第8話『頼れる仲間と衣装箱』
汽車から降りれば、コリンが消えかねない。そう言われてしまっては、コリンは怖気づくことしかできない。もちろん、故郷に帰りたい気持ちは本物だ。父や母や、妹たちに会いたいし、なによりも、エーファが待っているに違いなかったから。
もうすぐ2年だ。故郷を離れて、エーファのもとから突然いなくなってしまってから2年。コリンは、ずっと ずっと故郷を夢見てきた。いつかまた、たどり着けるだろうと願って来たし、信じてきた。チャンスは来ると。そして今、まさに、チャンスが来た。来たはずだったのだ。
「コリンさん、何と お声がけしたらよいのか……そんなに、落ち込まないでください」
テーブルに
料理のできないポンコツ料理長は、戸棚の奥に こっそり隠しておいたポン菓子を、コリンのためにと特別に皿に取り分けてくれた。
「ありがとう」
コリンは力無くソジュンに礼を言うと、また溜息をついた。
一方でソジュンは、仕事場である調理室で凹まれているのに すっかり困ってしまっていた。そろそろ夕飯の支度に取り掛からなければならなかったのだ。とは言え、夕飯を取るのは従業員たちだけで、シビアに時間を気にすることはしない。が、本来なら この時間には、最低でも仕込みを はじめていないと、みんなの夕食が夜遅くになってしまう。
それなのに、スチュワートのコリンは調理場に居座っているし、料理ができるウェイトレスの ふたり、レアとゾーイは、ちょっと用事があると出掛けたまま、未だ持ち場に帰ってきていない。
両眉を弧の字に下げたソジュンは、うつむくコリンの前に椅子を引いてきて座った。
いつの間にか迷い込んできていた、ソジュンのペット、“ミイラ猫のディン”が、彼の
「あの、こういうことを言ったら、さらに
甘える愛猫を拾い上げて、ソジュンは そっと、コリンに言葉を掛けた。
「さっき、客車の妖精たちが
「“汽車の誰かを呼んでる? ”」
ソジュンの言葉に顔を起こしたコリンは、
「どういう意味か、詳しく聞いてみたんです」
と、ソジュン。
「そうしたら、どうやら、つぎの停車地は、この汽車を呼んでいる人間がいるから停まるんだと言うんです」
「汽車を呼ぶ? 」
「ええ」
コリンの質問に、ソジュンは深く
ポンコツ・コックのソジュンは、幼い頃から妖精に慣れ親しんでおり、妖精に関しては他の従業員たちと比べ、詳しいのだ。
「妖精たちに言われました。
“『人工的特異点』は人間たちだけが作れるものじゃない。妖精や妖怪、幽霊であるワレらでも作ることができるのだ。ワレらは人間どもと違い、自由自在に時空を超えることができる。この汽車の目的地を作っているのは、半分は《ワレら》なのだ。この汽車を呼んでいる人間がいる。だから今回は、その人間のために汽車を停めるのだ”
と。妖精たちは嘘つきです。おおくの嘘をつきます。ですが、今回 僕に語ってくれた内容は、どうも、嘘とは思えません」
ソジュンの説明に、コリンは恐る恐る口を開いた。
「あのさ、その、汽車を呼んでる人は、どうして汽車を呼んでるの? 」
料理長は真剣な黒目をコリンに向けた。
「どうやら、汽車の従業員に用事があるらしいのです」
重たい口調で、ゆっくり、話す。
「アイルランドに ゆかりのある従業員。コリンさんしか いらっしゃらないのでは? コリンさんを呼んでいる人間が、つぎの目的地にいるのです。だからコリンさんが降りるのは危険すぎる。妖精たちは嘘つきで
だからコリンさん。今回は、諦めてください、ソジュンが言葉を続けようとした、その時、調理室のアコーディオンカーテンが開いた。
「それ、本当に使えるんでしょうねえ? 」
「知らねえよ、使ったことねえんだからよ」
「使ったことない物を他人で試そうとしてるって訳? 」
「さっきも言っただろ、使うのに回数制限があんだよ! それに、使う機会なんてなかったしな」
「変なこと起きたら、全部あんたが責任持つのよ」
「うっせえな! だから、さっきから分かったっつってんだろ! 」
若い炭鉱夫は そう怒鳴って言い合いを終わらせると、ムっとした顔をコリンに向けた。ズカズカ 大股に近づいてきて、「ほらよ」と、ちいさな焦げ茶色の箱を投げてよこした。
「何? これ」
必死に受け取って、コリンは ゆっくり手の上の物を見た。
アダムから渡されたのは、145センチメートルのコリンの手の平にも すっぽり収まってしまう大きさの、鍵のついた、古ぼけた木箱だった。
「アディが説得してくれたんだから。コリン、あんた感謝しなさいね」
さっきまで声を荒げていたレアが、凛と静かな声で言った。
「説得? 」
コリンが聞くと、「そうだよ」とゾーイが
「あのあとアディったら、わざわざトニの部屋に乗り込んで行ってね。コリンに故郷の土を踏ませてやってくれって、交渉してくれたんだよ」
「交渉というか、ほとんど喧嘩だったけどな」横からニックが苦笑いで言い、「アダムって絶望的に交渉向いてないよね」リクが こっそり付け足す。
「うっせえな! 」
アダムは炭鉱夫仲間を叱り付けると、耳を赤くしたままでコリンに向き直った。
「とにかく、ゾーイの言ってた通り、トニから許可を貰ってやった」
「ア、 アディ! 」
ただの意地悪じゃなかったんだ! と
「その箱。それを使わない限り、下車することはできねえからな」
「そうだ、この箱! これは何? 」
コリンは言って、手の上の木箱を目の前の調理台に乗せた。
ソジュンが、隣りから木箱を まじまじ 見て、「え、これって」と口を開いた。
「まさか、〈プーカの衣装箱〉──ですか? 」
「よく分かったな」
流石だな、とアダムは感心してソジュンを見た。
「〈プーカの衣装箱〉? 」
後ろから
リクの問いに答えたのは、やはりソジュンだった。
「プーカという妖精がいてね。変身妖精という異名を持っているんだ。その名の通り、さまざまな ものに姿を変えることができる」
「ミカとは違うの? 」
と、レア。
「ミカも、〈
「いいえ、カレらは“変身妖精”ではありません。たしかに〈
「分かってはいたが、改めて聞くと、身震いしちまうな」
アダムが大袈裟に体を震わせて言った。
「ですよね。しかし、〈
ソジュンは穏やかに言って、プーカに話を戻した。
「一方でプーカは、何と言いますか、妖精たちの間では非常に優秀な種なんです。全体の数も多いですし、集団で行動しますしね。変身能力の使い手に ふさわしく、警戒心も かなり高いです。プーカの能力の特徴は、実際に見たことのあるもの “すべてに”
「好きな時に変身でき、好きな時に変身を解くことができます。で、この箱っていうのが、〈プーカの衣装箱〉と言って、プーカの能力が詰め込まれた箱です」
ソジュンは、慎重に箱を手に取って、みんなに見せた。
「この箱があれば、変身能力のないモノ、妖精も人間も動物も関係なく、プーカと同様に変身することができます」
「これは、プーカが作った物なの? 」
箱を じっと眺めていたリクが聞いた。
「うん。プーカの変身能力は、妖精たちにとっても憧れだからね。使い勝手がいいし。だからプーカたちは、しばしば、交渉の材料として箱を持ち出すんだ。使用に当たって回数制限や制限時間はあるけども、それでも、最強の変身能力が詰まった箱だからね。プーカも箱を渡す相手は厳選してる」
そこまで喋って、ソジュンはアダムに視線を移した。
「これ、アダムさんの持ち物なんですか? それとも指揮官? 」
「俺のだ」
アダムは さらり と答えた。
どうして こんなものを持ってるんですか? 聞きた気なソジュンの顔を読み取ったのだろう。慣れた手つきで箱を
「まあ、なんつーか、知り合いっつーか、顔見知りのプーカがいんだよ。プーカのくせして単独行動してる変わり
「本当、アディの交友関係って訳わかんないわね」
レアが呆れたように感想を
「この箱、安全なのかしら? 信じていいのかしら? 」
「はい、それはもう! 」
ソジュンが勢いよく頷く。
「さっきも言った通り、変身できる時間は限られます。かっきり12時間です。それまでの間に、コリンさん──」
ソジュンは真剣な眼差しをコリンに向けた。
「絶対に汽車に帰ってきてください」
「って、ことだな」
アダムも、口元に笑みを浮かべてはいるものの、どこか緊張した面持ちで、コリンの手の平に箱を ギュッと 置いた。
「箱を使うのか、それとも使わねえのか、判断はコリンに任せるぜ」
この箱はやるよ、アダムは言って、リクとニックを連れて調理室から出て行ってしまった。
残されたコリンたちは しばらく ぼんやり、魔法の衣装箱を見つめていた。
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