1-6 おたけび



 俺たちは逃げていた。



 素早さの高い俺は、セニャの右手を引っ張りながら林の中をあてもなく走る。



 後ろから迫りくるのは、ビッグスパイダーの群れ。



「トキト、もっと早く走れないの!?」

「無理だ! というか、帰還水晶を使った方が良いんじゃないか?」



 山を登り始めた最初はまだ良かった。



 強いモンスターはあまり出ず、俺たちの狩りは上手く行っていた。



 だけど出会っちまった、その名も。



 ビッグスパイダー!



 タフな上に、攻撃力が強く、攻撃速度は速く、そして足も速い。

 何よりも人間よりでかい。



 一匹目と戦っているうちに勝てないことを知り、逃げることにした。

 しかし走れば走るほど、そこら中からビッグスパイダーが集まってくる。

 今、俺たちの後ろには十数匹の蜘蛛がいる。

 グロテスクな光景である。



「ちょ、ちょっと待ってね」



 走りながら、セニャは左手でカバンをごそごそとあさる。

 そして帰還水晶を取り出した。



「ああっ!」

 手を滑らせたのか、セニャの左手から水晶が落ちる。

「トキト、落としちゃった!」



 俺は前を向きながら、

「もう一つ無いのか?」

「無い!」

「まじかよ! くそ、どうすれば!」

「死ぬー! 僕、ここで死んじゃうよー!」

「あきらめるな!」



 林を抜ける。



 先には崖が見えた。

 このまま真っすぐ行けば落ちてしまう。



 ……詰んだか。



 左右のどちらに逃げてもビッグスパイダーに取り囲まれるだろう。

 だったら!



「おい! セニャ、飛ぶぞ!」

「え! え! 崖から落ちるの!?」

「そうだ! 飛ぶぞ!」

「え! え! ふぇぇぇぇえ!?」

「ジャンプだ!」



 俺たちは崖から飛び降りた。



 下の地面に叩きつけられたら、どのくらいのダメージがあるのだろうか?



 ……死んだかもな。



 どさっと着地する。



 そして地面に前から倒れた。



「あれ?」

 俺は顔を上げる。



 崖から下の地面までは、それほど高低差が無かった。

 おかげであまり痛い思いをせずに済んだ。



 振り返る。

 崖の上でうごめいているビッグスパイダーの群れ。

 こちらに飛び越えては来ないようだ。



 立ち上がってセニャに歩み寄る。

「おい、大丈夫か?」



 セニャは両手を組み合わせている。

「死んだ。今頃、僕の脳みそは、フレームギアのマイクロ波で焼かれているんだ」

 目を閉じてぷるぷると震えている。



「死んでないぞ」

 倒れている彼女の肩を揺さぶる。



「え? 嘘! 本当?」

 彼女が目を開いて立ち上がる。



「運が良かったみたいだな」

 崖の上を見上げる。

 ビッグスパイダーは撤収していくようだった。



「そ、そうなんだ。はあー、死ぬかと思った」

 セニャは涙目をこすった。



 そこであることに気づいた。

 目の前の崖に、ぽっかりと開いている洞窟の穴がある。



「おい、セニャ、これは?」

「ん?」



 彼女も顔を向ける。

「洞窟……みたいだね」

「やっぱり、中には強いモンスターがいるんだろうな」

「たぶん、そうだよね」

「でも、ほんのちょっと入ってみるってのは、ありかもな?」



 好奇心がうずいていた。



「うん、ちょっと入って、強いモンスターがいたら、逃げればいいよね」

 セニャも同じ気持ちのようだ。



 俺たちは顔を向けあって笑顔になった。

 冒険心が、俺たちを洞窟の中へと駆り立てる。



「じゃあ、ちょっとだけだぞ」

「うんうん、ちょっとだけ、ちょっとだけ」



 俺たちは中に入って行った。



 洞窟の中は暗かった。



 今度来るときはランタンを買ってくるべきだろう。



 俺を先頭におそるおそる前へと進んでいく。


 

