第21話 イヤ
「え、何言ってるの?」
「え、付き合ってるんでしょ? 橘と」
山中は不思議そうな顔をしている。多分私も同じ顔をしていたと思う。
「は? なんでそうなるの?」
「え、だって、境が図書室で同性愛の本、真剣に見てたから」
「は? いやいやいや、見てないし!」
「手に取ろうとしてたじゃん。それに橘が男子に人気あるって言ったら怒ったし」
「それは…なんとなくムカついただけだし」
「あと、手繋いでるとこ見たって奴もいたし」
「それは…友達なら良くあることでしょ…」
なぜ私は言いを言うように必死になって弁解しているのだろう。言っていてだんだん自信がなくなってくる。確かに側から見れば私が遥と付き合っていると勘違いするのもおかしく無いかも知れない。
「って、違うって言ってるじゃん! というか、それ鈴木に言ったの?!」
「いや言わないよ。デリケートなことだし思うし…」
山中は柄にもなく神妙な面持ちでそう言った。山中は鈴木と比べれば多少は気を使えるみたいで安心した。だがまず根本が違う。
「デリケートとかじゃなくて! 違うから! 付き合ってないから!」
「そうなの? なんだ。良かった」
「良かった? 何が」
「いや、なんでもない。あ、でも、鈴木には言ってないんだけどさ…」
「他の人には言ったの?!」
私の叫び声は部室棟の廊下に響き渡った。私は慌てて口を手で覆った。廊下にいた生徒たち数名が何事かとこちらに目を向けた。私は人差し指を立てて「しー!」と、山中にジェスチャーする。
「…いや、俺?」
私は他の生徒たちの視線が散らばるのを待って、小声で、
「…誰かに言ったの?!」
「言ってない。俺は」
「俺は?」
「多少、その、男子の間で噂になってるって言うか…」
私は絶句した。
「最近仲良さそうだし、手繋いでたし…、俺でも勘違いしたくらいだから、その…」
私は眩暈を覚えた。自分の知らぬ間にそんな噂が立っていたなんて。この誤解を解くのは難しいと思った。私と遥は急速に仲良くなった。名前で呼び合い、たまに手を繋いで登下校する。しかも相手は橘遥だ。男子の人気もあると山中は言っていた。よくよく考えれば噂にならないはずもないのだ。面白がってそんな事を言い出す人間がいてもおかしくはない。確かに遥への気持ちが恋心なのかと自分で自分を疑っている節もある…けれどこれはそれとは全くの別問題だ。私の普通が、日常が脅かされている。学校に女子同士のカップルがいるとなったら、噂は瞬く間に広がるだろう。いや、噂はすでに広まっている可能性もある。例えそれが誤解だとしても。今も、今までも、これからも好奇の目に晒される。そう思うと…
「だめだ…気持ち悪くなってきた…」
私は眉間を手で押さえ、壁に寄りかかる。
「え! 大丈夫か?! 保健室行くか?」
「ううん…帰る」
私はもうこれ以上何か聞きたくないと思った。
「ごめんな。勘違いだったなんて…噂してた奴に言っとくよ。違うって」
「…うん。お願い」
私は比喩でもなんでもなく、本当に気分が悪くなっていた。動悸が酷い。帰ると言ったものの、足を動かす気力が湧かない。
「本当大丈夫か?」
私は答えられなかった。
「ちょっと待ってて。俺、送ってくよ」
山中はそう言って部室に戻っていった。
山中と、いや、男子と一緒に帰るのは初めてのことだったが私は終始言葉を発しなかった。何も考えたくない。足取りは重かった。山中は気を遣って、「みんなすぐに忘れるよ」とか「みんな面白がってるだけだよ」などと、慰めの言葉を私に掛け続けた。山中が優しいことは充分分かったが、今はその言葉で元気を取り戻せる状態ではなかった。明日からどんな顔をして学校に行けば良いのか分からない。それに遥と今後どう接せば良いのかも分からなくなっていた。
「…ここだから」
私は自宅のマンションの前で足を止めてそれだけ言った。
「ほんと大丈夫?」
「…うん」
「ごめん。俺があんな話ししたせいで…」
首を横に振って答える。
「…じゃあ」
私は山中の返答も待たずに振り返る。
「あんま考え過ぎんなよ!」
山中は私の背中にそう声をかけたが、私は何も言わずマンションに入った。
メッセージを送っても響からの返事がなくなったのは二日ほど前からだった。
『部活終わったよー。響まだ学校?』
『ううん。帰った。具合悪いからもう寝るね』
『大丈夫?! 風邪でも引いたのかな?』
『大丈夫』
『ゆっくり休んでね』
『響、具合どう? 今日学校来れそう?』
『今日は休む』
『まだ体調悪いの? お大事にね』
そのやりとり以来連絡がつかない。響は三日も続けて学校に来ていなかった。心配で仕方がない。返事が出来ないほど体調が悪いのだろうか。インフルエンザとか? 具合が悪いのならあんまりメッセージを送るのも悪いだろうと思い、なるべく控えてはいるのだが、もどかしくてたまらない。もしかして何か重い病気とか? いや、やめよう。響のネガティブが移っている。早く返事が欲しい。自分勝手だと分かっているが早く安心したかった。授業中もなかなか集中できずに携帯電話を小まめに確認している始末である。響は元からあまりメッセージのやりとりを好むタイプではないと思う。だが、今まで私からの連絡を無視することは一度もなかった。妙な胸騒ぎがして落ち着かない。
「今日も来てないね。境さん。なんかあったの?」
休み時間、同じテニス部の木村さんが話しかけてきた。響のことを私に聞いてくる。それだけ私達の仲が良くなっていると皆に伝わっているのだろう。少し嬉しく思うが今はそれどころでは無い。
「わかんないんだよね。最初は具合悪いって言ってたんだけど」
「そうなんだ。心配だよね」
「うん」
「山中と何かあったのかな?」
「え…」
突然出ててきた名前に私は驚きを隠せなかった。山中とは確か放課後たまに響と一緒にいた男子だったはず。
「なんで山中君?」
私は動揺を悟られまいと、問い詰めたい気持ちを抑えて穏やかに木村さんに聞く。
「なんか、月曜に二人で帰ってるの見た人がいてさ。なんか凄い気まずい雰囲気だったみたい。聞いてない?」
「あ、うん。そういえば、そんなようなことは言ってたような…」
「そりゃ知ってるか。橘さんは境さん担当だもんね」
虚勢を張って知ったかぶりをしたが、私は聞いていない。私に言えないことがあったのだろうか。二人の間に何か…。響が私に隠したいこと…。嫌だ。私は思ってしまった。響には私に全て話してもらいたい。隠し事なんて一つもしてほしくない。全てを二人で共有したい。
これが独占欲というものなのだろうか。響は私のモノではない。でも、そうじゃないと嫌だ。馬鹿げた感情だと自分でも思う。けれど、この欲求は日に日に増していく。こうして、私の知らない響がいることが嫌でたまらない。私に何か隠している響に怒りすら湧いてくる。
だめだ。こんなんじゃ。響に嫌われる。それは何よりも嫌だ。
私は深呼吸して心を落ち着かせる。
「木村さん」
「なに?」
「今日ちょっと用事があるから部活休むね」
「そか。分かったー言っておくね」
「ありがと。あと」
「ん?」
「山中君って何部?」
私は精一杯の笑顔できいた。
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