第一章 どうして僕が彼女を『放』っておけなかったのか

第13話 僕は追いかけた。『諦め』られなかったんだ。

 ハウアさんは腕を出して、僕へ止まるよう促す。


(何ですか? あれ……)


 見えたのは酷く形容しがたい化け物が這いずり回っている姿。


 一見人型のよう、だがその身体は黒く爛れて、目は肉で覆われていた。口からは触手を生やし、その先端は吸盤状。


 内部は無数のヤスリ状の歯で敷き詰められ、まるで八目鰻のようだ。


(あいつは吸血種の一種、《屍食鬼グール)》だな。脇にある亡骸――心臓が抉り取られてやがる。どうやら食事を終えたばかりらしい)


 吸血種っ!? 食事っ!? でも本当だ!! 胸に穴がっ!?


 つい声を上げそうになったのを、息を飲んで必死に抑えた。確かに傍には死体が!


(1、2、3の合図で飛び込むぞ。んで、あいつにお前の象気を全力で叩きこめ、一番有効なのはおめぇの象気なんだしよ)


 急に言われてもと思ったけど、現状それが一番効果的な方法だよなぁ。


 正直なところ身の竦みそうな恐怖の中、内心少しほっとしている自分がいる。何故ならアルナが《雨降りの悪魔》じゃないって確信できたからだ。


 ハウアさんは懐から回転式拳銃を取り出すと、銀色の霜のように輝く弾を装填していく。


(ハウアさん、それは?)


(【秘銀】の弾丸。普通の鉛玉じゃ効かねぇんだよ。それとなぁ。俺様の【月】の性質だと《屍食鬼アレ》との相性が悪い。んで、こいつの出番ってわけさ)


 何でも秘銀の持つ【反燐性はんりんせい】が吸血種の再生を阻害するんだとか。


 【燐性】とは主に金属が有する引力や斥力を及ぼす性質を指す。そして【反燐性】は、その逆。


 燐性を打ち消す特性を言うのだけれど、まさか吸血種に効果があるなんて。


 とりあえず考えるのは後にしよう。


(準備は良いか? 1、2、3、行くぞっ!)


 僕等は路地裏へと飛び込んだ。今度はしっかりと《屍食鬼》の姿を視界に納める。


 見るからにおぞましい化け物だけど、僕達の登場に怯んだ。


 その隙を見逃さない。もう一度地面を蹴り、一気に間合いを詰める。


 象術を使ってもまだ体が重く感じる。だけど躊躇している暇なんかない!


 空かさず《屍食鬼》は触手を伸ばしてくる。まるで極太の鞭だ。でも――ハウアさんより全然遅いっ!


 前屈めに躱し、狙うは《屍食鬼》の顔面! 沈みこんだ反動を利用して、象気を込めた拳を下から上に身体ごと叩きつける。


『KYURRRR――ッ!!』


 滅血拳めっけつけん紅焔プロミネンス】――師匠から最初に教わった技で吹っ飛ばす。


 《屍食鬼》の身体は壁に叩きつけられ、二転三転と転がった末、のたうち回る。


『KYR……』


 すぐに上体を起こしてきた。一撃じゃ駄目だったか! やっぱり相当鈍っている。


 人間で言うところの鼻の下の急所、人中を狙ったんだけど、どうやら人間とは違うらしい。


 それでも動きはぎこちない。殴った場所からも煙が上がっている。効いてはいるんだ!


「よくやった! ミナトっ!」


 間髪入れずにハウアさんが《屍食鬼》へ秘銀の銃弾を立て続けに浴びせた。


 当たった瞬間、肉片とどす黒い血が飛び散り地面を染めていく。


 しきりに耳障りな呻き声を上げ、やがて暗がりの路上へ崩れ落ちる。


 ハウアさんは虫の息となった《屍食鬼》の下へ、ゆっくりと近づき、そして――。


「くたばれ」


 冷淡な口調で放った一発の弾丸が《屍食鬼》の頭部を爆裂させ、噴水のような血飛沫を上げる。


 後に残ったのは頭の半分が抉られ、更に醜悪な姿となった《屍食鬼》の死体だった。


「ハウアさん。大丈夫ですか?」


「ああ、それよりも――」


 《屍食鬼》を倒し、すぐに襲われた人の容態を確認しようと駆け寄る。


「こいつはひでぇな……お前は見るな」


「う、うん……」


 被害者を前にしてハウアさんに止められる。その様子から……もう手遅れだったんだ。少しだけ見えた生傷から無残な姿であることは想像が付く。


 多分ハウアさんはきっと耐えられないと思って止めてくれたんだ。何気ない気遣いが胸に染みる。だけど……この生物はいったい?


