第12話『みどりのけむりと霧の細道』

 人ひとりが やっと通り抜けられるかという細い林道。白い霧が景色をかすませている。舗装されていない地面は ぬかるみ、コリンたちの足を重くさせた。

「お前の なんだろう? もっと しっかり歩け」

「そうよ、コリン。せっかくの故郷なんだから」

「いつまでも暗い顔してないで、胸張って歩くんだよ! ほら、メリィだって楽しそう」

 言って、ゾーイがコリンの胸元を指差した。コリンの首から下げられた鈴が、ひとりでに カランカラン と音を立てた。

「でも、本当に変なの! 」

 先頭を歩くリクが、コリンたちを振り向いて言った。


時はさかのぼること1時間前、ある程度の仕事を終えたコリンたち従業員は、ふたたび食堂車に集まっていた。

探索に出掛ける5人。コリン、リク、レア、ゾーイ、そしてアントワーヌは、衣装係のメル⁼ファブリが短時間で完璧にい上げた衣装を身につけていた。あさのシャツ、色の抜けたズボン。女性は、同じく麻でできた、おそろいのワンピースだ。

「私たち、まるで3姉妹じゃないかしら! 」

 リクとゾーイとを見比べて、レアが嬉しそうに言った。

「レースがないドレスを着てるレアって、何だか新鮮だね」

 リクが言う。普段の、ヘッドドレスにフリルの重そうなドレスにヒールの高いパンプスといった格好と比べたら、まったく質素という格好だったからだ。

「たしかに! 」

 と、ゾーイ。「でも」と付け加える。

「新鮮と言えば、トニもよね。そんなシンプルな服着てるトニ、見たことない」

 たしかに、とコリンたち従業員は またうなずいた。

いつも赤だの青だのみどりだの派手な色のスーツで身を包み、真っ赤な髪の毛を丁寧に なでつけている汽車の指揮官が、今、お世辞にも綺麗と言えない、どちらかと言えば貧相な服を着て、髪の毛も はねるまま くねるままにさせている。

「なんつーか、あんま似合ってねえな」

 アントワーヌを まじまじ見て、アダムが言った。

「似合わなくて結構」

 言われた指揮官は不貞腐ふていくされたようすで部下に言葉を返すと、「さて」とメル⁼ファブリを見下ろした。

「〈プーカの衣装箱〉とやらの性質を いまいちど確認しておこう」

「〈衣装箱〉は3回までしか使えない。箱を使用する対象者が見たことがある人や物、なんにでも変身することができる。が、持続時間は12時間のみじゃ。以降、変身は解けてしまう」

 メル⁼ファブリは そこまで言うと、「では、さっそく使いかたじゃが」と、続けた。


 「いち、箱の鍵部分を自分のほうに向けて持ち、変身したい人や物を思い浮かべる」

 コリンはメル⁼ファブリから言われたままを復唱しながら、箱を構えた。

 変身する対象を思い浮かべているのだろうか、しばらく目を つぶっていたコリンだったが、次第に眉間にシワが寄り、パッ と目を開けて、従業員たちを見渡した。

「何に変身したらいいと思う? 」

 コリンからの お間抜けな問いに、緊張の面持ちで見守っていた従業員たちは、一気に脱力した。

「おいおい」

「あのなあ」

 アントワーヌとアダムが溜息をついて言う中、若い炭鉱婦であるリクが、口を開いた。

「コリンにとって馴染なじみみ深いモノがいいんじゃない? 」

「馴染み深いモノ、かあ」

 が、せっかくの提案にも、コリンは首を傾げてしまった。

「うまく思いつかないよ」

 ここで従業員一同も、「うーむ」と頭を抱えてしまった。

「ここはあえて女の人とか? 」

「女の人って、具体的に誰に化けるんだ? 見たことあるモノじゃねえと変身できねえんだろ? 」

「バッグとかはどうかしら? 人じゃなくてもいいのでしょう? 」

「コリンのいた時代によるかもしれないな。いいモノがあれば」

「僕、道具に化けるなんて嫌だよ! 人がダメなら、せめて動物がいい! 」

「わがままなやつだな」アントワーヌは吐き捨てるように言い、「動物かあ」リクはふけって呟いた。

「鳥なんてどうかしら? 可愛いじゃないの」

 レア。

「鳥⁉ うまく飛べるかなあ? 」

「コリン、キリン」

 ミハイルが言う。

「それダジャレでしょ? 」

 リクが溜息をつく。

「うーん、何がいいんだろう」

 コリンが悩んでいる横で、ゾーイが「馬、なんて、どうだろう」と小声で言った。

「昔さ、コリンっていう競走馬がいたんだよ。父親が好きでね。って、私のもダジャレみたいだけどさ──って、トニ⁉ 」

 ゾーイが驚いたのも当然。

「馬か、いいじゃないか」と頷いたアントワーヌが、コリンの了承なしに、コリンに向かって〈箱〉を開けてしまったからだ。短気な指揮官は、いつまでも ウジウジ 物事が進まないのに耐えきれなかったらしい。

