第39話 ハルカ


 響と一つになる。私も響も男ではないので物理的には不可能だ。ただ、気持ちは、心は間違い無く一つになった。性的な接触は何か単純にお互いの性欲を満たすものだけではないと私は知った。響の肌に触れる。響も私に触れた。それはこの上なく心地よくて、私の心を溢れるほど満たした。セックスがしたいからじゃない。彼女の心にも触れたいから。そんな感覚だった。





愛の「ただいまー」の声を聞いて心地よく眠っていた私たちは飛び起きた。お互いが裸だったからだ。「やばいやばい」と響が急いで下着を履こうとするが「冷た!」と言ったかと思うと、引っかかって転げた。愛が階段を上がる音が聞こえたので、私は下着も着ずにTシャツとズボンを履いた。下着たちは布団の下に押し込んだ。響はまだ着替えていたので、ちょっとだけ外で待つよう伝える。たぶん…何をしていたかバレたかもしれない。でも構わない。響の着替えが終わるのを見届けると、私はドアを開けて愛を迎え入れる。

「ごめんね愛」

「ううん。…いいけど。あ! そのネックレス!」

 愛も空気を察したのだろうか、話を逸らしてくれる。この子は、勘のいい子なのだ。

「ふふ、いいでしょ。響に貰った」

 私は青白く輝く石に触れる。

「いいね。似合ってる。て、ことは、響さん、うまくいったんですね!」

「あーうん。愛ちゃんのおかげかな。ありがと」

「二人ともおめでとー!!」

 愛はそう言って私に抱きついた。苦しいぐらい強い力だった。そして、

「よかったね。お姉ちゃん…」

「うん…」

 響も微笑んで私たちを見つめていた。

「お姉ちゃんが一人増えたみたいなもんだね!」

 愛が言う。私は少しびっくりしたが、嫌な気持ちにはならない。

「あはは、そうだね」

 いつか本当にそうなる日が来ればいいのにな…と思う。もちろん気が早いのは分かっている。でも、私は響とずっと一緒にいる。そう決めた。だから…いつか、そんな問題に直面する日が来てもおかしくないと思う。でも、今はいい。今は。








 4月の朝、もうすっかり暖かくなった。春を飛ばして夏のような陽気である。風がそよいで春の匂いだけは仄かに香った。桜はほとんど散ってしまっていたのは残念だった。始業式の今日、遥と通学路を歩く。ただ、私の足取りは重かった。

「はぁ…」

「響またため息だ」

「だってさぁ」

 私の心配事、それはクラス替えだ。遥と別のクラスになるかもしれない。それが嫌でたまらなかった。

「6分の1の確率じゃん。大丈夫だよ」

「たった6分の1しかないんだよ?」

「ほんとネガティブだなぁ」

 遥が私の頭をポンポンと叩く。

「同じじゃなくても変わらないでしょ? クラスが違ったら別れちゃうの?」

「そんなことない! …けど、同じの方が嬉しいじゃん」

「ふふふ。かわいい」

「逆になんで遥はそんなに余裕なの? 心配じゃない?」

「うーん。なんとなく自信ある」

 遥の謎の自信に少しだけ元気づけられる。

「うん! そうだね。よし! 別のクラスでも休み時間は毎回会いに行くから!」

「ふふふ、ほんとネガティブ」

 私は決意して、学校へ向かう。






 学校に着くと、掲示板にクラス分けの表が張り出されていた。そこには人だかりができていて、皆それを見て一喜一憂している。私は不安と期待が入り混じった気持ちで心を落ち着かせる。深呼吸して、意を決して顔をあげる。が、

