第8話 『天国』にしては天井が安っぽかったんです
死んだのか?
でも見慣れない天井が見えるし、なんだか身体が重い――ということは生きている?
「よう! ようやくお目覚めか? 虚弱君?」
聞き覚えのある精力的で軽薄な声が耳元で響き、頭が痛くなった。
「ハ……ウア……さん……? いったい……」
ぼやけているけど、銀色の毛並みの狼人種の男性がいることは分かる。それに呂律が回らない。
一体何があったんだ……? ここは病院か?
「さっき川に流されていたお前を、俺様が飛び込んで助けたんだよ。覚えてねぇのか?」
まだ思うように動けないけど、どうにか首を横に振る。
「薄情な奴だな。まぁいいや。今は休め。あとヘンリーだけどよぉ――」
もう限界。ハウアさんが大事なことを伝えようとしていたみたいだけど。考えることも億劫で、瞼が重い。視界がどんどん真っ暗になって……。
翌朝にはもうハウアさんの姿は無かった。一言お礼を言っておきたかったなぁ……。
「気分はどうですか?」
目が覚めて間もなくして、昨日治療してくれたという小柄な【
チェーザレット先生が訪れた。終始にこやかに聴診器を当て心音に聴き入っている。
「はい、身体がだるいのと、傷が少し痛むぐらいです」
「なるほど、良い傾向だ」
そうかな? 胸の包帯は実に痛々しい――と、不意に前日までの記憶が蘇る。
昨日アルナは僕を殺そうとした――ってことは、恐らく彼女が《雨降りの悪魔》だったということ……。
「でもアルナは泣いていたよな」
橋の上で最後に見たアルナの顔が、今も眼に焼き付いている。
そしてあの時の涙。自分にはアルナが世間で畏怖される人殺しを楽しむ殺人鬼とは思えない。何か理由がある気がする。
いや、今心配すべきなのはヘンリー教授だ。地面に血を流して倒れていたから、やっぱり助からなかったのかな?
「幸い傷は浅くて、すぐに縫合は出来たけど、問題だったのは発熱の方だね。たった1日で回復するとは、強い身体に産んでくれたご両親に感謝しなさい」
不意に話し掛けられ、我に返る。両親か。もう亡くなっているんだけどな。ちょっと待て?
怪我人は一旦病院へと担ぎ込まれ、死亡確認は病院で行われる。なら医師の先生なら教授のこと何か知っているかもしれない。
「先生、少し聴きたいことがあるんですが……」
「ん? どうかしたかな?」
「昨日、僕以外に運ばれてきた人はいませんでしたか? 例えば銀縁眼鏡をした……」
「あぁヘンリー教授だね。安心しなさい。命に別状はありませんよ」
「ほんとですか!」
ぐっ! 痛っ! 声を荒らげたら、急に胸に激痛が! 我ながら何て馬鹿。でも良かった。本当に良かった!
「大丈夫!? 見せてごらん……ふむ、傷は開いていないが、気を付けなさい」
「はい。すいません」
「君より重症ではあったのだが、勿論手術は成功した……ただね。まだ意識が戻らないんだ」
ヘンリー教授の無事に喜んだのも束の間、先生の一言で心が絶望感で一杯になる。
先生は一先ず1週間入院と言い残して去っていった。けど頭の中は後悔やら、絶望で溢れかえって、ぐちゃぐちゃでそれどころじゃない。
ふっと一人の時間が出来ると、どうしても物思いに
勿論悪い癖だって自覚はあったんだけど、それでもしてしまうのは
案の定、思い起こされるのはやっぱり昨日の雨の日。
もっと勇気があれば。教わった武術なんて恐怖の前では何の役にも立たない。
戦うなんて選択肢さえも浮かばなかった。なんて無力だ。滑稽過ぎて笑えてくる。
「くそ、情けない! 何のために、守護契約士になったんだ……」
と憐れな自分を責め続け、ほんと惨め、どうしようもないなぁ。僕は。
「よう、坊主。元気か――って、怪我人に元気もくそもねぇか?」
「レオンボさん」
突然大先輩のA級守護契約士のピーター=レオンボさんがお見舞いに来てくれた。
よれよれの外套を羽織って、ゆで卵を携え、見るからに胡散臭い【
かなりのベテランで、元王国軍の情報部出身。たしか今は《雨降りの悪魔》を追っていた筈。
なるほど。そういうことか……。
「どうしたよ。いつになく浮かねぇ顔じゃねぇか?」
「いえ、別に」
聴きたいことがあるならさっさと聴けばいいのに。
「まぁ、その様子じゃぁ俺が来た理由はもう分かっているようだな――」
「あれ? おっさんじゃねぁか? どうしたんだよ? こんなところで」
騒々しい。レオンボさんの話の切り出しの途中で、ハウアさんの軽薄な声が病室と頭に響く。
来てくれたのは嬉しいけど、他の方もいらっしゃるんだ。少しは遠慮してほしい。
「ハウア。なんだ、お前もいたのか。まぁ俺の用事は見舞い8割、捜査2割ってところだ」
「ぬかせ! どうせサボるための口実だろ?」
「がはは! バレたか!」
歳に似合わず、レオンボさんは華麗にハウアさんの拳を躱す。
人の気も知らないで、バカ騒ぎをされるとなんかこう、無性に腹が立つ。
「そんじゃぁ、まずは何か書くものを貸してくれるか?」
捜査2割の方から始めるんだ……。というか。手帳はあるのに? また?
「おいおい、またかよ。おっさん」
ハウアさんはコートの内ポケットから出した鉛筆を、レオンボさんへ投げた。
「うちのカミさんが、毎朝渡してくれるんだけどよぉ、いつもどこか行っちまうんだ」
毎回同じ言い訳。対格の良いわりに低姿勢で、つかみどころが無くて、いつも調子が狂うんだよなぁ。
「はぁ……それで、聴きたいこととは?」
「そう固くなるなって。こいつぁ形式的なもんだ」
緊張ならあなたの巧みな話術でとっくに解けていますって。
昨日起きたことを掻い摘んで話しをした。彼女は泣きながら殺したくないって叫んでいた姿が、頭から離れない。多分彼女にはきっと事情がある筈。
勿論現実を背けているだけだって気付いている。でもそう思っていないと、心を保てない気がして……ほんと弱いな。僕は――
「坊主。それが身勝手な希望で現実逃避かもしれねぇって分かっているのよな?」
「容赦なぇな。おっさん」
「そういうなよ。まさかそんなことになっていると思わんがな。まぁ現状そのアルナって嬢ちゃんは昨夜から行方不明だ。寄宿学校に行ってみたが、もぬけの殻だったよ」
「おいおい、おっさん。まさか最初っから張っていたのか?」
「
「ああ、別に構わねぇぜ。じゃあその前に――」
「あの、レオンボさん?」
遮るように口を挟む。ずっとずっと後悔していた。故郷が焼かれた時も、今回も。
ずっと自分を変えたくて、強くなりたくて頑張ってきた。だけど勇気を振り絞れなかったばっかりに、それを台無しにしてしまった。
僕も男。このままで終わってたまるかって気持ちがある!
「自分も捜査に加えてくれませんか?」
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