第25話 キス


クリスマスを家以外で過ごすのはいつ以来だろう。この歳になると、親からのプレゼントも無いし、どこか外へ食事に出かける事もない。うちはクリスチャンでも無いし、なんの変哲の無い日々の1つでしかなかった。それについて何か悲しんだり、他の人の様に人恋しいとも思わなかった。ただ今年は少し違う。私は遥と過ごす。愛ちゃんもいるのだから何か変な意味がある訳では無い。でも、今年は特別だ。友達であり、好きな人と過ごすのだから。私はソレを胸にしまって橘家に来た。時間は16時。丁度の時間に私はチャイムを鳴らした。

「いらっしゃいませ!」

 愛ちゃんはそう元気よく私を迎え入れた。嫌味の無い愛くるしい笑顔で玄関に立つ私を見つめる。私がきたことに本当に喜んでくれているようだ。こちらも自然と笑顔になる。

「愛ちゃん久しぶりー」

「はい! お姉ちゃんはご飯作ってます!」

 私は玄関を上がると、キッチンの方に顔を出す。何やらいい匂いが漂っている。

「遥―きたよー」

「響―いらっしゃい」

「何か手伝おうか?」

「いや、いいよ。愛と遊んでて」

 なんだかお母さんみたいだ。私は愛ちゃんと一緒に階段を上がり、遥達の部屋に入る。クリスマスだからといって何か派手な装飾がしてあるわけでは無かったが、部屋の真ん中に置かれたテーブルの上には可愛らしい小さなクリスマスツリーが置かれていた。部屋の中は暖房が付けっぱなしにしてあったので暖かい。私はマフラーとコートを脱いで、窓枠に掛かっていたハンガーにそれを掛けた。結露した窓ガラスでコートが濡れないように気をつけた。

「どうぞ」

愛ちゃんが座布団を置いてくれた。

「ありがとー」

私が座ると、愛ちゃんもテーブルを挟んで私の向かいに座る。ニコニコと私を見つめている。ずっと見つめたまま何も言わないので私は少し気になった。

「どうしたの?」

「いえ、響さんが来てくれたのが嬉しくて!」

「あはは、ありがと」

「来てくれないんじゃないかと思ってたんですよ」

「そうなの?」

「はい。だって、響さん、お姉ちゃんのことフったでしょ?」

 私の心臓は飛び上がった。

「だから、来てくれないかもなーって」

 私は愛ちゃんの言葉の裏を探した。でも、愛ちゃんの言葉には嫌味らしきものは含まれていなかった。それがなんだか逆に怖い。

「そのこと知ってたんだ」

「はい! 私お姉ちゃんと仲良しですから!」

「…ちょっと私図々しかったかな?」

「いえ! 全然です! ほんとに来てくれて嬉しいです! 私も響さんと仲良くなりたいですし」

 愛ちゃんの言葉に嘘はないようだが…なんだかこの子は無邪気過ぎると思った。今の中学2年生はこんなものなのだろうか。自分の姉の好きな人、相手は同性、しかもフっている相手にこんな明け透けに接せられるものなのか? まるでそんなこと関係ないような口ぶりだ。今も相変わらずニコニコしている。底が知れない…。

「響さんお姉ちゃんのこと好きじゃないんですか?」

 またドキリとする。

「そんなことないよ。大好きだよ」

 私は素直に答える。

「だったら!」

 そして私はまた心に蓋をする。

「でも、そういうのとはちょっと違うかな。友達としてね」

「そうですか…」

 愛ちゃんは本当に残念そうに肩を落とした。この子は同性同士の恋愛というものに何ら抵抗がないようだ。

…私も、そうだったら良かったのに。

 遥も愛ちゃんと同じなのだろうか。少なくとも愛ちゃんにフラれたことを話せるぐらいには平気なようだが。

「じゃあ好きな人は?! 出来ましたか?!」

 この子には驚かされてばかりだ。遥という存在の手前、私に好きな人がいてもいなくてもこの場で答えられることではないとも思うのだが、愛ちゃんにそんなことは関係ないらしい。私は答えあぐねてしまった。もちろん遥が好きと言えるはずもない。でもいないと答えるのも違う気がする。だが、いると答えれば追求されるに決まっている。それに愛ちゃんに話せばそれは遥の耳にも届くだろう。それは、嫌だった。

