第18話『天国と地獄』
ボイル氏は英国へ留学していたことがあるらしい。日常会話程度ですがと、ボイル氏が一行の対応をしてくれた。
「私たちは芸を売って旅をしているものです」とゾーイが言えば、ボイル氏は「旅芸人というものですか! いや、嬉しい」と手を叩いて喜んだ。「この集落には
「ちいさな集落です、でも
さて、どんな見世物を
「さっきトニがやってたやつは? ボイルさん、喜んでくれてたよね」
「さっきやってたやつ? 」
リクの質問にコリンが被せた。
「さっき、どんな芸をするんですかって聞かれた時、トニがマジックしてくれたの」
コインが消えちゃったと思ったら口から出て来るやつ! とリクは身振り手振りでコリンに説明した。
「いいわね」
レアも頷いたが、当のアントワーヌだけは渋い顔のままだった。
「俺は同じ手品は一度やったら二度とやらないと決めている。それに、コインを使う手品は大人数向けではない」
「たしかに、マジックはタネが命だもんね」
ゾーイがアントワーヌの意見に賛成した。
「なら、何するの? 」
と、コリン。
「ジャグリングではだめなの? 」
聞くレアに、「それだと、私たちがいる意味ないよね」とリクが返した。
「旅芸人の一行って設定なんだから、私たち全員でできるものじゃないと」
「それもそうね」
リクの意見にはすんなり従うレアは、自分の
「何にも思いつかないわ」
「ゾーイは何か得意なこととかある? 」
尋ねるリクに、「残念ながら」とゾーイは首を振った。
「私も」
リクも溜息を吐く。
「コリン──は、馬だし……」
どうしよう、と視線を向けられたアントワーヌは、3人と1頭を見比べると ニヤリ、不吉な笑みを浮かべた。
「お前らでも、できることはある」
「本当? 」
能天気なリクが表情に気がつかないまま前のめりで聞く。
「ああ、しかも練習もしなくていい。度胸と忍耐だけ持ち合わせていればいい」
簡単だが苦痛な仕事というのは、どこにでも転がってるものだ。コリンは思った。
「旅芸人が来た」はじめての娯楽に、ちいさな集落は文字通り お祭り騒ぎだった。集落中の机やら椅子やらが広場に集められ、目一杯の ご馳走が並んだ。出来立てのビール樽は遠慮なく開けられ、従業員たち客人にも振舞われた。
「僕の家でつくったビールです、ぜひ、飲んで行ってください」
一行の座る席に、コリン青年が酒樽を持って近付いてきた。隣には、エーファが、エーファに引っ付くようにして、暗い表情のキーラがいた。
「コリンの家のビールは美味しいんですよ」
騒がしい祭りの中、エーファが精一杯声を張り上げて言った。
「ありがとう」
「いえいえ! 」
コリン青年は それぞれのコップにビールを注いだ。
「こんなに賑やかになるのは、本当にひさしぶりです」
と、コリン青年。エーファも、彼の言葉に頷く。
「明日は、私の結婚式なんです」
と、エーファ。
「こんなに楽しい前夜祭を、ありがとうございます! 」
汽車の一行は、それぞれの言葉で、エーファに祝福の言葉を贈った。
エーファも、言葉は通じずとも分かったのだろう。「ありがとう」と、笑顔で答えた。
「おめでとう」
最後に、コリン青年がエーファに言う。やはりどこか、悲し気な笑顔だ。
一行がコリン青年の表情に気がつき、視線を泳がせている中で、馬のコリンは、エーファのうしろにひっつくキーラを見ていた。こんなに楽しいお祭りの中、ひとり、暗い表情で
祭りは酒を進ませ、会話を弾ませ、住民たちと一行の距離を近くさせた。
コリン青年たちと別れた後、それぞれは、リュートを奏でているグループに連れて行かれて歌を習ったり、コリンは集落のこどもたちと遊んでいたり、たいへんに祭りを楽しんでいた。
このまま終わってくれてもいい、コリンだけでなく、恐らくアントワーヌ以外の従業員すべてが願っていただろう。が、現実は残酷なものだ。
おもむろに立ち上がったボイル氏が、一行に声を掛けた。
「さ、芸人さん方、お願いします」
「あっ……」
ほがらかに食事を楽しんでいた一行は、急に シン と、顔を強張らせた。
「ささ、こちらへ」
ボイル氏に手招きされ、一行は渋々 席を立った。
「お! ようやくメインディッシュか! 」
誰かが叫び、集まった全員の視線が、ステージに立つ一行に注がれた。
──「お前らは ただ立っているだけでいい。あとは俺が何とかする」