「ちょっと! トニ! わあっ! 」

 〈衣装箱〉を開いたとたん、目の前で雷が パチン と、ひらめき、かと思えば、開口部から、みどり色の不思議な煙が、滝のように どお っと流れ出てきた。こんな ちいさな容れ物に、どうやったら この量の煙を入れることができるだろう! 煙は瞬く間に食堂車内を席巻せっけんし、コリンたちの視界を完全に奪ってしまった。

 自分の手足さえ認識できない、もくもく 冷たい煙の中。コリンは、くすぐったいような、気持ち悪いような感覚に襲われていた。と、見間違いだろうか。すぐ目の前で、もう一度、稲光が パチン と光ったのを見た。

 煙が晴れ、コリンは見事にポニーに変身していた。

 一方で、アントワーヌが、いつの間にか床に落ちていた鈴を拾い上げていた。

「わざわざ鈴に化けたのか」

 指揮官が話しかけると、鈴は ひとりでに カランカラン 音を立てた。みどり色の煙の中、コリンが見た光は、メル⁼ファブリが衣装箱を開いたものだったのだ。


 コリンは自分の首にくくりつけられた、カランカラン と おしゃべりな鈴を見下ろして鼻息を吐いた。

「まさかメル⁼ファブリまでついてくるなんて」

 呟くと、鈴は カラン と返事をした。

「いつもは無口なのに、しゃべれなくなったとたん、多弁たべんになるなんて! 」

 珍しく じょうずに皮肉を言えて にんまりしていたコリンだった。が、アントワーヌから乱暴らんぼうに手綱を引っ張られ「ヒヒン! 」と叫び声をあげた。

「痛いよ! 急に どうしたの⁉ 」

「分かれ道だ。どっちだ」

 燃えるような赤髪を布で隠した、珍しい恰好をしている指揮官は、いつもの ぶっきらぼうでコリンに尋ねた。

アントワーヌの言う通り、細い林道は、直進と斜め左とで割れていた。

「ひだりだよ」

 コリンは迷わず答える。

「ここまでくれば、あと ちょっともしないうちに村に行き着くよ」

 明るい声で付け加えて、急に どんより 鼻息を吐いた。

「でも、せめて、いつも通りの僕で ありたかったよ。こんな、馬みたいな姿で──」

「“みたい”じゃなくて、馬そのものだよ、コリン」

 悪気のないリクのツッコミが最後方から聞こえてきて、コリンは ブルル とくちびるを鳴らす。

「僕、君のこと、嫌いって言ってもいいんだよ、リク」

「あと少しで町につくんでしょう? 」

 と、リクの前を歩くゾーイが口を開いた。

「町よりも、ずっと ずうっと ちいさい集まりだけどね」

 と、コリン。

「私たちが どういう集団なのか、決めないといけないんじゃない? 」

「そう言えば! 」

 ゾーイの問い掛けに、リクが頷いた。

「旅人でいい」

 先頭を歩くアントワーヌが興味なさげに言った。

「旅人なのは誰が見ても分かるわ! どういう旅人なのかってことが大切なんじゃないの」

 コリンとゾーイの間を歩くレアが反論する。

「旅芸人なんてどう? 」

「旅芸人? 」

 リクの提案にコリンが鸚鵡返おうむがえしにする。

「各地を転々としながら芸を売る人間のことよ。さすがリクね、それでいきましょう! 」

 と、レアが賛同する。が、すぐにアントワーヌが反対した。

「芸を見せろと言われたらどうするつもりだ」

が、自らの上司である指揮官 相手でも決してひるまないのが、我らのウェイトレス、レアなのだ。

「トニが なにかやってみせるに決まってるじゃない。こういう時に力を発揮しないで指揮官なんて名乗れるのかしら? それとも、他にいい案があるなら言ってみなさいよ」

 洪水のごとく言い返されたアントワーヌは、ぐぐぐ と奥歯を噛み締めて黙ってしまった。なんの反論もアイディアも思いつかなかったのだ。

「トニって汽車に乗る前は芸人だったんだっけ? 」

 ゾーイの言う通り、堅苦しく冷徹れいてつに見える汽車の指揮官アントワーヌの前職は、パリの街頭に立つ道化師だった。

「“なにかやってみせる”って、道具もなにもなくてもできるものなの? トニの芸って、ジャグリングでしょ? お手玉」

 リクが尋ねた。

「ジャグリングに関しては、こちらが道具を用意する必要は無い。片手で投げられるものなら大抵のものは回せる」

 若い部下からの質問に、アントワーヌは眉間にシワを寄せながら、それでも冷静さを持って答えた。

「それに、ジャグリングだけしか芸を持っていない訳ではない」

 まったく、と呟くアントワーヌの様子に、コリンの後ろを歩く女性たちは クスクス と笑い声をらしていた。

「なんだかんだでやってくれるのよ、トニは」

「やさしいんだね」

「こら、ふたりとも。あんまり褒めすぎても可哀想」

 コリンが視線を上にやると、真っ赤になっている、アントワーヌの耳が見えた。胸元では、メル⁼ファブリが楽しそうに カランカラン 鳴っている。

「アントワーヌもアントワーヌで大変なんだなあ」

 コリンは心の中で、クールを保とうとする指揮官に同情をした。

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