 吸血種といっても、幼い頃に出会ったモノとは随分違う。


 アレは人間と遜色なく、大きな差異と言えば日光が苦手なぐらいなもの。


 でもこれは何だ? 四肢あるけど形は人間とは程遠い――馬鹿か僕は。


 人が死んでいるっていうのに敵の考察? なんて不謹慎な。


 下らない考えを振り払っていると突然。


 ゾクッ――な、なんだ! いったい! 背後から心臓を握られるような悪寒が!?


「ミナト! 後ろだっ!」


 ハウアさんの呼びかけに振り向くと、一匹の《屍食鬼》がすぐそこまで近づいていた。距離にして半歩かそこらの最早眼前。


『KYURRRR――ッ!!』


 音も無く現れた《屍食鬼》の触手が襲い掛かってくる。


 駄目だ! 間に合わないっ! 狙いは心臓、咄嗟に両腕を交差して護った――が。


 突如目の前が真っ白になる。上空から青白い稲妻が迸り、《屍食鬼》へ堕ちた。


 思わず耳を塞ぎたくなるほどの雷鳴。凄まじい雷光に堪らず目を覆う。


 いったい何が起こっているんだっ!


 腕の隙間から見えるのは、猛烈な勢いで炭化していく《屍食鬼》の姿。


 次第に雷撃が止み、眼前まで迫っていた触手は、ボロ炭となって崩れ落ちる。


 かつて《屍食鬼》だったものは吹き込む夜風に流されていく。呆気にとられ僕はただその光景を眺めることしか出来なかった。


「おいっ! ミナト! 大丈夫かっ!」


「うん……」


 駆け寄ってきたハウアさんに、身を起こされる。


「ほら、掴まれ」


「ありがとう。ハウアさん。一体何が……?」


 肩を貸して貰い立ち上がると、視線の端に屋根を駆ける青い人影が映る。


 青い人影なんて一人しかいない。それにあの青白い髪は間違いない。アルナだ。

 今逃したら一生会えないかもしれない。そう思ったらじっとなんてしていられるか!


「ハウアさんっ! ゴメンっ!」


「おい! ちょ、ミナト! ああっもう! クソ!」


 ハウアさんの肩を振りほどき、アルナを追った。霊気灯が煌々と照らす夜のボースワドゥムの町を駆け抜ける。


「アルナ! 待ってっ!」


 何て脚力だ。油断しようもならすぐに見失ってしまう。最早只人種の成人男性並みだ。


 それとさっきのいかづち。有角種の尾には発霊板という霊気を発生させる器官がある。【霊気鰻レイキウナギ】なんかが持っているあれだ。


 ただ気になるのは、有角種の発霊といえど大きな馬を失神させる程度の霊圧の筈。落雷を起こせるくらいとなると――馬鹿! 余計なこと考えるな!


 息が切れる……。脚が縺れかけても必死に食らいついた。


 掻き立てているものはたった一つ。僕はただ彼女ともっと一緒にいたい。それだけなんだって。


 正直事情なんてどうでもいいってことを、最近になって分かった。


 ああ! 赤面したくなるような思いだよ。でも本心なんだ!


「お願いだ! 待ってくれ! 話をしたいんだ! 聴きたいことがあるんだっ!」


 呼びかけても一瞥さえくれない。いつの間にか路地裏を走っていると、突如何かに躓き、激しく地面に打ち付けられる。


「ぐっ! クソ!」


 すぐに身を起し追いかける。けど、もうアルナの姿は無かった。

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