第29話 つみ


山中と二人、放課後、帰路を行く。付き合い出してから山中は毎日家まで私を送ってくれる。山中は必ず車道側を歩く。そんな優しさが少し痛かった。私が恋愛対象として見たことはないと言ったのに、山中は、本当に自分を好きになってもらおうと努力している。手を繋ごうとすらしない。もちろん、キスや、その先も…。求めたりはしない。その健気さが私の心をチクチクと刺し始めていた。

今日は途中にある神社に隣接した小さな公園に寄り道をしていた。

「最近、橘あんまり学校来てないらしいじゃん」

隣のブランコに座る山中にそう聞かれたとき、私は「またか」と思った。そう聞いてくるのは山中だけでは無かったからだ。クラスメイトや担任にも同じ様に私は質問された。全く学校に来ていないわけではないのだから本人に直接聞けばいいじゃないか。いつの間にか、遥への質問は私に、私への質問は遥に、というような流れというか仕組みが出来上がっていたようだ。

「うん。そうだね」

「何か聞いてないの?」

皆にそう聞かれて困るのは面倒だからだけじゃない。私は答えを知っているからだ。知っていて尚且つ口には決して出すことの出来ない答えなのだ。

答えは明白だ。私が遥の想いを拒絶したから。遥のキスを拒絶して、私は山中と付き合い始めた。好きでもない相手と私は付き合っている。

「なんにも。具合でも悪いんじゃない?」

「病気とか?」

「知らない」

「そっか…」

 山中との付き合いは楽だった。相変わらず噂は一瞬にして学年中を駆け巡ったが、それも一瞬だった。付き合っていると言ってもやる事といえば一緒に登下校したりするぐらいだ。最近は部活にも顔を出すようになった。うまくいっている普通のカップルの噂など皆しない。してもつまらないからだ。

「あんなに仲良かったのになんかあった?」

 ドキリとする。この山中という男は時々鋭い。

「何もないよ」

「境、橘の名前出すと顔怖くなる。絶対なんかあったろ」

「っ! 何にもないって! しつこい」

「あはは。ごめんごめん。そんな怒るなって」

私はブランコを思い切り漕ぐ。この想いを振り払うために。

多分、私に辛いなんて言う資格はない。資格がないのは分かっている。でも、嘘偽りなく言えば、辛くてたまらなかった。

遥を拒絶して、自分の心を拒絶して、遥は学校になかなか来なくなった。本当は遥に会って、喋りたい。学校に来て顔を見せてほしい。でも、そんなことを言う権利は私には無いんだ。

 遥の心に追い討ちをかける様に私は山中と付き合い始めた。それも、私は山中の事を好きじゃない。友達として好いてはいるが、こんな偽りの付き合い…、山中に対してだって、私は最低だ。承諾は得た。だが、その承諾の根拠が私への恋心からだということも私は分かっていた。惚れた弱みだ…。分かっていて山中を隠れ蓑として使っているのだ。

私はいつからこんな最低な人間になってしまったのだろう。

泣きそうになる。だめだ。泣く権利だって私には無い。

私はみんなを傷つける疫病神なのかもしれない。そう思うと、私は山中に対して酷い罪悪感を覚え始める。山中はいいやつだ。なのに私は…。

私は漕いでいたブランコを止めた。

「山中」

「ん? なに?」

「キスしよっか」

「は?!」

山中は驚いてこちらを向く。

「うちら、手すら繋がないじゃん」

「それは境が…。というかいきなりなんだよ。らしくないな」

「嫌?」

「嫌じゃないけど…」

「ならいいじゃん」

私は山中が座るブランコの前まで行って、膝に手を付き、少し屈む。

「はい」

 私は目を瞑って、口を閉じる。少しすると、山中は私の肩にソッと手を置いた。そして…

「なんかやっぱ嫌だ」

 肩から手を離し、立ち上がり、少し私から離れた。

それと同時に私の胸に土砂の様な、黒い塊が流れ込んで埋め尽くした。息ができなくなる。

「境、無理しなくて良い。付き合ってくれて嬉しいよ。でもこれはなんか違う気がする。境、なんか、辛そうなんだもん。キスなんて…できない」

涙が溢れた。それを山中に見せまいと必死に隠した。

私はやっぱり最低だ。キスなんかで、少しでも山中に対する罪悪感を消そうとした。私はやっぱり自分のことしか考えてない。

「山中…私と付き合わない方が良いよ…」

「あはは。なんで」

「私、最低だから…」

「俺はそうは思わない」

「やめた方がいいよ…」

「それは嫌だ。好きになってもらえるように頑張るって決めたから」

「…もし、頑張っても無駄だったら?」

「あはは。あんまり考えたくないけど。仕方ないだろ。それはそれで」

「山中、優しすぎるよ…」

「あはは。かもね。でも後悔はしたくないんだよ。後悔だけはしたくない。できる限りのことはする。そう決めた」

 普段はあまり見せない真剣な顔で山中は言った。山中にはもっと良い人がいる。本気でそう思った。彼の私への想いは、何だか高校生らしく無いように思えた。男子高校生なんてセックスのことしか考えていないと友人の有識者は語っていた。だが、山中は違う。キスすら断った。山中は私に対していつも誠実だった。それが私の胸を余計に締め付ける。遥のことを好きになる前だったら、あるいは私は山中に恋していてもおかしくは無いと思った。ただこれはあくまで「if」の話だ。現実はそううまくは行かなかった。私の遥への想いは消えるどころか増していた。彼女が学校を休みがちになって、私は遥と過ごした日々を思い出す。

