第37話 かいかん


「どうぞー」

「お邪魔しまーす」

橘家に入ると直ぐに何か焼き菓子のいい匂いがする。何か私に作ってくれているのだろうか。

「何作ってるの?」

「後で。先に部屋上がってて。今日、誰もいないから」

「…そっか」

 橘家に遥しかいないのはもちろん知っている。「両親は無事連れ出せたので頑張って下さい」と、しばらく前に愛ちゃんから連絡があった。私は一人、階段を上がり、遥の部屋に入る。遥が来ていないのを確認して、鞄の中を見る。かわいいリボンの付いた小さな箱。遥にあげるネックレス。今更不安になってくる。これで良かったのだろうか。今更だけど、よくよく考えれば告白の時にプレゼントって変じゃない? それにもし振られたらこれどうすればいいの? 返品? レシート取ってあったっけ? そんなことをモヤモヤと考えていると、携帯電話の通知音が鳴り、メッセージが来る。

「余計なことは考えないで突撃です! あ、告白出来ませんでしただけは本当無いですから。まじ無いです」

愛ちゃんだ。釘を刺された。逃げ場はない。一人あたふたとする。

「どうしたの?」

「わぁ!」

 振り向くと遥がお茶を乗せたお盆を持って立っている。

「何してるの? 座りなよ」

「…うん」

 テーブルの前に置かれた座布団の上に座る。緊張のせいか、正座で座る。遥が出してくれたお茶を一口飲む。

「ふぅ…」

 湯呑みをテーブルに置く音がやけに大きく聞こえた。遥の口数もいつもと比べて少ない。話があるなんて言われたから、多少なりとも緊張しているのだろう。それが伝わる。だが、切り出せない。なんか家に上がって早々に言うのも、何か違うような…。タイミングとか…。と、愛ちゃんのメッセージを思い出す。

余計なことは考えないで突撃! 

ああ、私は何て臆病なのだろう。もうここまで来たんだ。行くしかないじゃないか。私は意を決して、

「遥、あの」

「あ! そうだ!」

 そう言うと遥は立ち上がる。

「ちょっと待ってて!」

 そう言うと、騒がしく階段を降りていく。遮られてしまった。まぁ、いい。戻ってきたら言おう。

しばらくすると、また騒がしく階段を上がってくる音がする。遥の手には小包が。

「はい」

 私の隣に座ると、それを私に差し出す。

「あ。ありがと。開けていい?」

「うん」

 蝶々結びの紐を解くと、ハート型のクッキーが見えた。

「作ってくれたの?」

「うん。まぁ匂いで気付いてたとは思いますが…。バレンタイン。あんまり凝ったのは作れなかったけど」

「ううん。嬉しい。ありがとう」

 私は純粋に嬉しかった。遥が私の為に…。そう思うだけで胸がじんわりと熱くなる。

「いただきます」

 クッキーはまだほんのり暖かかった。冷めきっていないせいか、少し柔らかい。

「おいしー」

「良かった。家でゆっくり食べてね」

「うん。ありがと」

 遥もやっと笑顔を見せる。その顔が愛おしくて、私は遥をジッと見つめる。遥も私を見つめ返す。そして、目を閉じた。キス…。遥は明らかに待っていた。私だってしたい。ただ、私は、まだ言うべきことを言っていない。だめだ。欲に負けては。

「ごめん!」

 私がそう言うと、遥は驚いて目を開ける。

「私、バレンタイン、用意してないや…。ごめん」

 私がそう言うと、遥の顔が少し歪むのが分かった。そして、俯き、明らかに不機嫌になった。

「別にいいよ。バレンタイン過ぎてるし、私が勝手にあげただけだし」

 遥はそっぽを向く。そっぽを向いたまま言う。

「で、話って何?」

 声色は暗く、投げやりだ。

 あれ? おかしい。おかしいおかしいおかしい。こんな筈じゃない。こんな空気で言えるはずが無い! 

「あーいやーあのね…」

「何? 早く言ってよ」

「…うん。ちょっと待ってね」

「何なの?」

「遥、怒ってるの?」

「別に! …何でもない。そんなこといいから、話って何?」

 相変わらず遥は向こうを向いていて私の方を見ようとしない。こんなのは、違う。

「遥、こっち向いて。話すから」

「このままでいい」

「でも…。…分かった。言うよ」

 不本意ではあるが、こうなった以上は逃げられない。私は意を決する。

「私たちってさ…」

「あー! そうだ! クッキーまだあるけど持って帰る? 家族にもあげなよ!」

「え、ああ、それは、うん。ありがと。…それでね、遥、私たちって…」

「あー! そういえば愛はお母さん達と映画見に行っちゃったんだ! なんの映画だろう!」

 あからさまに話題を逸らす。あまりに下手くそだ。流石の私でも分かる。言え言え言っていたかと思えば、今度は聞きたく無いようだ。

「遥…聞きたくないの?」

 遥の肩がビクッと跳ねる。

「そんなこと無いよ…。何?」

 遥はやっとこちらを向いた。その目は酷く怯えているような。何か小動物のような印象を抱いた。明らかに怖がっている様子だった。

 これは…愛ちゃんに言われるがままに従ったのは間違いだったようだ。私は遥にドキドキはして欲しいが、怖がらせたいわけじゃない。私は遥を安心させる為に精一杯の笑顔を作る。

