第31話 ほうかい
山中との待ち合わせはプラネタリウムが近くにある遊園駅に12時だった。最寄りの駅から電車で1時間掛かる。遥のメールにあった時間は13時。今から電車に飛び乗っても間に合うことはない。それより何より私は遥の元に行く気が無かった。行ってしまったら、もう後戻り出来ない気がしてならなかった。返事すら私は出来ずにいた。
私は遊園駅のホームのベンチに腰掛けていた。山中はまだ来ていない。駅の外にいるのだろうか? まぁ連絡が来るだろう。
私は何故かホームから出られないでいた。何故か。何故かは分かっている。今すぐ、反対のホームに駆け込んで帰りの電車に乗り込む自分を想像する。遥の元に向かう自分を。そんな幻を駅に着いた電車がかき消した。人がまばらに降りてくる。その中に山中を見つけた。
山中はホームに降り立つ前から私を見つけていた様だ。迷いもなく私の方に駆け寄る。
「ごめんごめん。待った?」
「ここで月並みなことは言いたくないな…。多少待ったから昼ご飯奢って」
「世知辛いなぁー。でも元からそのつもりだったしいいよ。初デートだしね」
山中は柄にも無くテンションが高いようだった。好きな人と初デート。テンションも上がるか…。俯瞰でそう思う。それに付随して自己嫌悪が襲う。俯く私に山中は何か察したのだろうか。
「あー、あんまり気負い過ぎなくていいから。普通に。いつも通り。クールで良いよ」
この男は…。私も私だ。慰めの言葉を待つように俯いた。そんなつもりは無かった。でもそうした。相変わらず私は最低だ。私は自嘲気味に山中に聞く。
「私、クールなの? ただ暗いだけでしょ」
「暗いとは違う気がするかなー」
そうなのか。自分では分からない。遥にはよく可愛いと言われていたが…。…やめよう…。
「そんなところも可愛いと思う」
山中の意外な発言に私は自分の顔が一瞬で紅潮するのを感じた。
「は?! なに言ってんの! 可愛くないわ!」
「ほら、照れてる。クールなのにこういうのには弱いんだな。一つ勉強になった」
「やめろ!」
「あはは。ほら行こう。早く飯食わないと、プラネタリウムの時間に間に合わなくなるぞ」
山中はベンチに座る私に手を差し出した。私はそれに少し躊躇った。でもその手を取ろうと手を伸ばす。だが、山中は差し出した手を引っ込めた。
「これはまだ早いか…悪い」
「あ、いや、ごめん…」
「気長に行くから。気にすんな。いいから行こうよ」
山中は歩き出す。
私は自分の手を見つめた。
カフェでお昼を済ませ、科学館でプラネタリウムのチケットを買う。13時15分の回だ。内容は「世界の空。オーロラを見よう!」というモノだった。正直オーロラには興味があまりなかったが、仕方ない。ここでごねるほど子どもではない。開演時間まで30分ほど暇が出来たので山中と二人、遊園内を散策する。
遥が指定した時間まではもう十数分しかない。今更考えても仕方ないと分かってはいる。ただ、どうしても気になって、携帯電話で時間を何度も確認してしまった。
「そんな気にしなくても大丈夫だよ。ちゃんと来た道覚えてるから。開演時間に間に合うように計算して歩いてる」
山中が時間を気にする私に笑いかけてそう言った。
時間は刻一刻と過ぎ、遂に13時になる。私はその時を懲りもせず携帯電話の画面を見ながら迎えていた。遥は、いるのだろうか。今、あの場所に。私を待って…。返事すらしていない私をどう思っているのだろう。遥からまたメッセージが来るかも知れない。それを待つか? いや、行けないと私から連絡するべきだろうか? そんなの今更…。色んな想いが錯綜する。
「境? どうした?」
山中が私の顔を覗き込む。
「え! いやなんでもない!」
「…なんでも無さそうなんだけど。なんかあるの?」
「ほんとなんでもない!」
私は鳴らない携帯電話を鞄に押し込む。
「ほら、行こう! そろそろ時間になっちゃう!」
私はそう言って、来た道を引き返す。
「境!」
山中の声が背中に響く。その声は、単純に私を呼ぶ声とはどこか違った。私は立ち止まって振り返る。
「本当にいいんだな?」
ドキリとする。山中は事情を知らない。でも何か知った上で私にそう問いかけている様な、そんな印象を持った。
「何言ってんの? いいから行こう! 始まっちゃう!」
私は山中の私の確信を突くような問いを煙に巻く。
私は山中の側に駆け寄ると、腕を掴んで引っ張って歩き出す。山中は力無く私に追従する。
「…境」
「良いから!」
何も良いことなんてない。ただ、私にはどうすることも出来やしない。
私はそのまま山中の腕を引っ張って歩き続けた。
「実は江戸時代に赤いオーロラが日本で観測された事があるんです。それでは現代でその赤いオーロラが観測されたらどう見えるのか、みなさんと見てみましょう!」
