第15話 昨日まで『失意』のどん底でした。でも何をすべきかなんて簡単なことだったんです。

 流石、修道女だけのことはある。


 心の中で感心していたら、ふとセイネさんが「……もう鈍感」って呟いたような気がした。


「え? 鈍感?」


「いいえ、何でもありません」


 もしかしてセイネさん、ちょっとへそを曲げている? どうして?


「何でもないついでに一つ助言させて頂きます」


 変な切り返し……。


 セイネさんは「本当は敵に塩を送るようで嫌なのですが」と意味不明な枕詞をボソッと付けて話を続けた。


「ミナトさんは相手のことで、今どんな気持ちかなぁとか、色々考えるのは悪い癖だと思います。だけど本質は単純で、どこまで行っても、人は誰かに必要とされたいものなのです。ですから彼女のこと、簡単に諦めないでがげてください」




 その時のセイネさんの言葉の意味が少し分からなかった。でも何故か胸に刺さった翌朝――。


 僕は靴紐を結び、意気込みを新たに日課である走り込みへと出かけた。


 昨夜は思いのほか安らかに眠れた。これもきっと教会でセイネさんに励まして貰ったのと香草茶のお陰だろう。


 考えても仕方がなかったんだ。


 結局いくら悩んでもアルナを放っておけない気持ちは変わらない。


 それにヴェンツェル教授に関わるなとも。


 でも逆に言えば、それってヴェンツェルを見張っていればアルナともう一度会える可能性があるということだ。


 ヴェンツェル教授、アルナ、ヘンリー教授の殺害未遂、そして異形の吸血種、《屍食鬼》。


 これらを結び付けるものが何なのか、今ははっきりした答えがない。


 でもアルナを関わらせちゃいけないということだけは確かだ。


 朝霧の中ふと大きい人影が現れる。口先が長くとがった耳、狼人種特有の人影は!


「よう!」


「ハウアさん! なんでっ!?」


「俺様は師匠ババアがいなくても、自分の為に鍛えてんだよ」


 ハウアさんはシッシシッシと架空の敵へ拳を交えて汗を流している。


 やっているのは〈影打かげうち〉、想定した相手との組手と型の確認を兼ねた練習方法だ。


「なんでじゃねぇよ。それより言うことがあんじゃねぇのか?」


 そうだよね。まずは昨日のアルナを追いかけて、そのまま帰ってしまったこと謝らなきゃ。


「昨日はすいませんでした」


「おう! てめぇが嬢ちゃんを追いかけて行った後、大変だったんだぞ? わざわざおっさんを呼んだり、医者を呼んだり、現場を調べたりしてな」


「本当にすみませんでした」


 ハウアさんは〈影打〉を止め、汗を拭う。


「そりゃもういいからよ。で? どうした?」


「それが……」


 つい答えに渋ってしまった。昨夜のうちに気持ちの整理はついている。


 けど今回の事件は恐らくヴェンツェル教授が深く絡んでいる。そうなると……。


「なんだ? しけたツラしやがって、さては、手酷くフラれたな?」


「違いま……違いませんね。うん、フラれたようなもんです」


 結局昨日は説得に失敗した。あくまでも昨日は、だ。


「それでも……友達のアルナを放っておくことなんてできないんです」


 あんな状態のアルナを一人にしておけない。


「少しはマシな顔つきになったみてぇじゃねぇか。それにしたって開き直るのぇな。昔のお前ならウジウジ悩んでいたのによ?」


「そうですね。以前だったら、ウジウジ考えた挙句、何も出来なかったと思う」


 確かに両親が吸血種に殺されて間もない頃の僕だったら、きっと何も決められなかった。


「これなら大丈夫そうだな」


「え? 何がです?」


「あぁいや、走りながら話すぜ。そうと決まれば行くぞっ!」


 僕等は全力疾走と影打を交互に繰り返して、持久力と瞬発力を鍛える。


 懐かしいなぁ~昔は二人して師匠せんせいに馬で追いかけられながらやっていたっけ。


 あぁ~もしかしたら毎日欠かさず、天候、気温関係なく続けていたから、根性が付いたのかも。


「ミナト。あのアルナとかいう嬢ちゃんだけどなっ!」


 走りながら良く喋れるな。


「おっさんが調べたんだけどよっ!」


 立ち止まり、間髪入れず影打を開始。


「嬢ちゃんの身元だけどよ。【馨灣】の香木商家、【劉家】の令嬢ってのは間違いねぇ、けどな。そいつは表向きだ。【劉家】には裏の顔があんだよ」


「裏の顔?」


「ああ、裏社会を牛耳る【参纏會サァムチィンゥイ】の一柱っつぅな。つまり、【劉家】ってのは暗殺者の一族なんだよ。要は商売敵って奴だ」


「は? アルナが暗殺者……?」


 俄かには信じられなかった。


 だって日頃見ているアルナの笑顔からはとても想像できなかったから。


 でもそれが本当なら彼女が言っていたことの意味が段々と見えてくる。


「噂は聞いたことがあります。先の戦争でアンティス領になって、政府が撲滅に動いたはずじゃなかったですか?」


 今から約50年前に起きた【霊乱戦争】。


 きっかけは一時期、【麗月】が霊鉄綱の輸出を禁止したのが原因。その戦いで【麗月】は敗れ、馨灣はアンティスに永久割譲された。


「良く知ってんじゃねぇか。まぁ、裏には裏の事情があるっつーことよ。で、今度はミナトの番だ。昨日あったことを話してみろよ」


 僕は昨夜アルナに告げられたことを全てハウアさんに打ち明ける。


 掟や一族がどうとか、ヴェンツェル教授に関わるなとか。そして最後に別れの言葉も全部。


「おいおい、マジか?」


「恐らく……ヴェンツェル教授は何か隠しているみたいで」


「そうじゃねぇっ!」


「え? どういうことです?」


 どこか解釈が間違っていたかな?


 ん? 何故僕の肩にポンと手を置く?


 それにハウアさんの眼、まるで憐れむかのような。


 心なしかイラっとするんだけど?


「ミナト……お前、本当に別れ話を切り出されたんだな。冗談のつもりだったんだが……悪かった。昨日飯をおごるっていったもんな、びに今日はちゃんと連れてってやるよ。好きなもん頼め」


「やめてくださいっ! なんでそっちの方向に持って行くんですか!」


 突然訳の分からない慰め方をされ、うんざりした。いやまぁあながち外れてはいないんだけど。


「なんだ? 違うのかよ?」


 ただ、そのぽかんとすっとぼけたハウアさんの表情には、無性に腹が立つ。


「僕が言いたいのは、一連の事件に、ヴェンツェル教授が深く関わっているかもしれないってことで……」


「なんだ。そんなことか」


「そんなことかって……」


 ん? どういうことだ? 依頼人が怪しいって説明しているのに、ハウアさん、眉一つ動いていない。


「んなこと、はなっから気付いているよ。もちろんおっさんもな」


「はぁーっ!? 何で話してくれなかったんですかっ!?」


「言ってどうなるって訳でもねぇだろ? つーかてめぇ嘘が下手くそじゃねぇか」


「うっ! じゃあ、なんで引き受けたんですか?」


 確かに嘘を付くのが上手くないよ。多分もう態度に出ると思う。


 でも最初から疑っていたのなら、なんで請けたんだろう?


「ミナト、政府からの《雨降りの悪魔》逮捕の依頼料がいくらか知っているか? なんと4千万アウラだ」


「えっ!? そんなにっ!?」


 けど達成するには、まずヴェンツェルが《雨降りの悪魔》だという証拠をつかまなければならない。

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