「遥、ちょっと目瞑って」

「何?」

「いいからいいから」

 遥は素直に目を閉じる。私は自分の鞄を引き寄せると、中から箱を出す。そして、リボンを外して封を開ける。

「まだ?」

「もうちょっと待って」

 ネックレスを取り出して、留め具を外す。そして、遥の後ろに回って、首にネックレスをかける。遥の髪に触れてしまう。遥はまたビクリと体を強ばらせる。私はできるだけ急いで留め具を止めて、そっとネックレスから手を離す。ネックレスに掛かっていた遥の髪を直してあげる。

「いいよ」

 遥はゆっくりと目を開けて、首元を見ようと顔を下げる。

「あ! ごめん! 自分じゃ見えないか。えっと…」

 私は携帯電話のインカメラを起動する。遥の後ろから手を伸ばして、首元が見えるようにする。携帯電話の画面に青白い石のネックレスをした遥が映る。私は良く似合っていると思う。遥はどうだろう。

「これ…」

遥は画面を見ながらネックレスに軽く触れる。石が揺れて煌めく。

「どうかな? 似合うと思うんだけど」

「…くれるの?」

「気に入れば良いんだけど…どう?」

 遥は、急に振り返ると、すごい勢いで私に抱きつく。勢い余って私は後ろに倒れてしまった。携帯電話も手元を離れる。

「いてっ」

 左肘を床にぶつけてそう言ったが、遥は私の胸に顔を埋めたままだった。私は遥の頭を右手で撫でる。

「…話ってこれのこと?」

 あ、しまった。あげたタイミングで言うつもりだったのに。もうこうなればどうしようもない。私は自分の間の悪さに呆れる。でも、

「遥、付き合って下さい。私と」

 私は緊張もせずそう口に出していた。

 しばらくの沈黙があった。そして、遥が私の胸の上で震え出す。私は泣いているのかと思って焦ったが、段々と笑い声が聞こえてきた。なぜ笑っているのだろう?

「ふふふ、ほんと響って面白い」

 遥はそう言うと、私の胸から顔を上げて、身を乗り出して、私の顔の前に自分の顔を持ってくる。遥が覆いかぶさる恰好になる。そして、私にキスをした。一回じゃない。何度も何度も。それはこの前と違って、何だか、すごく。艶かしかった。快感で脳が焼けるようだった。二人とも息が荒い。心臓も止まってしまいそうなほど早かった。遥のキスが止む。私は遥の頬を撫でる。遥はその手にキスをした。遥の首からぶら下がるネックレスに触れてみる。

「気に入ってくれた?」

「うん。すっごく。嬉しい」

 遥は私の手ごとネックレスを掴んで自分の胸に強く押し当てる。

「でさ、返事は?」

「ん?」

「つ、付き合ってくれる?」

「ぷっ…あははは」

 遥は私の身体に倒れ込んで笑う。遥の顔はすぐ横に。口は直ぐ私の耳元だったので、少しびっくりしたが、嫌ではなかった。

「私たちって付き合ってなかったんだね」

「え!」

「もうそういうもんだと思ってたよ。ふふふ」

 そうか。遥は元よりそのつもりだったのか…。何だか、また私は…

「私ってやっぱり間抜けかも」

「あはは。ちょっとね。そこがかわいいんだけど」

「一人で馬鹿みたい」

「そんなことない。嬉しかったよ」

 遥がこちらを向く。とても近い。触れるか触れないかの距離だ。

「よろしくお願いします」

「ん? 何が?」

「ふふふ。返事だよ。告白の」

 遥が笑う。相変わらず美しい。遥の笑顔を見るのがこんなに嬉しいなんて。こんなに幸せだなんて…。この笑顔の美しい遥はもう私のものなんだ…。そう思うと、自分の中で何かが弾ける。

私はぐるりと身体を回して起こし、遥に覆いかぶさる格好になる。急な私の反撃に遥は少しびっくりした様子だった。

「ど、どうしたの?」

 私は遥の顔に顔を近づけると、遥の唇を舌先でなぞった。遥の体が硬直したのが密着した全身を通して伝わった。続いてキスをする。そして、遥の唇をゆっくり通過して、私の舌と遥の舌先が触れた。今まで味わった事のない快感が全身を駆け巡った。

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