第17話 しつこい


「おねーちゃーん! もうちょっとで出来るよー!」

 大きな声が部屋の外から聞こえて目が覚める。部屋の電気が付いていて、眩しい。横を見ると、隣に遥はいなかった。

「はーい! わかったー!」

 ぼんやりしながら起き上がると、遥はテーブルで勉強の続きをしているようだった。

「起こしちゃった? ごめんね」

「…ううん」

 寝ぼけ眼を擦る。夢でも見ていたのだろうか。

「起こしてくれて良かったのに」

「凄い気持ちよさそうに寝てたから。私も少し寝ちゃってたし」

「そっか…」

 あれは夢だったのだろうか。仮に寝ぼけていたとしてもあんなことするなんて。頬を撫でて、顔を埋めて…。遥に変わった様子はない。なので、夢ということにしておく。

「…眠い」

「ふふふ、もう7時だよ? 時間大丈夫?」

「あ、ごめん。こんな遅くまで」

 私はやっと覚醒し始める。

「お母さんがご飯たべていきなって」

「いや、悪いから帰るよ」

 私は急いで立ち上がって、荷物をまとめようとしたが、

「もう作っちゃてるから、食べてってもらわないと困りますー」

 そう言われたもう帰るわけにはいけない。私は帰るのを諦めて、座る。

「図々しくないかな?」

「大丈夫。お母さんも喜んでるから」

 遥の家族と食卓を囲むことになるとは…私は正直気まずい感じがして気が引けた。友達の家で夕飯を食べるのは人生で初めてだった。遥の家族とどう接したらいいのだろう。何を話せば良いのだろう。私の顔を見て察したのか遥は、

「ふふ、ご飯できたら持ってきてくれるから。心配しないで」

「あ、うん。ありがと…」

 遥は私の考えなどお見通しか…敵わない。

「でも、愛が一緒にご飯食べたいって。いい?」

「うん。全然いいよ」

どうやら愛ちゃんは本当に人懐っこいらしい。初めてあった私と食事を共にしたいだなんて、逆の立場なら絶対できない。その社交性は見習うべきものがあるなと私は思った。

 階段を登る音が聞こえた。ドアが開くと愛ちゃんと目があった。

「あ、響さん、起きました? ご飯できましたよー。私も一緒にいいですか?」

「うん。もちろんいいよー」

「やったー」

 なんということだ。寝ていたのを見られていたのか。平静を装ったが私は少し動揺した。遥と寄り添って寝ているところを見られていなければいいが…。

「響さんて、お姉ちゃんとすっごい仲いいんですね! くっついて寝てたし!」

 見られていた…

「いいでしょー。仲良しなんだー」

 遥も何故かそれに乗った。いつもの悪戯な笑みで言う。嬉しいが、恥ずかしいのでやめてほしい…。

「私もお姉ちゃんと仲良しです!」

 愛ちゃんはそう言うと、遥の肩にくっつく。

「そっか。いいねー」

 とても可愛らしい子だなと素直に思った。中学2年生にしては少し子どもっぽくもあるのだが、愛ちゃんの言葉には嫉妬だとか張り合おうとか、そういった嫌味が一切無かった。私は純粋にこんな可愛い妹だったら私も仲良しになれるだろうと思った。うちの姉から見て、私はこんなに可愛くはないだろう。まぁ、仮に私が愛ちゃんの様に肩にくっ付いたら気持ち悪がられるだけだと思うが。

「だから、私たちも仲良くなれると思います! お姉ちゃんを好きな者同士だから!」

「あはは。そうだね。これからよろしくね。愛ちゃん」

「はい! あ、今ご飯持ってきますね!」

愛ちゃんは階段を騒がしく降りていった。私はそれを微笑んで見送った。

「愛ちゃんかわいいね」

「…うん」

遥の方を見ると、何故だかわざとらしくジトっとした目で私を見ていた。

「え?! なに?!」

「別にー」

 遥はそう言うと立ち上がって下に降りていく。私も慌てて立ち上がり、後に続いた。

 その後、遥のお母さんにお礼を言って、部屋に戻り、ご飯を頂いた。三人での食事はとても楽しかった。ほとんど愛ちゃんが喋っていたのだが…。友達の話や、遥を真似して入ったテニス部の話、習い事の話等。どれも私の知らないことばかりだし、話も飛び飛びで上手くはないのだが、愛ちゃんが楽しそうに喋るので、こちらも自然と笑顔になった。

「響さん彼氏いますか?!」

 今度はそう来たか。食事も終わり、愛ちゃんにも慣れてきたのか、突然の質問にも動じなくなっていた。

「いないよー」

「えーモテそうなのにー」

「全っ然!」

「じゃぁ、好きな人は!?」

「え」

 私は黙ってしまった。好きな人。そう聞かれて、何故私は言い淀むのだろう。自問する。1番に浮かぶ顔は、やはり遥の顔だった。でも、私は未だ確信を持つことが出来ない。谷さんにも言われたことだ。その子が、遥が好きなんじゃないかと。でもこの気持ちはただ、友達に対して持つ普通の感情なのかもしれない。友情という名の。私はわからなかった。私は彼氏も…彼女も作ったことはない。それよりもまず、人を好きになるということがわかっていない気がする。仮に私が抱くこの遥に対する感情が恋というものなら…だめだ。やはり、恐怖が先行してくる。でももしも、これが恋ならば、私はどうするべきなのだろう。谷さんはこうも言っていた。思春期には誰にでも起こり得る事だと。それはつまり、思春期を過ぎればいつしか無くなるものかもしれないという事だ。私は遥が私のことを好きではないのかと疑っている。疑っているのに何故聞けないのか。それは恐怖も大いにあるのだが、遥の気持ちを私が受け入れたとして、それが一過性のモノであった場合、取り返しのつかないことになり得る。そうではない可能性ももちろんあるが…。私が、あるいは遥がその一過性の感情でしかなかったら? 私はそれが何より怖い気がする。お互いが、どちらかが、一時の気の迷いだけで恋人関係になってしまったら…。上手く行かなくなるのは明らかだ。そしてその傷はきっと普通の失恋よりも大きく深いものになる気がしてならない。普通の恋愛すらしたことのない私だが、そう感じる。少なくとも友達に戻ることは不可能だ。そこまで考えて私は、

