるという、ゲームならではのアシストも加わると、ヨウはのめり込んでいた。


 ナイフを構え直すヨウの目には、もう一度、突進攻撃を仕掛けようとするランバージャックの姿が映る。


 ――回り込んで、突く!


 体格は違っても、やる事はラプトルと同じだ、とヨウが見開いた目だったが、その視界は赤く染まっていた。


 敵の攻撃によって瀕死にさせられている演出である。ろくな防具もなかったものだから、モモの防御魔法がなければ即死させられていた。


 そしてヨウが瀕死というのは、外見からも分かるらしい。


 注意を引くようにセコの声が飛ぶ。


「よく来たな、ランバージャック! ウェルカ~ム!」


 小馬鹿にしたような言葉だが、その言葉がモンスターの攻撃対象を自分に移すスキル「挑発」が乗っている。


 ランバージャックの首がぐるりと回り、セコへ目を向けた。


 セコは槍を放り出し、片手持ちだった大剣を両手で保持する。出現率の低い強敵とはいえ、初心者向けの依頼に出現するノートリアスならば、セコが本気になれば一人で勝てる相手ではある。


 ただし――、今はセコ一人ではない。


「守りながらか」


 ヨウに聞こえないよう、セコは小声で呟いた。一発で瀕死にさせられたのだから、ヨウは二度、攻撃を受ければ戦闘不能になる。依頼の失敗は、パーティメンバーが戦闘不能になった回数の合計が3回に達した時であるから、ヨウが一度や二度、戦闘不能になってもクリアはできるのだが、それを良しとするセコではない。


 ――ヨウくんは守る。全員で、ハッピーエンドにする。


 セコの矜恃である。ゲームだからこそ、どうでもいいという言葉は使わない。


 そしてモモも同じく。


「大丈夫ですの。姉様は一人でもノートリアスを倒せますの」


 ヨウの下へ駆け寄ったモモが手をかざし、ヨウの身体に回復魔法を浴びせた。視界を染めていた赤黒い色が消えていく。それがある程度になると、ヨウは自分の道具を出すのだが、


「回復薬なら――」


 そのヨウの手に、モモは自分の手を添えて降ろさせた。


「自分で回復薬は使わないで下さいね」


 回復ならば自分の魔法で、とモモがいうのは、ゲームのシステムに原因がある。


「敵の標的になりやすい行動は、攻撃と回復ですの。大ダメージを与えたプレーヤーと、味方を回復させたプレーヤーに敵は向かってきます」


 回復は自他の区別がなく、今、瀕死のヨウが自分で自分を最大まで回復させると、必然的にランバージャックはヨウを標的にしてしまう。


 モモは軽めの回復魔法を駆使する。一回で全快にするという事はなく、セコの攻撃とタイミングを合わせて回復させるためだ。


 そのコントロールが、セコとランバージャックが一対一で戦う状況を維持する要諦ようていだ。


 その事態に、ヨウは「すみません」と苦い顔を見せる。ノートリアスでなくとも出現したのはボスなのだから、セコにいわれるまでもなく逃げるのが最優先だったはず。


 しかしモモは、はにかむだけ。


「死ななかったんだから、大丈夫ですわ」


 モモは「初心者なのだから」とは、言葉どころか態度にすら出さない。


 それはヨウへの労いも、気遣いもない――ただし「特別な」とつくようなものは――という事を示している。


 楽しめるようになるまで時間がかかる事があると、セコもモモも知っているからだ。


「できるまで付き合いますからね」


 セコとヨウに視線を行き来させながら、慎重に回復魔法を選んでいく。


 ランバージャックとセコの戦いは、苦戦とはいえないが、楽勝ともいえない状況だ。


 セコは一意専心とを決める。


 ――攻撃よりも回避を優先。


 熟練者なのだから、この程度の相手であれば力押しできる装備であるが、セコは慎重だった。ヘイト――モンスターが優先で狙う標的を決める数値は、HPの回復行動やモンスターへの攻撃で蓄積していき、プレーヤーがダメージを受ける事で減少する。セコが攻撃を命中させても、ダメージを受ければ回復させているモモへ狙いが変わり、回復が完了していないヨウを巻き込みかねない。


 そしてセコは、もう一つ考えている。


「武器!」


 ランバージャックの攻撃を横っ飛びにかわしながら、セコが声を張り上げた。


「ナイフじゃ不安でしょ? 私の槍を使って!」


 自分が投げ捨てた槍を示すセコだが、お守り以上の意味は込められない。


 ――使い慣れてる訳がないだろうけどねッ!


