第10話 『記憶』に何かが残る退院祝い
ぼりぼりとバツが悪そうに頬を掻くハウアさんは放っておいて。
「まだ目を覚まさないんですね。教授」
教授は無表情でベッドに寝たまま、まるで時が止まったかのように微動だにしない。
「ええ、お医者様の話では容体は安定しつつあるって。それよりもハウアから貴方も溺れて病院に運ばれたって聞いて驚いたわ。一体何があったの?」
どうしよう。昨日の今日でまだ心も頭もぐちゃぐちゃで、どう話したらいいのか。そもそもいったい教授とアルナの間に何があったのか。
「まぁ、良いじゃねぇかリーシャ。とりあえずそいつはまた今度で、ミナトも整理がついてねぇだろ?」
そんな自分の気持ちを察してかどうか分からないけど、ハウアさんが割って入ってくれた。昔からハウアさん、間の取り方が上手いんだよな。
「そ、そうね。ごめんなさい。多分例の通り魔……いえ、もしかしたら研究に関わることかしら……」
鋭い、夫婦ってこういうものなのかなぁ。確か教授は人類の起源について調べていた。そのことで教会に目を付けられている可能性は十分にある。
「悩んでも仕方がねぇだろ? ヘンリーをやった野郎は俺様達で捕まえるからよ。そっちは任せてリーシャは旦那の世話をしてやんな」
「そうよね。ありがとう。ハウア、ミナト……そうだ。これ預かって貰えないかしら? もしかしたら何かの役に立つかもしれない」
とリーシャさんが渡してきたのは、ヘンリー教授の手帳。きっと資料が詰まっている。そんな大切なものを僕等に提供するなんて……。
「良いんですか。その中には――」
と渋ったら、リーシャさんは静かに首を横に振ってきた。
「……多分、あの人なら、きっと、あなた達の力になることを望んでいるはず」
「そうかよ。分かった。ありがたく使わせてもらうぜ」
リーシャさんから手帳を託された僕は、元いた病室へと帰る。
ハウアさんはまだ話があるとかで残った。戻ってくると当然、勝手に抜け出しことで、看護師さんから大目玉を喰らったのは言うまでもない。
そして退院後――
「そのへっぴり腰は何だっ!? 滅茶苦茶鈍ってんじゃねぇかっ! オラぁっ!」
防御の上から、首が引っこ抜かれる程の衝撃を顔面に受け、一瞬意識を持って行かれた。
そういえば……僕は……どうしてこんなところにいるんだっけ?
怪我が治って早々、協会に訪れると、待っていたハウアさんに地下の訓練場へ案内されるや否や拳を交えてきた。
交えるなんて正直生ぬるい。今も一方的に殴り飛ばされている。
「腹ががら空きだ!」
顔面へ攻撃を集められ、そっちに気を取られた! お留守になった腹部に鋭い一撃が突き刺さる。力が抜け――。
「馬鹿野郎がっ! 腕下げてんじゃねぇよ!」
駄目だ! マズイっ!
蟀谷にハウアさんの……あれ? なんだ? この感覚……凄く眠い……床が冷たくて気持ちいいなぁ……ハウアさん、誰かと……喋っている? はっ!?
意識を失っていたのか! 足元もおぼつかない。
たった数分足らずの手合わせでもう脚にくるなんて。
「欠伸が出るぜ。ったく……さっさと立て! 意地を見せろ!」
昔はこんなの屁でもなかったのに、身体が重い。予想以上に鈍っている。
「ガキの頃はもうちょい根性あったと思ったんだけどな。こんなんじゃ次の仕事に加える訳にはいかねぇなっ!」
這いつくばる僕にハウアさんは容赦なく罵声を浴びせてきた。
「あ~あ、折角貴族の護衛の依頼を貰ってきたのによぉ。なんか《雨降りの悪魔》に狙われているっつぅ話だし、きっと羽振りも良いだろぉ~なぁ~」
何だって……っ!? ハウアさんの一言で心に火が灯るのが分かる。膝から下が震える……立て! 言うことを聞け! この!
「……も、もう一度……お願いします」
へこたれる場合じゃない! アルナと再び会える
「良い根性だっ!」
突進してくるハウアさんを真っ向から打ち合いに行って――気付いたらソファに寝かされていた。
「あら? 気が付いたのね。ミナト。どう気分は?」
「え、あ、はい、大丈夫です」
目の前にいたのは目元を白い仮面で隠した女性の――そうだ。手合わせの最中、ハウアさんと話していたのは確かグディーラさん。
その後は2、3回倒れて……駄目だ。全然思い出せない。
「えっと、僕はいったい……イテテ」
「まだ動かない方がいいわ」
頭を上げた途端全身に痛みが走り、堪らず惰性に身を委ねた。
まったくハウアさんは、こっちは退院したばかりなのに、手加減無しで打ってくるんだもんなぁ~。全身ボロボロ。
「ハウアにこっぴどくやられたみたいね。多分彼なりの退院祝いなんでしょう」
「ええ、分かっています」
分かりたくないけど。手荒な退院祝いもあったもんだ。
自力で起きられるまでに回復した僕に、グディーラさんはココアを淹れて労ってくれた。
「ハウアからだいたい話は聞いているけど、随分大変なことになっているみたいね。むしろ災難と言うべきかしら。まさかあの子が……」
「はい、でもまだそうと決まったわけじゃ……」
「そうよね。ただ最初にあんなに睨まれた理由も少し分かった気がするわ」
確かに初めて会った時、アルナは顔を隠したグディーラさんを凄く警戒してたもんなぁ。
などとアルナのことを考えていたら、部屋の外からやたら上機嫌な鼻歌が聴こえてきた。
「俺様の拳はぁ~天下無敵ぃ~」
シャワーを浴びてさっぱりと
「おっ! ようやくお目覚めか? 貧弱君っ!」
人を小馬鹿にするみたいに薄ら笑って、もの凄く憎たらしいんだけど。
「ハウア。貴方もう少し手加減しなさいよ」
「ちゃんと手を抜いてやったぜ。大して効いちゃいねぇだろ? なぁ?」
……いったい何を言っているんだ?
「何だその間は、てめぇがちゃんと【
「は? ちょっと待って!? 象術の組手だなんて一言も言ってなかったじゃないですか!」
象術とは全生物に宿る力の奔流、【象気】を操る技術の総称。
太古において魔術や魔法とも呼ばれていた。但し扱える人はごく少数しかいない。
一応は修行次第で誰でも習得可能ではある。けど修行というのが最早苦行。
8つの時に引き取られて、12歳になるまでずっと鍛錬の日々を送り、ようやく習得した。
更に重要なことは、悪用される危険性があるため一般人には秘匿されている。故に――。
「それに
「そういうことか、
……笑えない。でも確かに十分手加減されていた。ハウアさんが象術を使っていたら本当に病院へ逆戻りしていたのは間違いない。
結局今回の組手、基本の足運びと防御の復習で終わっちゃったな。
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