「響さん??」

「んー…いないと思う、多分…」

 と、曖昧な答えをすることしか出来なかった。私は遥の顔をチラリと見てみる。遥は真顔で私の答えに対するリアクションは一切しなかった。遥がどう思ったのか、私には分からない。

「遥は…」

 私は、震え出す手を手で抑えて、思い切って聞いてみた。

「遥は、好きな人、いる?」

「私は…」

暫しの沈黙があった。早くなった心臓の音がよく聞こえた。

「私は…私もいない…かな」

 私は………安心した。私の杞憂だったんだ…! いつもの考え過ぎだったんだ…! 良かった。良かった…はずなのに…

「え、お姉ちゃ」

「あ! もう8時過ぎてる! 響そろそろ帰ったほうがいいよ! あんまり遅くなると危ないよ!」

「…うん。そうだね。ごちそうさまでした」




 私は遥の家族に挨拶を済ませ、玄関を出る。遥が、外扉まで送ってくれる。

「じゃぁ、ありがとね。勉強も教えてもらっちゃったし、ご飯まで」

「ううん。また来てね」

「うん。また」

 私はなんだか、この場から離れ難くて仕方なくなった。なんだか、胸が痛い。痛くて痛くて仕方がなかった。私は遥から目を逸らせなくなった。このまま何も言わず、この場を離れられない。

「どうしたの?」

「遥」

「…何?」

「…ずっと友達でいてね」

 一瞬、遥の顔が歪んだ様に見えた。でも、次の瞬間には困ったような笑顔になっていた。

「…うん。もちろんだよ」

「…良かった」

 私は何故か溢れ出そうとする涙を必死で留めた。

「それじゃ」

「じゃぁね。また明日」

 私は振り返って歩き出した。






響の姿が見えなくなった後、部屋へ戻り、愛がいないのを確認して、私は涙を堪えるのをやめた。

胸が痛くて痛くて堪らなかった。こんな痛み耐えられないと思った。心臓を尖った物で何度も刺されているような痛みだ。それは比喩じゃなく、本当に痛かった。

 響が好きな人はいないと思うと言った時から、私はこの痛みに耐えていた。私は少しだけ期待していたんだ。もしかしたら、響も私のことを想ってくれているんじゃないかって。いると答えてくれたほうが、何倍もましだった。希望が持てた。でも、響が悪いわけじゃない。私が勝手に期待していただけなんだ。響に好きな人がいるかと聞かれて「私には居る」と言う勇気はなかった。響が私を想ってくれてないのに、そんなこと、言えない。その可能性が無いと聞かされた後で、そう答える事なんて出来なかった。

 私はうずくまって、声を押し殺して、泣いた。



階段を上がる音が聞こえた。

「おねーちゃーん」

「入らないで!」

 愛が部屋に入ってこようとしたので私は叫んでしまった。でも、愛はドアを開けた。

「お姉ちゃん! どうしたの?!」

 私の泣き顔を見て、愛が駆け寄ってくる。

「どうしたの?」

「…なんでもない」

「響さんになんか言われたの?」

「…違う。響は悪くない」

「じゃあどうしてそんなに泣いてるの?」

 愛は本当に心配そうに私の顔を見た。少し目が潤んでいた。この子は…本当にいい子だ…。少しだけだけど、私は微笑みを取り戻した。

「ごめんね愛。大丈夫だから」

「お姉ちゃん…響さんのこと好きなんでしょ」

「え…なんで」

 これには本当に驚いた。愛には好きな人がいるとは言っていた。だが、相手が響、ましてや女性ということすらも言ってはいなかった。

「私余計なことしちゃったよね。ごめんね…」

 愛は今度こそ涙を流した。そして私に抱きつく。

「…本当にごめんなさい!」

 愛はわんわん泣いた。私は愛の頭を撫でる。これじゃ慰めているのがどちらかわからない。

「愛、いいから。大丈夫だから…。でもなんで分かったの? 響が好きだって」

「顔」

愛は泣きながら答えた。

「顔? 誰の?」

「お姉ちゃん」

 そんなに顔に出ていたのか…それとも愛の洞察力がすごいのか…相変わらず胸は痛いが、なんだか可笑しくなってくる。愛にも伝わるくらい、私は響のことが好きなんだ。

「ふふふ…そっか」

「…本当にごめんね」

「ううん。愛は悪く無いから、大丈夫だよ」

「…ごめんね」

「よしよし」

 響の言葉はショックだった。けれど、やはり私の気持ちは、響に対する想いは変わらなかった。響が好きだ。響が好きだと自分で認めた日から、私の決意は変わらない。必ず響を振り向かせる。ちょっと頼りないけれど、かわいい相談相手も出来た。

「必ず落とす…! あはは、なんてね」

 私はわざとらしくそう言った。

「私も応援するから」

「ふふ、ありがと」

私は胸の痛みを押し殺した。こんな痛みに負けていられない。好きな人がいないのなら、私がそこに入り込む余地もあるはずだ。私はしつこいぞ。響。

絶対に諦めない。私は改めて胸に誓った。


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