第4話『ロマンとリアル』

 「エーファは誰よりも優しくて可愛くて、本っ当に本っ当に いい子なんだ! それで、僕のことが大好きでさあ」

 コリンの惚気のろけを聞いて、リクは、「素敵だなあ」とつぶやいた。レアは、「幼馴染おさななじみで運命の人だなんて、コリンのくせに、ロマンティックね」と、ちいさな友人を見直したみたいだった。

 一方でアダムは ふん と鼻を鳴らし、コリンの顔を まじまじ眺めた。それで、「このコリンが領主様にねえ、ぜってえ向いてねえよ」と毒づいた。

「ア、 アダムさん……! 」

 失礼ですって、とソジュンは小声でとがめたが、当のコリンは まったく気にしていないようだった。それどころか、「そうなんだよねえ」と肯定し、思い悩むみたいに頬杖ほおづえをついた。

「さっきも話したと思うけど、僕、エーファとの結婚は、本当に本当に嬉しかったんだ。エーファも そうだったように、僕もエーファのことが大好きだったからね」でも「やっぱり、大好きな子と結婚するのと、領主様に なるのとでは、覚悟が全っ然ちがうんだよね。だって、エーファを愛するのと同じくらい、集落の みんなの面倒も見て行かなきゃならないってことでしょ? 僕は僕のことだけでも いっぱい いっぱいになのに、どうやって みんなのことも考えられるの? 」

「うーん、そう考えると、難しいわねえ。ただロマンティックってだけじゃないのね」

 目を キラキラ させていたレアも、コリンの言葉に口をゆがませた。

「一般的に言われる領主たちとは違って、エーファちゃんの ご両親は集落の人たちに親切だったし、したわれてたみたいだもんね。農作物を納めさせるだけじゃない、住民たちを ちゃんと把握していて、結婚させたり、付き合いを決めたり……大変な仕事なのね」

 ゾーイが腕組して言った。

「人の上に立つのも、楽ではないんだな」

 ニックも首を上下させる。

「だから、僕、こんなこと言っちゃっていいのか分かんないけどさ」

 コリンが口を開く。

「この汽車に連れてこられて、ちょっとだけ、安心しちゃったんだ。エーファのことを考えると、こんなこと思っちゃいけないのは分かってるんだけどね」

「分かるぜ」

 珍しく同情してくれたアダムに、コリンは「本当? 」と表情を明るくさせたが、若い炭鉱夫が焼きたてのクッキーを口いっぱいに詰め込みながら、まったく別の方向を見ているのに気がつき、眉間にシワを寄せた。

「僕、アディのことだけは絶対に信用しないよ……」

 コリンが呟く横で、ついさっきまで真剣に話を聞いてくれていたリクが、バッ と立ち上がった。

「私も食べたいのに! 全部食べないでよ! 」

アダムに突進していったのを皮切りに「そうよ! このクッキーはリクのものなんだから! 」とレアも参戦し、「俺にも、一枚いいだろうか? 」控えめではあるが、ニックも手を挙げた。

「もう、僕は誰も信用しない……」

 コリンは不貞腐れてオレンジジュースを飲み干した。

「まあ、まあ、コリン」

 激化を増すクッキー争奪戦に困り笑いをしながら、ゾーイとソジュンだけは、コリンに関心を持ったままでいてくれていた。

「アディとリクの話だと、もしかしたら次の“駅”はコリンの故郷になるのかも知れないんでしょ? 」

「ひさしぶりの ふるさとですね! 楽しみなんじゃないですか? 」

「ああ! ふたりとも! 」コリンは心優しき褐色のウェイトレスと黒髪の料理長に目を輝かせた。「僕の味方は君たちだけだよ! 」

「ひさしぶりの故郷は、本当に楽しみだよ! 今から ドキドキ が止まらない! 」

「下車とか、するの? 」

 ゾーイが聞く。

「下車? 」

 ゾーイの質問に質問を返したのは、クッキー戦争に夢中になっていたはずのリクだった。

「下車って、汽車を降りるってこと? 」

「そうよ」

 めでたくクッキーをゲットできたレアが答える。

「自分の降りたい停車地で降りる。私は見たことないのだけれど、前まで結構いたらしいのよ、そういう人」

「らしいな」

 アダムが頷く。が、すぐに「でも」と加えた。

「“トニ”は推奨すいしょうしてねえ」

「どうして? 」

 次に質問したのは、コリンだった。コリンの質問に、アダムは不機嫌な表情になる。

「知らねえよ! 前に下車しようとしたら、トニから こっぴどく怒られたんだよ。何でだ? って聞いても、“何でもだ”って! 絶対ぜってえトニも理由 知らねえで言ってる」