プラネタリアンの解説の後、ドーム状のスクリーンに赤いカーテンの様なオーロラが映し出される。それを見て「おー」と、感嘆の声を上げる人もいた。
私は見るとも無く、それを見ていた。隣を見やる。山中の顔にプラネタリウムを楽しんでいる様子はなかった。
「それではここまでお付き合い有難うございました。解説は『後藤』が担当させて頂いました。機会が有りましたら、また一緒に夜空の旅へ…」
控えめな拍手が起きる。じんわりと照明が付くと、人がまばらに会場から出ていく。私はそれをぼんやりと眺めた。人が出切った後で、
「行こうか」
山中が言う。
「うん」
私は立ち上がる。切っていた携帯電話の電源を入れる。時間は14時を回っていた。メッセージは一件も来ていない。がっかりしている自分に気が付き、首を振る。
「はぁ…」
一息入れて歩き出そうとする。私を見つめる山中と目が合った。
科学館を出て、私達は一言も喋らず、遊園内を歩き続けた。山中に掛ける言葉が見つからなかった。ただただ歩いて10分ほどが経つ。山中は大きな広場の端にあったベンチに腰掛けた。私もそれに倣う。広場では子ども達が元気に遊び回っていた。滑り台やブランコ、ボール遊びやラジコンで楽しそうにはしゃいでいる。暫くそれを見つめていた。最初に口を開いたのは山中だった。
「オーロラって言われてもな」
私は首を傾げ聞き返す。
「何?」
「普段見えないもの紹介されても困る。綺麗だったけどさ」
「はは。そうだね」
「普通にこの時期の星空とかがよかったな」
「実は私もそう思ってた」
「くそ。デート計画失敗だ」
「あはは」
また暫くの沈黙があった。
「…行かなくていいの?」
私は山中の顔を見た。その横顔には優しい微笑みを湛えていた。
「…いい」
「嘘だよ」
山中も私の顔を見た。
「はぁ…。…最初から分かってた」
「最初? 何が?」
「見込み無いって」
山中は笑った。少し寂しそうな笑顔だった。
「付き合い始めた時…、いや、告白する前からか。まず振られると思ってたし」
「山中…ごめん」
「謝ることない。謝らなくていい。境は最初からそう言ってたし」
「でも…」
「縋り付きたかったんだよ。カッコ悪いな俺」
「そんなことない! 本当に! 悪いのは私なの」
涙が出そうになる。でも堪えた。本当に泣きたいのは山中のはずだ。私が泣く権利は今は無い。
「本当にごめん…」
「あーだめだ。泣く!」
山中は立ち上がって私に背を向けた。
「っ…はぁ〜…ほんとカッコ悪りぃ…」
「そんなこと! …ないよ…」
山中は空を見上げて涙を堪えているようだ。私の中にはやはり強い罪悪感が溢れ出していた。私はこんなに良い人を傷つけて、自分勝手に、利用して…。
「ごめん…傷つけて…」
「境が傷つけてるのは俺じゃなくて自分自身だろ。それを見てると、俺も傷つく」
胸にその言葉が刺さった。でも、
「でも…」
「でもも何もないんだよ。言ったろ? 見てらんないんだよ…」
山中は私を見てそう言った。そしてその目から涙が溢れた。そして微笑む。
「橘のこと好きなんだろ?」
やはり気づいていたか…。でも、それを認めることは出来ない。認めないと私は決めたんだ。
「違う…」
「そうやって嘘ついて、また自分を傷付けるんだな」
「違う!」
「いや、違わない。境は橘が好きだ。見てりゃ分かるんだよ」
「…やめて。お願いだから。違うんだって…」
声が震えた。私は顔を手で覆う。自然と涙が溢れて止まらなかった。山中が再度私の隣に腰掛け、私の肩に手を置いた。
「…好きじゃない」
「…もう俺に嘘つく必要もないだろ? 良いんだよ。認めて」
だめだ…。この優しさに甘えたって、何も解決なんてしない。認めたって、山中には何をどうすることも出来やしない。
「じゃぁどうしたら良いの…! 私…分からない。こんなの普通じゃないよ…」
「俺は普通だと思う」
「山中はそうでも、きっと皆んな思うよ…。あいつ女が好きなんだって、変な目で見るに決まってる…」
「俺はそんな風に見たりしない」
「気持ち悪いって思う」
「俺は思わない」
「っ…あはは…だから、山中がそうでもみんなは」
「みんなって誰だよ。そんな奴ら知ったこっちゃねーんだよ!」
山中は私の両肩を力強く掴んで私を正面から見つめた。
「いいか! 境! そんな奴らがいるんなら俺のところ連れてこい! 俺が好きな人を傷つける奴は俺がぶん殴ってやる!」
「…っ!!!」
私は山中のその言葉で崩壊した。
私は人目も憚らず山中の肩でわんわん泣いた。
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