「いるんですね!」

 愛ちゃんがいきなりそう言ったので私は焦る。

「なんで!? い、いないよ。いないいない」

「嘘です! いるって顔に書いてあります!」

 妙なところでこの子は鋭いようだ。

「いないって!」

「大丈夫です。お姉ちゃんには言わないんで」

「いや、いないから…!」

「んー、響さんの好きな人ってどんな人だろう?」

 聞く耳を持っていない。もう何か確信を持っているようだ。私は反論するのを諦める。遥には言わないと言ったのを信じるしかない。

 階段を上がる音が聞こえた。

「愛―! お茶ぐらい出しなさいよー」

「ごめーん!」

 遥がお茶をお盆に乗せて持ってきた。私は愛ちゃんが話の続きをし始めるのではないかとハラハラしたが、杞憂だった。

「お気遣いなく」

「これからご馳走になるのに?」

「それもそっか。材料費ぐらいは出すよ」

「冗談だよ。呼んだのはこっちだし。愛、下からサラダ持ってきて。取り皿もね」

「はーい」

 愛ちゃんは立ち上がると騒がしく階段を降りていった。

「何話してたの?」

「…秘密」

「ふーん。愛に聞くからいいもん」

 愛ちゃんなら…きっと言わないでいてくれるだろう。そう願う。

「どうぞ聞いてください」

「何だよー」

 遥は膨れっ面を作る。ちょっと子どもっぽく思う。自分の家だと気も緩むのだろうか。可愛らしいと思うが口には出さなかった。

「まぁ、いいや。ご飯出来たから持ってくるね」

「手伝う」

遥が立ち上がったので、私もそれに倣った。

「座ってていいよ?」

「ご馳走になるだけじゃ難だし。それくらいはするよ」

「そう? ならお願いします」

 二人で階段を降りた。





 遥の作った料理はどれも美味しかった。サラダに、生地から作ったというピザ、鶏のソテー。デザートにはかぼちゃのプリンが出てきた。これも手作りだと言うから驚いた。

「遥はほんとに料理上手いね。私教わろうかな」

「ふふふ、いつでも習いにきて」

「私も習いたい!」

「愛はいつも手伝わないで食べるの専門じゃん」

「あはは。そうだね。じゃあ響さん料理作ったら私食べるから言ってね」

「あはは。分かった。お願いするね」

 楽しかった。こんなにクリスマスを楽しんだのはいつ以来だろう。食事中も相変わらず愛ちゃんは良く喋り、それを私と遥で聞きながらツッコミを入れたりしていた。今日は来てよかった。遥に呼ばれなかったら家で惰眠を貪るだけだっただろう。時間は19時になっていた。

