第16話 プロだけが知っている『鉄則』

「しかもヴェンツェルは何故か暗殺者に命を狙われ、護衛を依頼してきた。それにおっさんの話じゃぁ、事件発生前後から町に住み始めたのは二人だけらしい。アルナの嬢ちゃんと、ヴェンツェルって野郎だ」


 つまりレオンボさんは、以前からヴェンツェル教授を張っていたんだ。


「おっさんが良くやる手だよ。捜査している噂を流して、痺れを切らした獲物からの接触が来るって寸法よ」


「うわっ、きったねぇ」


「バーカ。こんなもん守護契約士の鉄則なんだよ。つーかむしろ好機じゃねぇか? さっき話からすっと理由は知らねぇが、嬢ちゃんはヴェンツェルを追っている。うまくすればもう一度嬢ちゃんに会えるかもしれねぇぞ?」


 うん、そうなんだ! またアルナを説得できる機会がある。


「あと、山分けっていう訳にはいかねぇが、グディーラが色を付けるってよ。よかったじゃねぇか!」


「本当ですかっ!?」


「おう! 期待しとけよ!」


 少しでも多く報酬を貰えるとは、なんともありがたい。ただ疑問なのはハウアさんだ。


「ハウアさんって何者なんですか? 吸血種に詳しかったり、ヴェンツェル教授のことに感づいていたり……A級守護契約士だからですか? 凄いなぁ……」


 普通吸血種なんて鼻で笑う話なのに、ハウアさんは当然の如く口にしていた。


「急に褒めるなよ。気持ち悪りぃな。でもまぁ、吸血種はいるぞ。世界各地を転々として何度もこの目で見ちまっている。それにヴェンツェルのことは……さてどこから話すか……」


 汗を拭きながら暫く思案に耽って、ハウアさんは徐に口を開いた。


「ミナト、俺様が奴に随分と落ち着いているって言ったの覚えているか?」


「うん、確かヴェンツェル教授は内心恐怖しているって」


「ありゃぁ嘘だ。心音に変化は無かった。狼人種や猫人種の耳の良さは知っているだろ?」


 何となく聞いたことある。なんでも只人種の凡そ3倍ぐらいあるとか。


 つまりヴェンツェル教授は殺されるかもしれないというのに微塵の恐怖も感じてなかったということだ。


「脈拍なんざ訓練すれば操作は出来るけどよ。だとしてもかなり胡散臭ぇのは間違いねぇ。おっさんが合間を縫って野郎を調べちゃぁいるけどよ。なかなか尻尾を掴ませねぇらしいんだ。後は張り込んで捜査するしかねぇ」


 ハウアさんは普段の言動と行動から粗悪さと粗暴さの代名詞と名高い。そんな人がこんなにも巧妙で計算高いことを考えていたなんて、驚愕。


「あっ! ミナトさん。おはようございます。今日も朝から精が出ますね」


「セ、セイネさん! お、おはようございます!」


 影打を続けていた僕は、セイネさんと再び鉢合わせる。


 彼女の手には箒。そうか、いつの間にか教会の裏だったのか。


 にっこりと会釈をするセイネさんに釣られて頭を下げたけど、昨夜のこともあってまともに顔を見れないなぁ。


「……吹っ切れたみたいで良かったです」


「はい、これもセイネさんが相談に乗ってくれたお陰です。今度何かお礼させてください」


「そんな気にしないでください。昨日もお話ししましたが、私はミナトさんの力になれただけで嬉しいんです」


 心からほっとしたような、暖かなセイネさんの微笑み。なんだか胸がじいんと温かくなっていく――のも束の間。


「修練中に女へうつつを抜かすたぁ良い度胸だなぁ~」


 ぞっと背筋に冷たいものが走る。


 反射的に振りむくと、ハウアさんが新しいおもちゃを見つけたみたいな、下卑た笑みを浮かべていた。


「べ、別にセイネさんとはそういう関係じゃ――」


「照れるな照れるな。劉家のお嬢様だけじゃなく、修道女にまで手を出すたぁ~な。やるじゃねぇかっ! しかも結構美人じゃねぇの?」


「だ、だからそんなんじゃないんですって!」


「じゃあ私は掃除がありますので、頑張ってくださいね」


「あ、はい! ありがとうございます」


 にこやかにお辞儀をして、セイネさんは表の方に戻っていく。


 少し気を悪くさせちゃったかな。後で謝りに行こう。


 ハウアさんの言う通り、セイネさんは魅力的で可愛らしい人ではあるよ。


 でも聖職者相手に特別な感情を抱くなんて、いくら何でも不埒すぎる。


 などと考えていたら――。


「いつまでも見惚れてんじゃねぇっ!」


「ギャェェーーーーーっ!!」


 突然怒り出したハウアさんに首と肩を極められ、僕はその場で悶絶した。


 理不尽。




 それから1週間掛けてヴェンツェル教授の周辺を調べることになった。


 それと警備の合間を縫い、ハウアさんにしごかれることになっている。まずは通常通り護衛に就く予定だ。


 初日。屋敷の裏で、レオンボさんから昨夜の《屍食鬼》と遺体の解剖と検死結果を聴くことが出来た。


「あの《屍食鬼》とかいう生物。協会では《心臓喰らい》と呼ぶことにしたらしい。名前何てどうでもいいが、昨日会った解剖医の話では胃から3つ心臓が見つかったそうだ。もう一体の方は、話すまでもねぇか」


 そう言って一服付くレオンボさんの表情は、怖いくらい険しい。いつもの飄々とした姿からは想像できないほど、まるで蝋で塗り固めたみたいだ。


 勢いよく吐き出した紫煙が、青い空へ儚く散っていく。


被害者ガイシャはボースワドゥム大学の女学生だとよ」


「そいつはつれぇな……」


「あと《心臓喰らい》の首筋にこういう文字が刻まれていたらしい」


 レオンボさんから渡された一枚の紙。そこに書かれていたのは何とも形容しがたい文字。


 例えるなら蚯蚓ミミズが走ったような、蝸牛カタツムリや蛙の顔のような形をしている。


 その殆どが渦巻状をしていて、字と呼べるのかさえ疑問だ。


「なんじゃこりゃ? おっさんは知らねぇんだよな?」


 レオンボさんは肩を竦める。


「見たこともねぇな。んじゃそろそろ戻るか。これ以上は怪しまれる。ああ、それとハウア。この間大学いったらよ。無かったぜ。お前がヘンリー教授に預けた例のミイラ」


 ――何だって!?



 護衛開始。僕等は庭園伐採と身辺警護を交代でやることになる。でもどういう訳か最初に身辺警護をすることになったのは僕だった。


 多分レオンボさんとハウアさんはまだ話すことがあるんだろうと察して理由は聞かなかったんだけど……。


 ヴェンツェル教授はじっと待機している自分をまるで気にも留めていない。執務机一杯に古文書や歴史資料を広げ、もくもくと作業をしている。


 正直なところ、彼が何をしているのか全く分からない。


 ただ古い資料には前々からちょっと興味がある。歴史浪漫とか失われた大陸とか、そんな感じのアレだ。


 天井まで届きそうなほど棚にびっしりと納められた書籍の数々にはまさに圧巻。


 一際目に付いたのは緋一色で装丁された書物で、手に取った質感は羊皮紙に間違いない。


 相当古いものであるのにかかわらず、その緋は色褪せていない。なんとなく惹かれ、本の中を覗いて見たくなり――。


「ミナト君、歴史書に興味があるのかい?」


 びっくりしたぁなぁもう、心臓が止まるかと思った。


「い、いえ、ただちょっと気になってしまって……」

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