第26話 ひめい
(この痛みは私自身が招いたことだ。恋人になれない時点で関係を立ち切らなければならなかった。私は目先の痛みから逃げて、その先にあるより大きな闇から目を逸らした。
私の孤独を和らげてくれた人間は彼女しかいなかった。彼女だけが私の孤独を理解し、それを包み込んでくれた。なのに、私はそれを失う道を自ら進んでいた。後から考えればそれは滑稽で、どうしようもないほど呆れたことだ。過去の自分に言ってやりたい。
「馬鹿はやめろ!」「余計なことを言うな!」
だが、私の欲動は孤独を選んでいた。そこには何故だか私の意志が入る余地はなく、もはや私の預かり知らぬところで全てが決まっていたようだった。
少しでも思考を巡らせれば分かりそうなものなのに、私は間違い続ける。正解なんてないのかも知れない。それは分からないが、間違っているのは確かなように感じた。
私は彼女がいなくなる道を選んでいた)
知らぬ間に今年になっていた。クリスマスからの数日間、私は何をしていたのだろう。ほとんど記憶は無い。残っているのは響のあの表情だ。私を突き放した後に見せた響の表情は…。
胸をささくれ立った木の杭で刺されるような、そんな酷く鋭い痛みが走る。涙は出なかった。涙で洗い流せないほどに痛い。何故あんなことをしたのか。思い出す度に杭が胸を貫く。キスしたかった。ただそれだけだった。響を私のものにしたかった。私は大馬鹿者だ。響の拒絶は決定的だった。もう友達には戻れない。あの時の私にはそんな覚悟は無かった。響を失う覚悟などできる筈もないのだが、私は自分の欲求に従った。それがこんな結果を招くとは考えずに。
響からの連絡は一切なくなった。
冬休みが明け、学校が始まった。登校する際の集合場所に響は来なかった。私もいないだろうとは思っていた。でも一縷の望みにかけて私は待った。集合時間から10分、20分経っても、当然響は来なかった。
教室のドアを開けるとき、こんなに緊張したことは無かった。入学式の時でさえここまでの緊張は無かっただろう。
響はいた。いつものように窓側の席に座り、外を眺めている。
「橘さんおはようー」
「橘さん久しぶりー」
クラスメイト達に声をかけられる。響も私が来たと気付いただろう。でも、響は外を眺めたままだった。私は響に声をかけることは出来なかった。
翌日も、翌々日も、それからもずっと、響は集合場所に現れることは無かったし、私に声をかけてくることも無かった。
そんな日々が続き、もう2月になっていた。私はある日、響が山中君と付き合っているという噂を聞いた。
私は助けて欲しかった。
遥が私にキスをした。私はあの時、自分の中に湧き上がる高揚を、遥への欲を感じた。だがそれは一瞬にして今まで感じたこともない恐怖へと繋がった。震えが止まらなかった。
違う…違う! 私は…違う!!!
もう…無理だった。私は遥から離れることに決めた。自分で決めておいて、こんなことを言える筋合いがないのは分かっている。だが、辛くて堪らない。悲しくて涙が止まらなかった。年末年始、私はほとんど自分の部屋で泣いていたと思う。それ以外の記憶はほとんどない。辛いと誰かに言いたかった。嘘だ。本当は遥に会いたかった。会って、辛いと打ち明けたかった。けれどそれは出来ない。今後、遥と一緒に登校することも、一緒にご飯を食べることも、一緒に笑うことも出来ないと考えると、胸が張り裂けそうだった。
何度も考えた。もういいんじゃないかと。遥が好きだと認めてしまえばいいと。
考えて思う。やはり、無理だ。出来ない。そんなこと誰にも言えない。家族に私は女の子が好きですなんて言えるわけがない。遥の両親にも、そんなこと、言えない。友達に言おうものなら、きっと一生ネタにされ続けるだろう。
遥と友達関係でいるのももう無理だ。遥も私への…欲求を抑えられていなかった。私も、このまま一緒に過ごし続けていたら…正直どうなるか分からない。
それにこれが本来あるべき姿でもある。遥は一度私に告白している。私はそれを断ったのに、遥を手放すことが出来なかった。どっち付かずでいた代償がこの痛みである。胸を突き刺し切り刻むこの痛みは自分が招いたことなのだ。その選択は私だけではなく、遥をも苦しめていたに違いない。
私はどうすればよかったのだろう。あの時、最初に遥に声をかけなければ良かったのだろうか。そんなこと考えたくない。遥に会わなければよかったなんて、考えたくない。
遥と過ごした日々は幸せだった。なぜそのままでいられないのだろう。腹が立って、悲しくて、痛くて、私は声にならない悲鳴をあげ続けた。
男と女なんてものが存在しなければこんな悲しみを負うことなんてなかったのに、そんな垣根が人を惑わし、私を恐怖させる。同性愛に寛容? そんなものは綺麗事だ。人の苦しみに同じものなんてない。全部一緒にしないでくれ。分かったようなことを言わないでくれ。そう謳っている人間のどれほどが、それが自分や家族に降りかかった時、手放しで祝福できるのだろうか。一点の曇りも無い笑顔で受け入れられるのだろうか。大概の人は無理だと私は思う。現実はそんなものだ。私自身も無理だと思う。だから私は拒絶せざるを得なかった。自分に出来ないことを他人にはして欲しいなんて私には言えない。
そう、私が拒絶したのは遥ではない。私自身なのだ。
遥と接しない学校生活は苦痛でしかなかった。目の前に好きな人がいるのに、声を掛けることすら出来ない。
辛く、悲しい学校生活が続いた。遥と出会う前より、私は確かに孤独になっていた。友達がいないわけではない。それは変わらなかったが、遥がいない。大好きな人がいない。最初から無かった苦しみと、途中から失ってしまった苦しみとでは次元が違った。私は知ってしまったのだ。親友がいる喜びを。遥がいる喜びを。
私の心は悲鳴をあげ続けた。
そんなある日の放課後、山中が声をかけてきた。
「境、最近元気ないけど大丈夫か?」
私はその言葉だけで涙が溢れた。私を見ていてくれた人がいた。正直山中じゃなくても良かったんだと思う。誰でも良かった。私は最低だ。でも、私の心を少しだけだけど救ったのは確かだった。
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