 モンスターは中々出てこなかった。



「何もいないな」

「そういう洞窟?」



 辺りの岩はごつごつとしている。

 湿気が高く、どこかで水がしたたり落ちる音がした。



「あ、あれ? トキト、何かあるよ?」



 進んだ先に、ひらけた空間があった。

 その空間の真ん中あたりに、人影がある。



 いや人ではない。



 鎧と剣だった。



 近づいてみると、それはボロボロになってさび付いている。

「死体だわ」

「死体、なのか……」



 鎧の中は空っぽだ。

 おそらく人が、ここで死んで、赤い光になって消えたのだろう。

 その時に来ていた鎧と剣だけが地面に落ちたということか。



 鎧の合間に、本が落ちていた。

 拾い上げる。



「何だこれ?」

 暗くて良く見えない。

 顔を近づけてみる。

「スキル書、おたけび、と書いてあるな」



「嘘? スキル書?」

 セニャも近づいて目をこらす。



 少しがっかりだった。

 せっかく拾ったスキル書ではあるが、内容はおたけびである。

 おたけびと言えば、RPGでは最底辺のスキルだった。



「死んだ人が、落としたってことかな?」

「そういうことなんだろうな」

「トキト、おたけびを覚えて見れば?」

「いいのか? 俺が覚えても。売れば金になるかもしれないぞ?」

「そんなのいいよ! それより、二人でいーっぱい強くなろう」

「わ、分かった」



 そこで首をかしげる。



「どうやれば覚えれるんだ?」

「それは僕も分からないなあ」



 スキル書を開く。

 ページの文字は細かく、暗くて読めない。



「ステータスボードを出してみれば?」

「あ、そうだな」



 俺は右手をあげる。

「ステータスボード」



 目の前に半透明の板が現れる。そこには大きな文字が浮かび上がっていた。



 スキル、おたけびを覚えますか? はい/いいえ。



 俺は、はいをタップする。



 瞬間、スキル書が黄色い光になって消えた。



「あ、すごい」

 セニャが小さな歓声を上げる。



 ボードのスキルの欄をチェックする。

 そこには、おたけび、と書かれていた。



「セニャ、俺、覚えたみたいだ」

「おめでとう、トキト。これで一騎当千だね」

「おたけびで一騎当千できる訳ないだろ」



 ふふふと笑い合う。



「他にも、何かないか探してみよう」

「うん!」



 俺たちは辺りを見回す。



「あ、こっち」

 セニャが何かに気づいたようで歩き出す。



 洞窟の壁に剣が突き刺さっていた。

 その下にローブと、これもまた鎧が落ちている。



 セニャが地面から二つの本を拾った。



「また死体か?」

「うん」

「それはスキル書か?」

「うん、そうみたい」

「なんて書いてある?」

「えっと、待ってね。一つはヘイスト。もう一つは、長くて良く分からないけど。えっと、ヴァンパイアイリュージョン?」



「ヘイストのスキル書があったのか!?」



 RPGではお馴染みの魔法である。



「ね、ねえ、トキト。僕、覚えてもいいかな?」

「いいよ! 覚えてくれ!」

「ありがとう。分かった」



 セニャがステータスボードとつぶやく。

 ボードをタップすると片方のスキル書が黄色い光と共に消えた。



「どっちを覚えたんだ?」

「んふふー、ヘイスト」



 セニャが俺を指さす。

 俺の頭には緑色の小さな玉が灯った。

 ヘイストを使ったという印だった。

 試しに歩いてみると、それまでよりもずっと俊敏に動けた。



「すごいな!」

「うふふふふ、私、強くなっちゃった」

「もう一つのスキル書も覚えて見ろよ。なんだっけ、名前?」

「ヴァンパイアイリュージョン。でもこれ、覚えれないみたい」



 セニャは何度かステータスボ―ドを消して出す作業を繰り返した。

 しかし覚えるような文字は出てこないようである。



「もしかしてこれ、職業によって覚えられるスキルが違うんじゃないかなあ?」