 “トニ”、というのは、この汽車の指揮官である“アントワーヌ”の愛称だ。以前まで彼は、訳あって“砂の精”という妖精にりつかれていた。“砂の精”とは、コリンを ここに引きりこんだ、あの、青い服を着て、赤い雨を降らせたオトコのことだ。

「トニのことだから きっとまた、誰かからの受け売りね」

 そう言ってレアが笑った後ろから、「受け売りの知識で申し訳ないことをしたな」と地をうような声が聞こえた。

「ト、トニ⁉ 」

 調理室がある側の貫通扉かんつうとびらの前に、声の主は立っていた。

 燃えるように真っ赤な髪の毛を なでつけ、髪と よく似た色の派手なスーツを びっしり着こなしている。これが、汽車の指揮官、“アントワーヌ”だ。

「おやつ時に食堂こんなところに来るなんて、珍しいわね。どうしたのよ」

 美しい顔を引きつらせながら、レアがたずねた。

 赤髪の指揮官は汚れてもいないスーツの胸元を払いながら、彼の従業員たちが顔を向かい合わせている机に向かった。中央に置かれた、アダムの手紙をまみ上げると、「何だ、これは」と言った。

「手紙だよ、俺がコリンの代わりに書いてやった」

 と、アダム。

「ヘンテコな手紙ね。くどいし、ダサいし、奇妙な手紙よ」

 レアが付け足した。「なんだと! 」とアダムが声を張り上げたが、アントワーヌから「うるさい」と頭をはたかれ、渋々しぶしぶ 口を閉じた。

「なぜ手紙の代筆などしているんだ? 」

 アントワーヌがアダムを見下ろして尋ねる。叩かれた後頭部を抱えたままのアダムは、すねた子供がするみたいに口を ひん曲げたまま顔を背けた。が、「おい答えろ」と今度はひたいを容赦なく狙われ、早々に根を上げた。

「分かった、分かったから! 前にレアからもリクからも ぶん殴られたんだけど、何で みんな俺にだけ暴力的な訳? 」

 悲鳴を上げるアダムを見て、コリンは「アディも色々 大変なんだな」と思いながらクッキーをかじった。

「次の停車地が、コリンの故郷になる可能性がたけえんだよ。もしかしたら、コリンがいた時代に停車するかも」

 アダムは、エーファのこと、コリンが“砂の精”にさらわれたのが、結婚式前夜だったことを、アントワーヌに話した。

「恋人、それも、婚約者を長い間ひとりにしていたんだもの。お詫びの気持ちとして、何ができるかしらって、考えて、手紙をと考えたのよ」

 レアが付け足す。もともと手紙を書こうと提案したのは、彼女だったからだ。

「知っての通り、コリンは読み書きできなきゃ手紙も書いたことねえだろ? だから、俺らがって」

 再度アダムが説明をし、締めくくった。

「なるほどな、やはり、そうか」

 話を聞き終えたアントワーヌは意味深長な相槌あいづちを打った。親指と中指で自身のあごを摘まみ、すんの間なにやら思考を巡らせる仕草を見せると、決意したように、コリンたちに向き直った。

「“メル”から、に」

 アントワーヌは そこで いちど、言葉を切った。そして何故か、コリンだけを ジッ と見つめた。

「話しておきたいことがあるんだと、言っていた」

「僕らに」

「話しておきたいこと? 」

 コリンとリクが順番に言葉を反復した。

「ついて来い」

 言うと、アントワーヌは身をひるがえして、振り向きもせず、さっさと歩き出した。

「お、おい、ちょっと待てよ! 」

 アダムがあわてて席を立ち、他の従業員たちも彼にならった。

「コリン! 行くよ! 」

 リクから声を掛けられ、ようやくコリンも ハッ と立ち上がった。

 「に、話しておきたいことがある──」アントワーヌの声が、水が織り成す波紋のように、コリンの耳元で反響し続けた。お前ら、という言葉とは裏腹に、コリンだけを見つめていた瞳、レアとアダムが手紙の話をした直後から、かげり出した表情──……何か、悪い予感がする。

 アントワーヌを追う みんなの背中を追いながら、コリンは奥歯を噛み締めた。

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