祭りの前、林の中でアントワーヌは言った。
「な、何するの? 」
リク、レア、ゾーイの3人は それぞれ、頭と両手の平の上に林檎を乗せた状態で立たされた。
アントワーヌは集まった客たちに、ナイフを9本、
「こんな状況で“笑え”なんて、どうかしてるわ……」
人々がざわつく中、レアが泣きごとを漏らすのが聞こえた。
──「いいか、これは“ショー”だ。緊張を出すなよ。笑顔でいろ」
お前らにできることは、それだけ。あとは俺を信じて、動かず立ってろ。
アントワーヌは自信たっぷりにそう言った。
無事ナイフを調達できたアントワーヌは、下手でスタンバイしている
──「あ、あの、質問──」
リクが手を挙げた。
「あの、これ、失敗したことは? 」
「一度もない」
いまから行われようとすることに気がついた客たちは静まり返り、ひきつった笑顔を浮かべる3人を見比べた。中には成功を願って祈り出す者までいたくらいだ。
緊張で
ナイフを1本、2本、3本、4本……宙に投げ、器用にジャグリングする。さきほどリュート弾きから習った歌を、おどけた口調で歌いながら、クルクルクルクル。と、次の瞬間。
「きゃっ!」
ゾーイの右手に置かれた林檎が後ろへ吹き飛ばされた。
地面に落ちた林檎を見ると、真ん中に ぶっすり、ナイフが刺さっていた!
投げた! 本当に投げたんだ! コリンは自分の背中に乗る男が恐ろしくなってきた。
「ほら、言った通りに歩け」
恐怖と興奮とで半ばパニックになっている観客の叫び声の中、アントワーヌの、いつもの不機嫌な声が降ってきた。コリンは信じられない気持ちで いっぱいだったが、足は勝手に言われた通りに進んでいた。
バン
バン
大袈裟な音を立てて、ゾーイが乗せる林檎が倒されてゆく。
寸分の狂いなく、ナイフは すべて 真ん中だ。
次はレア。
緊張の色は消えないが、隣りのゾーイを見て、落ち着きは取り戻してきているようだ。金髪の美しきウェイトレスは、パッチリ と大きな瞳で祈るように自らの指揮官を見つめていた。
一方、
一個目。
二個目。
順調に林檎を割ってゆく。
はあ、と息を吐こうとした、その時──
「きゃあっ! 」
レアの悲鳴が客席に響き渡った。
アントワーヌの放ったナイフが、左手の林檎とレアの首元との間を通って行ったのだ。
外した⁉ 立ち止まって振り向くと、背中の道化師は、客席に
「えっ」
その時、自分の頭上を過ぎてった
「きゃあああっ! 」
さらに大きな悲鳴がレアから鳴った。見れば、レアの左手から林檎が消えている! 代わりに、ナイフが しっかり刺さった林檎が地面に転がっていた。
呆気に取られている観客からの拍手に、アントワーヌは満足気な笑顔で答える。
後ろを向いて投げた! 正気じゃない! ふたたび手綱を打たれ歩き出しながら、コリンは足の震えるのを感じていた。
最後はリク。
「お願い、トニ。トニお願い──」
歯の隙間から漏れる微かな祈りが、コリンの耳に届く。
レアへのパフォーマンスを見て、すっかり おびえきってしまっているのだ。
レアよりも さらに離れた位置に立っている、そして3人の中で いちばん体の ちいさなリクへ、トニは狙いを定める。さすがに もう、ナイフを回すことはしていない。
一投目。
見事、ナイフはリンゴの中心を捕らえた。
二投目──と、アントワーヌは困った表情になった。コリンの歩みを止め、観客にナイフを見せる。そうだ、レアの時に一発外したせいで、ナイフがあと1本しかないのだ。
林檎は2個、ナイフは1本。
と、アントワーヌはリクへ、左手を頭の位置まで持ち上げるよう、身振りで指示を出した。
まさか、まさか。
「1本で2つを射抜こうとしてんのか⁉ 」
客の中の誰かが叫んだ。
アントワーヌが指を パチン と鳴らす。「ご名答! 」とでも言っているみたいに。
「トニぃ……」
おとなしく指示に従いながらも、リクは半分ベソをかいてしまっている。そんなリクを横目に、アントワーヌは観客に手拍子を求めた。
最初は ゆっくりだった手拍子が だんだん早く、
ふたつの林檎は宙に投げ出された。
アントワーヌの放ったナイフは見事見事、2個の林檎を射抜いたのであった!
客席からは大歓声と、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます