第5話『暗い部屋とロバの案内人』

 アントワーヌに導かれた場所は、1号車ロイヤルスイートルーム。指揮官の さらに上の位、汽車の主人オーナーが住んでいる部屋だ。ここで働き始めてから もうすぐ2年になるコリンだが、この部屋に入るのは、2度目だ。

 オーナーは“シンイチ”という名前の、目の細い黒髪の青年だ。人間嫌いで人見知りという元来の性格から、滅多に部屋から出てこない。そのせいで、青白い不健康な肌をしているし、運動もしないから、うなぎのように、ひょろりと細長い体型をしている。

 シンイチの部屋は彼の人間性を そっくり そのまま投影しているように見えた。窓という窓を分厚いカーテンで ふさいでいるせいで、年中 薄暗い。シャワー室の換気を面倒くさがるから ジメジメ する。部屋の奥には本格的な暖炉が掘られているが、まきの破片すら見当たらない。扉の横にそびえる大きな本棚も、存在を忘れられたかのように ひっそり息を ひそめているだけだし、この部屋で唯一、人が生きているというのが確認できるのは、中央に置かれたソファと、唯一の光源となっている、ソファテーブルに乗せられたランプだけだ。

 しかし、立派な部屋だ。コリンたち従業員たちは、無意識に無遠慮に、部屋の隅々すみずみまでを見渡してしまう。

「わざわざ どうして従業員たちをここに集めるのかな」

 部屋の一角、暖炉と窓の間の闇から、不機嫌な声が聞こえた。従業員たちが一堂に会する中、主であるシンイチは部屋の隅に追いやられてしまっていたのだ。

 箱椅子のうえで ひざを抱えるシンイチの そばには、彼の世話係である老女、“チェンシー”の姿も見える。

「お前にも知っておいて もらいたい話があるんだそうだ」

 アントワーヌが言う。

「“あるんだそうだ”って? 」

 不思議な物言いに、首をかしげたのはコリンだった。と、閉じていた部屋の扉が開いた。コリンは扉の方を見やった。廊下からの光で、一瞬、目がくらむ。

 振り向いた そこには、頭の おおきな影があった。

「急に呼び出して悪かったのう」

 影はそう言うと、すぐに扉を閉め、ノッシノッシ と重たい足音を立てながら、従業員たちの前に立つアントワーヌの側まで寄った。

 暗がりにやっと馴染なじんだ目に映ったのは、人間の体にロバの頭という、奇妙な見た目の、小柄なオトコだった。カレの名前はメル⁼ファブリ。〈服飾の精レプラホーン〉という妖精ながら、汽車で被服係としてコリンたちと同等に働いている。

 集まった従業員たちの中には、メル⁼ファブリと同様、妖精の従業員が もうひとりいた。コリンの すぐ右手に立つ、黄土色の髪で目を覆ってしまっている少年。コリンと同じ瑠璃紺色るりこんいろのスーツに身を包むカレの名は、“ミハイル”。その正体は、〈入れ替わりの精チェンジリング〉という いたずら妖精だ。スーツから分かる ように、ミハイルもコリンと同じくスチュワートという職についている。

 「それにしても」

 レアが口を開いた。

「メリーが自主的に動くなんて珍しいわね。いつもジブンの部屋に引きこもってばっかりなのに、どういう風の吹きまわしなのかしら? 」

「たしかに」

 相槌あいづちを打ったのはリクだった。

 ふたりの言う とおり、メル⁼ファブリも、シンイチと同じく“ひきこもり体質”なのだ。

ロバ頭のカレは、他〈服飾の精レプラホーン〉たちが そうであるように、狭く暗い場所と孤立を好んでいる。そのため、滅多に部屋の外に出て こようとしなければ、自ら すすんで他人と話しをしようなんてこともしないのだ。

 レアから茶々を入れられたメル⁼ファブリは、従業員たちを見渡すと、「どうしても、お主らに話しておかねばならない用事が あったんじゃ」と目を細めた。

「重要な話なんだね」

 ゾーイが問い、メル⁼ファブリは おおきくて重たい頭を上下に振った。

「重要な話じゃ。特に、コリンに とっては」

「ぼ、僕? 」

 とつぜん話題の中心に押し出されたコリンは、びっくり仰天と、目を見開いた。

「単刀直入に言うが──」

 黒目がちな目でコリンを しっかり捕らえて、メル⁼ファブリは話し始める。

「次の停車駅でコリン、お主は汽車を降りてはならん」

 

意外な言葉から はじまった話に、従業員たちは もちろんのこと、乗り気でなかったオーナーのシンイチまでもが、前のめりの姿勢になった。

「それは、いったい、どうしてだい? 」

 意外にも、真っ先に質問を口にしたのはシンイチだった。

「そう言えば、シンイチには説明しておらんかったのう」

 おおきな頭をよろめかせながら、ゆっくり部屋の隅へ振り向いて、メル⁼ファブリが言った。その言葉に噛みつくのも、シンイチだ。

「“には”? どういう意味だい? 」

「俺には説明してある、ということだ」

 アントワーヌがシンイチに向いて返答した。

「なるほどね」

 細目のオーナーは「納得」とうなずいて「つづきを話して」とロバ頭に指示した。

 ようやく本題に はいれる、メル⁼ファブリとアントワーヌは ふたたび従業員たちへと視線を戻した。

「さきほど言った通り、これから話す事実は、みなが知っておく必要があるものじゃ。特に、コリンはな」

 リク、アダム。

「何? 」

「ん? 」

 指名された炭鉱夫たちは、同時に首を傾げてロバ頭を見た。

「汽車の次の停車地は、どこじゃったかのう」

 質問に対し、アダムが「コリンの ふるさと、アイルランドだ」と答えた。

「ただし、汽車の位置、速度から割り出した憶測おくそくであって、正確かは わかんねえぞ」

「いいや、正確じゃ。汽車はアイルランドに停まる」

 付け加えたアダムの言葉を飲み込むように、メル⁼ファブリは力強く断言した。

「細かいことまで分かっておる。汽車はケリーにある湖の すぐ側に停まる。そして時代は、コリン、お主が生きた時代じゃ」

「えっ」

 メル⁼ファブリの言葉は、隣りにいたアントワーヌでさえ、驚きを隠せない表情にさせた。従業員たちはお互いに顔を見合わせ、また、ロバ頭を見つめた。

「おいおいおい」

 真っ先に口を開いたのは、アダムだった。

「どうして わかるんだ? メルも知っての通り、この汽車には、ハンドルってのも なければ、ブレーキってのも ねえんだぞ」

「ああ、よおく知っておる」

 若い炭鉱夫の言葉に、メル⁼ファブリは ゆっくり頭を上下に振った。

「どうしてワタシが次の停車地を言い当てられるのか。それを説明するためには、《はるかむこうの ものがたり》を聞いて貰う必要がある」

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