「じゃあそろそろ片付けようか」

「私も洗い物やるよ」

「待って!」

 立ち上がろうとする私と遥を愛ちゃんが止めた。

「私が片付けるから、二人はゆっくりしてて!」

「何で? いいよ。一人じゃ大変だし」

「いいから!」

 愛ちゃんは遥を座らせると、テーブルの上に残っていた数枚の皿を持ち上げる。

「ゆっくりしてて! 一人でやりたいから! 邪魔しないで!」

 愛ちゃんはそう言うとまた騒がしく階段を降りていった。

 多分、愛ちゃんなりの遥への気遣いなのだろう。私と二人きりにする為なのはすぐに分かった。やり方は下手だが、やはり、愛ちゃんは優しい子のようだ。

「愛ったら。ごめんね。響」

「ん? 何が?」

 私は気が付かないふりをした。

「…ううん。何でもない。お茶淹れるね」

「ありがと」

 遥が急須でお茶を淹れてくれる。私は湯呑を受け取る。お茶は緩くなっていた。

 何だか愛ちゃんが居ないだけで急に静かになってしまった。私は壁に寄りかかって座る。

「お腹いっぱいになった?」

「うん。もう食べられません」

「ふふふ、良かった」

「美味しかったー」

「ふふ、またいつでも作ってあげるよ」

「やったー」

「ふふふ」

私は湯呑をゆらゆらと揺らし、中に残った茶葉を見つめた。何だか心穏やかだった。遥とは、やはりいつまでもこうしていた。ずっと友達で…

「そうだ! 忘れるとこだった!」

 遥はそう言うと、立ち上がり、自分の机の引き出しから紙袋を取り出した。そして、それを私に差し出す。

「はい」

「ん? なに?」

「クリスマスプレゼント」

「え! 私何にも持ってきてない!」

「いいよ。交換しようって言ってないし」

「でも…」

「いいから。はい」

 遥は再度私に紙袋を差し出す。

「ありがと」

 私は立ち上がってそれを受け取り、中を覗く。

「出してみて?」

取り出してみると、それは手袋だった。紺色で、編み込み模様がかわいい。

「手袋だ!」

「ちょっと地味かもと思ったけど、響はシックな方が好きかなって思って」

「ありがとう!」

「頑張って縫いました」

「え!」

 私は素直に驚いた。手袋なんて、人間の手で縫えるのか? まずそこから分からないし、この手袋はとても手縫いとは思えない出来栄えだった。売り物と何ら変わりない。網目も細く、模様も繊細だ。素人目に見ても、大変な時間が掛かるように思える。

「これ、すごい時間かかったんじゃない?」

「んーまぁまぁね」

「ありがと! すごいよ遥!」

「ふふふ、ありがと。ね、付けてみて」

 私は手袋に手を通す。手を開いて、遥に差し出すようにした。

「どう?」

「うん。いい感じ。サイズは問題ない?」

「うん! ぴったし!」

 私は両手を何度もひっくり返して手袋を眺める。クリスマスプレゼントをもらうなんて何年ぶりだろう。私の母はサンタさんは居ないと言って私を育ててきた。プレゼントはもらっていたが、それも確か小学生までだったように思う。人に何かをもらうことがこんなにも嬉しいことだったなんて、私はすっかり忘れていた。

「これで、また手袋忘れたら怒るよ?」

「あはは。これでもう大丈夫だね! 遥が作ってくれたんだもん。忘れないよ」

私は目一杯の笑顔でそれに答えた。すると何故だか、遥の顔が少し歪んだ。そして遥は私に抱きついた。

「遥?!」

「ごめん。響。少しだけ」

「…遥」

「少しだけこうさせて」

 私は何も言えなかった。プレゼントを用意していなかったからじゃない。遥の早鐘のような鼓動が遥の胸から、私の胸に伝わってきていたからだ。遥は強く私を抱きしめる。遥は目を瞑り、私の肩に顔を埋める。早く離れなきゃいけないと思うと同時に、離れ難かった。遥の暖かさをこのまま感じていたい。私も遥を強く抱きしめたい。でも出来ない。手袋をした両手は宙ぶらりんだった。

「遥」

「…お願い。こうしてて。プレゼントのお返しなんて要らないから」

「…ちゃんと返すよ」

「何を? 何を返してくれるの?」

「それは…」

 遥は私に抱きついたまま私の顔を見上げた。

「…決まってないなら…頂戴」

 遥はそれだけ言うと、私の唇に自分の唇を重ねた。

 私は何が起こったか気付くのに少しだけ時間がかかった。そして、遥を押しのけた。

 呼吸が荒かった。手袋をしていても、手が震えた。

「響…」

私は遥の顔を見ずに、急いで窓に掛けてあったマフラーとコートを取り、部屋から駆け出した。

「響!」

 遥がそう叫んだが、私は振り返らなかった。階段を急いで降りる。リビングで洗い物をしている愛ちゃんの後ろを通り過ぎる。

「あれ? 響さん。どうしたんですか?」

 愛ちゃんの声も無視して、玄関で靴を履く。

「帰っちゃうんですか?」

また声をかけられたが、返事はしなかった。

私は橘宅から飛び出した。

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