「ほらね。同じだ」

 私が表を見る前に、遥がc組を指差す。

「え」

「同じだよ。c組だね」

「え! 嘘! やったぁ!」

 私は遥の手を取って跳ねた。

「ふふふ」

 何だか、テンションに差がある。私は少し不満になって遥に問いかける。

「なんであんまり喜んでないの?」

「嬉しいよ」

 遥は悪戯な笑みを浮かべていた。これは何かある。

「なんか怪しい」

「怪しい事ないよ。ただ、私最近あんまり学校来てなかったから、先生が心配して誰か一緒のクラスになりたい人いるか? って聞いてきたことはあったね」

「え。なにそれ。そんなことあるの…ズルじゃん」

「日頃の行いだよ。ははは」

 遥は得意げに言う。

「ていうか、じゃぁ最初から同じクラスになるの知ってたの?」

「ちゃんと確認するまではちょっと不安だったけどね」

 相変わらず遥は悪戯な笑みで私を見つめる。

「また…そうやって私のことからかって…」

「あははごめん。心配してるの可愛くてつい」

「知らない」

 私は遥の手を投げやりに離して、足早に歩き出す。

「あ! ごめんて響―」

 遥が後を追ってくる。が、無視する。

「ごめんてー」

 遥は何度も謝ったが、私はもう怒ったふりをしていただけで笑みがこぼれていた。まぁこれぐらいの仕返しは許されるだろう。からかわれたことよりもまた遥と同じクラスになれたことの喜びの方が大きかった。また1年、遥と一緒に、別のクラスでは出来ない色んなことを共有できる。受験もある。けれど、遥と一緒ならそれすら平気な気がした。

 私たちは3年c組のクラスへと一緒に向かった。






「始業式から来んでもいいだろ」

 谷さんは呆れた表情でコーヒーを啜る。始業式が終わり、ホームルームも終わると私たち二人は保健室で昼食を取っていた。お弁当はないのでコンビニで買った菓子パンを頬張る。

「そんなこと言ってー。嬉しいくせにー」

「んなわけあるかい。昼間っからアベックのイチャイチャ見せられる独身女の気持ち考えろ」

「アベックって…言い方おばさ…痛い!!」

 谷さんが私の足を蹴り飛ばした。

「境、お前、今度言ったら出禁だからな」

「…はい」

「ふふふ」

「橘も笑ってんなよー」

「ふふふ、はーい」

 そういえば谷さんもいつからか「橘さん」から「橘」に呼び方が変わっていた。二人の距離も近くなったのだろう。素直に嬉しく思う。

「てか、谷さんもイチャイチャとか言わないでよ。誰が聞いてるかわからないでしょ」

「あーごめんごめん」

 もちろん、私と遥が付き合っていることは秘密だ。知っているのは谷さんと山中だけだ。

「家族にも秘密なの?」

「妹は知ってます…でも、流石に親には…」

「まぁ、そりゃそうか」

 この話はいつも私たちに暗く影を落とす。いつか向き合わなければいけない問題だからだ。気が重いなんてものではない。恐怖すら感じる。

「でも、私はいつバレても良いと思ってます」

 遥はそう言った。私も初めて聞く話だった。

「私は、間違ってませんから。否定する人がいるなら、その人が間違ってますから」

 遥はそうはっきりと言った。私が怖気付いてることに罪悪感すら覚えるほどに。

「そうか…。でもな橘。ちゃんと境の気持ちも考えてやんなよ。二人の問題だからね」

 谷さん…。私の気持ちを察しているようだった。

「はい。わかってます」

 遥は笑顔でそう言って私を見つめた。私も微笑み返す。

「ほれ…やっぱりイチャイチャだ…」

 谷さんが頭を抱えて言う。

「なっ! 違うし!」

「私も彼女ならできるかな…」

「え」

 谷さんの言葉は冗談だろう。おそらく、きっと。多分。





帰り道、私は黙りこくったままだった。保健室での遥の言葉を考えていた。

「どうしたの?」

私の様子を察した遥が声を掛けてくる。

「いや…うん。もしさ、付き合ってる事家族に言うなら、私、一緒に行くから」

「どうして?」

「すごく怖いけど…逃げたくないな…って」

「響…ありがと。でも、当分はこのままでいいよ。さっきはああ言ったけど、私も、正直まだ勇気が足りない」

「うん」

「本当のところ、なんて言われるかなんてわからないし…反対される可能性だって十分にあるし」

「…うん」

「でも、私はずっと響と一緒にいる」

「うん」

「約束だよ」

「うん。約束」

 私たちは繋いでいた手を強く握りしめ合った。お互いの恐怖を払拭するように。

「今だけはこうしてよう。先延ばしにしてるだけかもしれないけど、今はそれでいいと思う」

「…遥」

「今は余計な心配したくない。響との幸せな時間を大事にしたい。イチャイチャ…したり?」

 遥の微笑みを受けて私もようやく微笑みを取り戻した。

「そうだね。もっとイチャイチャしよう!」

「ふふふ」

 私たちは繋いだ手を大きく振りながら帰った。










私は久々に一人夜の散歩に出ていた。遥にも連絡せず。相変わらず母は「一人じゃ危ない」と言っていたが、それをたしなめて、私は一人家を出た。

夜は意外にまだ冷えた。昼間の陽気はどこへやら、上着を着て来るべきだったと少し後悔した。

前と変わらず河川敷を歩く。川の少し磯臭い香りと青臭い草木の匂いが混じり合って、私をノスタルジックな気分にさせる。今はもう無い田舎を思い出す。私はこれが嫌いではなかった。でも前と違うこともある。そんな感傷的な胸のうちに宿るのは切ない痛みだけではなくなっていた。今は遥がいる。好きな人が。それはそんなちょっとした痛みさえも暖かいものに変える力があった。私を作ったそれらが、私と遥を出会わせてくれた。

今、幸せだと自信を持って言える。あるいは私を感傷的にさせる田舎で過ごした幼少期は今思い返せば良い意味で、白痴で幸せだったと言えるだろう。だが、遥に出会うまでの私の学生生活は、人生は、無味乾燥だ。それを彼女が彩った。

私は橘遥を愛しているのだろう。この胸の暖かさに、ざわめきに、ぴたりと収まる言葉を私はこれしか知らない。愛している。遥を。そう思うと、それはさらに強さを増した。彼女のためならなんでもする。なんでもできる気がした。

胸が痛くなる。この想いを遥に伝えたい。いつも好きだと伝えているはずなのに。それでは足りない気がしてならなかった。彼女に愛を伝えたい。好きだと言ったことはあるが、愛しているとは言ったことはない。流石に重いと感じるかもしれない。口に出したことはなかった。

空を見上げると星が見えた。が、オリオン座は、シリウスは、もう見えなくなっていた。私は冬の星が好きだ。私は春の星には明るくなかった。

しばらく歩いて、そろそろ引き返そうと思うと「ワン」と犬の鳴き声が聞こえた。私はこの鳴き声を知っていた。私は微笑みながら顔をあげる。

「女の子一人じゃ危ないよ?」

 遥はそう言った。

「そっちこそ、一人じゃ危ないよ」

「私には番犬がいるから」

 私は屈んでももを撫でようとするが「グルル」と唸られたので諦めて立ち上がる。

「相変わらず嫌われてるね」

「ふふふ。なんでだろうね」

 遥の笑顔は相変わらず美しかった。ここで初めて私に向けられた彼女の笑顔を見た時と同じように。私は遥の頬に手を伸ばしてそっと添えた。私がじっと遥の顔を見ていただけだったので遥が言う。

「何? どうしたの? ふふふ。キスしてくれるの?」

 私は遥の頬を撫でて言う。

「愛してる」

 自然と言葉が出ていた。

「遥、愛してる」

 遥は少しだけ驚いた顔をしたが、何だか切なく見える笑顔で微笑んだ。

「私も…」

私の手に手を重ねる。

「愛してる」

遥の言葉が私の全身を駆け巡った。この胸の熱さを、痛みを、遥も感じているのだと知った。それは何物にも変えられない喜びだった。私は遥を抱きしめる。優しく、でも強く。

「響、どうしたの?」

「どうしたのって、嬉しくて」

「なんで?」

「愛してるって、ちょっと重いかなって思って…」

「人を想う気持ちなんて重くて当たり前でしょ」

「…そうだね」

 遥には敵わないと思った。

「遅くなっちゃうし行こ?」

 遥が言うので私は遥から離れる。

「送って行ってあげよう」

「遥かわいいから一人で帰らせるの心配」

「私だって響が心配なの。それにももがいるって」

「ちょっと頼りなくない?」

「えー酷いなー」

 相変わらずももは私に向かって唸っていた。



 夜空の下、二人並んで歩く。この先もこうやって二人で歩いて行きたい。

「橘」

 と、声をかけたあの日から、二人の関係は大きく変わった。あの時、声をかけていなければ、今の二人は無かったかもしれない。呼び方は変わってしまったけれど、私はずっと彼女の名前を呼び続けるだろう。愛を込めて。

「ハルカ」







                                               終わり

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ハルカヒビク 将野ササ @negigakoubutu

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