第12話 『木曜日』は大抵ロクなことがない。特に裏通りでは……
「という割に、こんな豪邸に住めるだけの金はあるんだな」
「ちょっとハウアさん。すいません、ヴェンツェル教授、気を悪くさせてしまって」
ヴェンツェル教授は仮にも貴族! 加えて現在は顧客! まったくハウアさんは、躊躇いもせず皮肉って!
仕事をふいにされたらどうするつもりなんだよ。
「構わないよ。実のところ叔父から屋敷を譲り受けただけでね。自分で手に入れたものじゃないんだ。だから行き届いていないところもあってね。お恥ずかしい限りだよ」
ハウアさんの嫌味な発言に、ヴェンツェル教授は笑って答えてくれる。良かった。教授は全然気にしていないみたいで安心した。
「まさか、三人の守護契約士の方に来てもらえるとは……。では、お茶を用意しますので、どうぞお掛けになってお待ちくだ――」
「いいえ結構です。それよりも早速以来の話に移りませんかねぇ」
場を離れようとしたヴェンツェル教授を、レオンボさんが引き留める。
別にお茶ぐらいいいんじゃないのかなぁ。今まで座ったことの無い高級椅子の感触を味わう暇もない。
「そうですか。では、
すっとテーブルの上に置かれたのは一枚の書簡。
とても綺麗な字で単調に――7月20日、19時、お前を殺す――と、たった一文書かれている。
20日というと約1週間後だ。
「ふむ、この手紙だけでは《雨降りの悪魔》からとは言い切れませんね。他に何か?」
レオンボさんの指摘はもっともなんだけど、僕は別のことを考えていた。
凄く達筆だけど、アルナのってこんな筆跡じゃなかったような……?
少しだけ見たことがあるけど、アルナのはもっと丸くて、可愛らしかった筈。
「はい、実は昨日から何者かに監視されている気がしましてね。行く先々で見かけるんですよ。離れた場所から様子を窺う黒尽くめの人影を。ご存じだと思いますが、被害者の中にうちの生徒がいたことを……」
「ええ……因みに今おっしゃった黒装束の人相とかはわかりますか?」
ヴェンツェル教授は首を横に振る。まぁ当然だよね。遠くから人相なんて分かる訳ない。
「それにしては随分落ち着いてんじゃねぇか。命を狙われている状況だってのによ」
確かにヴェンツェル教授は至って涼しい顔をしている。
動揺なんて微塵も感じないし、玄関先でも平然と迎え入れた。約束だったとはいえ、もう少し警戒してもよさそうなものだ。
「これでも内心はびくびくしっぱなしなんですがね。生まれつき表情に出ないんです。生前両親からもお前の考えていることは分からないってよく言われました」
「へぇ~ミナトとは偉い違げぇだな?」
「ほっといてください」
ほんとうに。
「一つよろしいですかね?」
「はい、何でしょう?」
僕等の下らないやり取りを完全に無視し、レオンボさんは話を進める。
「まず侵入経路を全て潰しておきたいので、屋敷内を隅々まで確認させて頂いても?」
「ええ、それは構いませんが、と言われましてもそう無いと思いますが」
「いえ、それはうちの方で調べますので……では、あともう一つ」
うわ、始まった。レオンボさんの粘着質。絶対あと一回ある。
「……はぁ、何でしょうか?」
あからさまにヴェンツェル教授の口調に棘が生える。
「庭園の木々を全部刈ってもよろしいでしょうか? 屋敷からの景色は凄く見通しが悪いですねぇ。これでは侵入者が現れた時に対処出来ません」
「……そういう事であれば……しかし全部ですか?」
「はい、全部です」
そういうことかぁ~。僕がやるってことね。ははは……。
「わかりました。では本日より護衛を開始して貰ってよろしいでしょうか?」
「はい。そのように……」
軽く会釈し、早々に取り掛かる――かと思いきや。
「あぁ……すいません。あともう一つだけよろしいですか?」
席を立とうとしたヴェンツェル教授を再び引き留める。
さっきからずっとねちねちと、まだ聴くことがあるのか? ヴェンツェル教授も何だか面倒くさそうだ。
「……えぇ。一つだけでしたら」
と言い含められた。当然だよね。
「では一つだけ。ヴェンツェル教授はボースワドゥムに来る前はどちらに?」
さっきまでの話とはまるで関係の無いように思えた。でもレオンボさんの眼光はやけに鋭い。まさかこの質問が本命?
「……そうですね。最後に訪れたのは【麗月】の【馨灣】でした。それが何か?」
「いえ、参考までに。屋敷内にちらほらと【麗月】の陶器が見えましたのでね」
その後話し合いが終わるとすぐにレオンボさんは姿を消した。何でも別の事件があるとかなんとか。一応夕方には戻ると言い残して。
レオンボさんが戻るまでの間。僕等は自宅でも研究を続けたいという教授の要望で、資料の運搬作業を手伝うことに。帰る頃には星が輝き始めていた。
「はぁ~まったく人使い荒いぜ。あの教授」
肩や首やらを鳴らし、流石の体力馬鹿のハウアさんも疲労の色を隠せない。正直僕も屋敷と大学の間を10往復させられるとは思わなかった。
「疲れました……」
もう寝たい。
「それにしてもミナト、お前意外に肝が据わっているんだな。恋人が連続殺人犯って、普通なら発狂もんだぞ?」
「ですから、アルナとはそんなんじゃないんですって、それに今は僕の出来ることをやるだけです。でも、まぁ……」
肝が据わっていると言えば聞こえがいいけど、単に開き直っているだけ。本当は今にも叫びたい衝動を必死に抑えている。
「ここで挫けたら何も成し遂げられないまま終わってしまうんじゃないかって」
今踏ん張らないと、多分今後何をやっても駄目な気がしたんだ。現状出来ることはとりあえず地道にコツコツ解決するしかない。
それは分かっているし決意したことだけど、やっぱり
「ナマ言いやがって、腹減ったろ? 飯食いにくぞっ!」
「もう、何すんだよ突然」
いきなり肩を抱いてきて、夜の街へと引きずり込んでいく。
まぁ、
ずるずると土壺にはまっていくような予感を体のいい言訳でかみ殺した。
ふとハウアさんの鼻がピクリと動いて、「くせぇな」と呟くや急に殺気立った。
通り過ぎようとした路地の奥からなんだか『とても嫌なもの』が漂ってきて、背筋が凍る。
「いったいこの気配は……?」
「さぁな……行くぞ……今のうちに象気を練っておけ」
僕は頷き、呼吸を整え、全身の細胞から生み出される象気を、丹田へと収束させていく。象気の奔流を一ヶ所に集め、溜め練り上げていった。
意を決し僕達は路地裏へと足を踏み入れる。段々と聴こえてくるのはくちゃくちゃと、例えるなら煩わしい咀嚼音、それか液体が滴る音。
『KYURRRR……』
視線の先にはまるで油の切れた車輪のような鳴き声をする異形の生物がいた。
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