山中と過ごすようになっても、保健室で過ごさなくなっても、思い出すのは遥のことばかりだった。

「山中、本当に私のこと、やめた方がいいよ…」

 私は涙を流して言った。

「お前さ…そんな顔してずるいんだよ」

「どういうこと?」

「…放っておける訳ないだろ?」

山中は私の頭を軽くポンと叩いた。




それから少し喋って、山中はマンションまで私を送ってくれた。家族に見つかると面倒だろうと、山中はいつもマンションから少し離れたところで私を見送る。

 マンションのホールへ入ると制服姿の女の子が一人いた。心臓が飛び上がる様だった。その子は遥にそっくりだったからだ。私の存在に気がついて顔を上げる。愛ちゃんだった。

「あ、響さん」

「愛ちゃん…」




私は何も聞かず、愛ちゃんを私の部屋へと招き入れた。

「お邪魔します」

愛ちゃんはいつもと違い、しおらしかった。

「適当に座ってね」

愛ちゃんは床に座る。私はベッドに腰をかけた。

「響さん」

「何?」

「なんでお姉ちゃんのことフったんですか?」

単刀直入だ。

「お姉ちゃん、ショックで、学校全然行かなくなっちゃって…。それは響さんのせいじゃないのは分かってますけど」

愛ちゃんは俯く。

「お姉ちゃんは本気で、響さんのこと…」

「分かってるよ。ふざけてキスした訳じゃないのも」

「それでもダメなんですか?」

「ダメだよ。私彼氏できたし」

「知ってます。お姉ちゃんも」

 やはり、遥の耳にも届いていたか。

「私、響さんがそんな人だと思いませんでした。正直失望です」

 愛ちゃんがこちらに目をやる。その目には確かに怒りがこもっていた。私は愛ちゃんの物言いに少し怯んだが、体制を整えて聞く。

「私が彼氏作っちゃダメってこと?」

「ちょっと違います」

「遥の想いに応えなきゃならない義務があるってこと?」

「ちょっと違います」

ならこの子は何が言いたい。

「じゃあ何?」

「なんでお姉ちゃんのこと好きなのにそんなことするんですか?」

「え…」

「私気が付いてました。二人のやり取りとか、響さんの目を見ればわかります」

「何を言って…そんなの勘違いだよ」

「なんで自分に嘘つくんですか?」

「っ!」

「お姉ちゃんのこと好きなくせに、なんで嘘ばっかりつくんですか?」

言葉が出てこない。なんて返したらいい…。わからない。嘘ばかりついている? 確かにそうかもしれない。でも、そんなの、そんなのしょうがないじゃないか!

「愛ちゃんには分からないよ。大人はそんなに簡単じゃないの」

 自分で言っていて恥ずかしくなるセリフを私は吐いていた。

「誤魔化さないで下さい。大人とか子供とか関係ないです」

「じゃあ私がなんて言ったら愛ちゃんは満足するの? 遥のことを大事に思う気持ちは尊重するけど、私に何か求められても困るよ」

「認めてください。お姉ちゃんが好きだって」

「はっ…そんなことできる訳ない。だって好きじゃないから」

「嘘です」

「嘘じゃない」

「嘘です」

「嘘じゃない!!!」

 つい声を荒げてしまう。落ち着かなくては…

「仮に好きだったとして、どうなるの? 私に何をして欲しいの?」

「お姉ちゃんともう一回ちゃんと話し合ってください。お互い納得のいくように。それでも二人が付き合わないって言うなら私ももう何も言いません」

「そんなことして何になるの? 意味ないよ」

「意味がない? 怖いだけでしょ?」

 プツンと何かが切れた。

「なんなの? いきなり来たと思ったら、訳の分からないこと言い出して、遥の妹だからって調子に乗らないで?」

「響さんも本当はお姉ちゃんに会いたいんでしょ」

「黙って!」

「顔見ればわかります」

「もう帰って!」

私は愛ちゃんの腕を掴んで無理やり立ち上がらせる。

「なんでそんなに怖がってるんですか?」

「いい加減にして!」

 私は、愛ちゃんを押して、玄関の外へ追いやった。

「私、間違えてたみたいです。今日会って分かりました。お姉ちゃんが学校かなくなったのは、響さんのせいです。責任とって下さい」

 私は思い切りドアを閉めた。そして自分の部屋に逃げ込む。

息が荒い。動悸も激しい。ベッドにへたり込む。

「はは…愛ちゃん怖すぎ…」

愛ちゃんの言ったことで間違っていることは一つも無かった。私には責任がある。でも、怖くて踏み出せないでいる。愛ちゃんは私の気持ちに気が付いてた様だったが、それを遥には言っていないみたいだった。何故だろう。確信が無かったか、あるいは、それを他の者から言うことは避けた。だとすると、あの子は相当に大人だ。私よりも。そこの一線だけは越えない自制心を持っている。私は愛ちゃんが私の気持ちを遥にバラすなど微塵も心配していなかった。

「今時の中学生こわっ」

私はベッドに寝転がり天井を見つめる。

「遥」

そう呟いてみる。前はただただ心が暖かくなった。でも今はそれと同時に痛みが走る。


遥にキスされた時に逃げてから、私は逃げ続けていた。

私はもう逃げられないのかもしれない。


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