 とはいえ、始めたばかりのヨウに使い慣れた武器など存在しないが。


 そして初期装備であるナイフは、初心者が使いやすいようにデザインされているが、セコの槍は「趣味装備」と呼ばれる使い勝手など考えられていない武器でもある。


 使いこなせるはずもないが、それでもヨウは飛びつくように槍を取る。


「いただきました!」


 穂先と柄で構成されているのは、成る程、槍であるが、ゲーム的ともアニメ的にもいえるデフォルメがあった。


 穂先にある宝石のように輝く刃も、甲殻を磨いたような無骨さを備える枝も、メッキをしているような手触り。柄は金属で、削り出したか形成したかと思わされる滑らかさであるのだが、丁度、右手が当たる部分――剣と槍は構えた手の左右が逆になり、右手を引き、左手を突き出す――が回るようになっている。


 ――何だ? これ。


 いぶかしそうにするヨウに答えたのはモモだった。


用ですの」


「ロマン突き?」


 鸚鵡おうむがえしたヨウの右手へ、モモが自分の手を重ねる。


「この、回るところはスロットルですのよ。オートバイのハンドルと同じ。ひねれば――」


 モモは添えているヨウの手ごと槍を掴み、ぐいと手前に捻った。


 次の瞬間、甲殻をイメージさせる枝から炎を纏った排煙が上がり、宝石を思わせた刃に赤い光が灯る。


「攻撃力が上がったからですわ。一撃限定ですけれどね。あと――」


 言葉を続けながら回復魔法をかけたモモは、その表情を一変させる。


「けほッ」


 咳き込んだ拍子に舞った赤は、モモの喀血かっけつだった。


「モモ姫!?」


 顔を白黒させるヨウに対し、モモは苦笑いしながら口元の血を拭い、


「このゲーム、魔法を使うMPみたいなポイントがないんですの。魔法は全てHPを消費して使っていきます。お兄ちゃんは瀕死だったから……」


 全回復させるため、モモはHPの大半を消費されてしまう。


 ヨウの全回復と引き換えに、その負債を全てモモが引き受けた。ならば、それを表すものとして喀血がある。


 無論、モモの身体自体には何の負担にもなっていない。気持ちが悪くなったり、どこかが痛むという事もなれば、操作しにくくなる事すらないのだが、初めて人が――しかもプレーヤーの容姿は分からないが、少女の姿をしているモモの喀血は、ヨウを慌てさせ、


「俺の薬、使って!」



 モモへ、一気に回復する薬を使用した!



 それはセコとモモがヘイトコントロールを厳密に行い、ランバージャックをセコに集中させる目論見をひっくり返すに等しい。


 ランバージャックの目がセコからヨウへと移った。


「グルルルル」


 低いうなり声がヨウへと向くのだから、セコが挑発を仕掛ける。


「私の相手をしろ!」


 しかし挑発が与えるヘイトは


 対するヨウが行ったモモの回復は、のヘイトだ。


 セコを振り向かないランバージャックに、モモが悲鳴をあげる。


「お兄ちゃん、逃げて!」


 同時にモモは、ヨウを庇える位置へ入った。


「私が盾になりますから!」


 モモにできるのは、それだけ。支援特化型のモモは、武器も持たず、手持ちは薬、回復魔法や補助魔法に必要な触媒のみである。


 だが小柄なモモが盾になるといっても、逃げ出せるヨウではなかった。


「……いいや!」


 ヨウはモモを追い越し、セコが残してくれた槍を構える。


「ロマン突きって、一撃の攻撃力を上げるんだよね?」


 ランバージャックはセコと戦っていたのだから、無傷ではない。


「じゃあ――!」


 もう一度、ハンドルを回す。ゴォンッと再び轟音があがり、枝から上がる爆炎が赤から青へと変わり、宝石のような穂先も灯す光の色も同じく青に変化した。


「まだだ!」


 まだ捻り込むヨウ。


 次は炎も光も白く変わる。


 その状態を、ひとつ一つモモが数えた。


「セカンド・イグニッション、アドバンス・サード、フォース・デトネイション……」


 今、3段階のチャージが完了した事になる。


「あと一回で最大――」


 と、モモの声をさえぎり、ランバージャックが地面を蹴った。プレーヤーは頭上が死角とされる。初心者脱出の試練である頭上からの攻撃の凌ぎ方――それに対し、ヨウは……、


「あと一回なんだな!」


 ランバージャックを見据えながらも、最後の一回だとハンドルを捻る。


 炎はなく、宝石のような穂先に宿るのは、光というより輝き。輝きを得た状態を、モモが教えてくれる。


「ファイナル・アルター」



 最大までチャージした攻撃――まさしくロマン突きに相応しい輝きではないか!



 その槍の穂先越しに、ヨウは見る。


 このランバージャックが出現する前に戦ったラプトルの急所だ。


「チャージスピア!」


 最大まで、最後まで溜め込み、昇華させた一撃を、そこに突き入れるだけだ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る