第27話 イバショ



 振り向くと南の空にオリオン座が見えた。その左下にシリウスがある。おおいぬ座のシリウスは青白く瞬く。その名はギリシャ語で「焼き焦がすもの」という意味らしい。中学生の時見たプラネタリウムで解説者がそう言っていた。それが私にはとても印象的だった。

「焼き焦がすもの」それは私にとっては遥という存在そのものだと今は思う。遠くから見ていれば美しく、側に寄れば暖かい。かと言って近づき過ぎれば心を焼いた。

 私は今日も一人散歩に出た。散歩のルートは前までとは違う。考え過ぎなのかも知れないが、ルートを戻せば遥に会ってしまう気がした。だから最近は遥の家とは逆方向の川沿いを歩いていた。

 私はシリウスをしばらく眺めた。私の一番好きな星。どんなに星が見えない夜でも、あの星だけはすぐに見つけられる。

 私は振り返り歩き出した。シリウスの見えない夜空を。






遥と離れてから、私の異変に気が付いたのは山中だけだった。そんな山中から改めて告白を受けた時、私は正直に嬉しかった。だが、これが恋かと聞かれれば、違うと言える。遥と相対した時の胸の高鳴りにはほど遠く、単純に誰かに好かれたのが嬉しかっただけなのだと思う。遥の時とは全く違う。何もかも。だからこそ私は、もう遥じゃないなら相手は誰でも良かった。誰でもいいから側にいて欲しかった。それでもそんな身勝手な理由で山中の告白を受けるのは流石に気が引けたので、私は許可をとった。

「私、山中のこと恋愛対象として見たことないし、今後もそうなるか分からない。山中は良い奴だとは思ってるけど…。それでもいいなら」

と、私は正直に言った。山中は、

「きっち〜」

と頭を抱えて涙目で言った。それでも

「好きになってもらえるように頑張るわ」

と笑って言った。

 






「あんた山中と付き合ってんの?」

「え、なんで」

「他の先生達が話してんの聞いた」

 人間の噂好きたるや、目を見張るものがある。生徒のみならず、教員までとは…私は逆に感服した。

「付き合ってるよ」

「そう」

 谷さんは自分から聞いてきたクセに何故かつまらなさそうに言った。

「山中のこと好きなの?」

「まぁ…」

「ふーん。どんなとこ?」

「えぇ? そりゃー…良い奴だし? そんな感じ」

「ふーん」

 またつまらなさそうに言う。コーヒーをズズズと啜る。

「そういやさ」

「何?」

「最近橘さん来ないね」

 私は突然出された遥の名前にドキリとして、お弁当を食べる手が止まった。

「なんかあったのかな? 何か聞いてない?」

「…何にも」

「…そう」

 またコーヒーを啜る。

「あんたさ」

「何?」

「もうここ来るのやめな」

「え!? 何言って…」

 冗談だと思った。けれど、谷さんの表情からそういった私をからかうような感情は微塵も感じられなかった。

「…なんで?」

「その方がいい。山中と一緒にご飯食べなよ。彼氏なんだから」

「はぁ? 何それ。意味わかんないよ。私がどこでお昼過ごそうが勝手じゃん」

「そう。あんたの勝手だよ」

「なら!」

「その勝手は私にはないの?」

 何も言い返せなかった。

「あんたはもうここにいる必要ないよ」

 その一言は胸に刺さった。谷さんはもう聞く耳を持っていないようだった。いつものお調子者のような口調ではなく、私を諭すようだった。何が谷さんをそうさせたのだろうか。私が山中と付き合ったから? よく分からない。よく分からないが…。涙が出てくる。

「なんでよ…」

 私の涙を見たからか、谷さんの眉がピクリと動いたが、すぐに元に戻る。

「…なんでそんなこと言うの?」

「別にあんたのこと嫌いになったわけじゃないんだから、泣くな」

「…だったらなんで」

「今のあんたにはもう必要ないから。居場所がないのはあんただけじゃないんだよ。後ろつかえてるの。それにあんたはもう自分で自分の居場所決められたんだろう? だから、もう必要ないの」

「…そんなの…居場所なんて、決めた覚えない…」

「それ、山中の前で言えるのか?」

 言えない。

「お前のこと好きだった他の人の前で言えるの?」

 言えっこない。

 きっと遥も私が山中と付き合っていると言う噂を耳にする頃だろう。私は遥から逃げて、山中に縋りついた。私は遥をフった。私の居場所はここでは無いと言ったんだ。そして、山中と付き合い出した。遥は想像出来ないほど傷ついているだろう。それなのに、私は…。本当はそこに居たくないなんて言える訳が無い。私の本心はそうだ。でも言えない。自分が本当は望んでいない道を歩いているなんて。私は遥にも山中にも、不誠実なのだ。私はその不誠実を「誠実」に突き通さなければならない。それが私の選んだ道だ。

 私は泣きながら、お弁当を片付け始める。谷さんがそれを見つめる。

「怪我とか調子悪い時は遠慮せず来るんだよ」

谷さんは最後にそう言った。私は返事もせずに保健室を後にした。







「ふぃ〜」

私は境がさっきまで座っていた虚空を眺める。

「寂しくなるな…。あ〜危なかった。泣くとこだった。あはは…」

 私も本当は境と過ごす昼休みは気に入っていた。それでも、私はああ言ってしまった。境が橘遥をフったのは橘遥から聞いていた。別にそれに腹を立ててあんなことを言ったわけではない。私は橘遥に肩入れしている節が確かにある。だが、それとこれとは話が違う。それこそどうするかは境の勝手だ。境も酷く苦しんだに違いない。友達を、親友を失うなんて、大人の人間ですら相当堪える。

 でも境は選んだ。選ばざるを得なかったのかもしれないが。橘遥の元を去り、山中と付き合うことを。それであの子が幸せになるなら、それは良いことだ。あの様子だとほんとに好きなのかどうなのかも怪しいが。それもあの子の自由だ。私が何か言う権利はない。

でも、この場所が、この保健室が今本当に必要なのは橘遥だろう。私の耳にも入るくらいだ。きっともう噂は聞いているだろう。あの子は今、相当に苦しんでいるはずだ。

私にクリスマスであったことを話している橘遥は、とても見ていられなかった。泣きじゃくって、話もまともに出来ていなかった。あんなに取り乱した橘遥を、いや、人間を見たのは初めてだった。「キスはやり過ぎだろー」なんて冗談は口が裂けても言えなかった。部活も辞めるとも言っていた。必死に止めたのだが、あそこに自分の居場所は無いと譲らなかった。

 橘遥の居場所は境だった。境もきっとそうだったと思う。それでも、互いの身の置き方にちょっとの違いがあったのだ。二人は愛し合っていた。今もそうだと思う。それが恋愛感情か友情かの違いで、バランスが保てなかった。そして全ては崩壊した。


私はちょっとだけ期待していた。二人がうまく行くのではないかと。境も、橘遥が好きだと思ったのだけれど、気のせいだったみたいだ。私もまだまだのようだ。


「励めよ…境」

 私は境がいつも座っていた椅子にそうつぶやいた。

 

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