「そうなのか?」

「たぶんそう。トキトも覚えられるか試してみてよ」

「分かった」



 スキル書を受け取る。

 そしてステータスボードを出してみた。

 しかし、覚えますかの文字は出なかった。



 セニャは地面の鎧を手で調べた。

「剣は、壁に突き刺さってるのと、地面にも一つ……。たぶん、ヴァンパイアイリュージョンは、この双剣の人の死体が落としたスキルだわ」

「なるほど。じゃあヘイストを落としたこっちのローブの人、って言うか死体は、魔法使いだったってことか」

「そうみたいだね」

「じゃあ最初のおたけびのスキル書を落とした人は、両手剣の職業だったってことか」

「うんうん。でも、この人たち、なんで死んだんだろう?」

「見た感じ、争ったってことだと思うけどな。壁に剣が突き刺してあるし」

「ふーむ。なんか僕たち、墓荒らしみたいだね」

「墓というより、死体荒らしって感じだけどな」



 セニャは口元に右手をあげた。

「あはは。ねえ、でもさ、トキト。このヴァンパイアイリュージョン、人に売ったらいくらになるかな?」

「それは分からないな。そのスキルが、どれくらい強いかによるだろうし」

「売ってみよう!」

「どうやって?」

「うーん。人に声をかけて?」

「……それしかないか」



 その時だ。

 洞窟の奥からカタカタと足音がした。

 何か来る。



「おい、セニャ、そろそろ洞窟を出よう」

「そうだね、というか、何か来てるし」



 暗くてモンスターの影が見えない。

 それが恐怖を加速させていた。



 俺たちはいそいそと来た道を引き返す。

 やがて洞窟の外の明かりが見えてきた。

 後ろからはカタカタと足音が強くなってきている。

 最後は走るような感じで洞窟の外に出た。



 明るみに出た。



 洞窟の周りを囲んでいるビッグスパイダーの群れ。



 ……まじか!



 奴らは、迂回してここにたどり着いていたようだ。



「トキト、どうしよう!」



 ビッグスパイダーたちは舌なめずりをするようにシュウシュウと息を吐いている。



 俺は膝をかがめた。

「セニャ! おぶされ!」

「逃げるのね! 分かった!」



 セニャが俺の背中に体を預ける。

 こんな時に不謹慎だが大きな胸の感触が生生しかった。



「俺にヘイストをかけろ」

「ヘイスト!」



 また俺の頭に緑色の光りの玉が灯る。

 ビッグスパイダーたちは雪崩込むように襲い掛かってくる。



 俺は唱えた。

「おたけび! がぁぁぁぁあ!」



 吠えた。



 瞬間、モンスターの群れはひるんだように立ち止まってすくみあがる。



 どうやらおたけびは、モンスターたちを動けなくする効果があるようだ。

 それが何秒間続くのかは分からないが。



 俺は走り出した。

 ビッグスパイダーの体を踏んづけて、飛ぶように走る。



「しっかり捕まってろよ!」

 プートゲールの村を目指してひた走る。



「速い、速いよトキト。振動が……」

「我慢しろ」

「我慢しろって言ったって」

「お前、胸でかいな」



 セニャが俺の頭をはたく。

 振動によって、背中にたぷんたぷんと気持ちの良い感触があった。



「この! 僕の胸を楽しむんじゃねー!」

「楽しんでねーよ!」

「トキトのエッチ! えっちっちー! エッチスケベ大魔王!」

「ふふふ、大魔王か」



 そして俺たちは山をくだり、村へと帰還したのだった。



 ヘイストの効果は、三十秒間続き、その後三十秒のクールタイムがあることも分かった。

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借金のかたに売られた先には、デスゲームが待っていた。富豪たちがプレイヤーに金を賭けあう中、俺は最強へと駆け上がる。頼れるものは、最底辺スキルの『おたけび』である。 @aoi-hiroku

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