第16話 まどろみ


遥の家に招かれた。いよいよテストを目前に、二人で勉強しようという話になった。私の家でも良かったのだけれど、遥に「家にくる?」ときかれた。断る理由もないし、何より友達に家に招かれるのはこれまた小学生以来無く、私は胸躍った。友達の家で勉強。当たり前だが友達っぽくて嬉しい。母に遥の家に行くことを伝えると、何か菓子折りを持っていけとうるさく言った。遥がうちに来た時持って来たのだから、お返しをするのは当たり前だ。それは分かるが、私は何を持って行ったら良いか分からなかったので、母に頼んで買って来てもらった。

日曜日、13時5分前に遥の家の前に着いた。犬のモモが私の気配を察知したらしく、犬小屋から大きな鳴き声で私を威嚇しだした。それをきっかけに、2階の窓が開く。

「あ、やっぱり。来た来た。やっほー」

遥が窓から手を振る。私は手をふり返す。モモは私の訪れを知らせる役割ということか。相変わらず何故嫌われているのか分からないが、玄関のベルを鳴らすのを緊張していた私にとってはありがたかったので今日のところは褒めて使わそう。今日は日曜日ということもあって、ベルを鳴らしたら、遥以外の家族が出ることもあるだろうと思っていた。それを避けられた。

「今行くからー」

 遥は窓を閉める。家の中から階段を降りる音が聴こえ、玄関のドアが開く。

「いらっしゃい」

「お邪魔しまーす」

 私は外扉を開け、玄関に向かう。遥の方を見ると、遥の横からひょっこりと顔を出した女の子が見えた。

「あ、こんにちは」

「こんにちはー」

 遥の妹だろう。確か中学2年生だったはず。遥の妹は遥によく似ていた。ただ、遥より髪が短くショートで、背は遥より少し高かった。可愛らしい笑顔で私に挨拶を返した。

「愛、友達の響」

 妹の名前は愛というらしい。

「響さん! どうもです」

「境響です。よろしくねー。愛ちゃん」

「寒いから入って入って」

 私は遥に促されて、玄関に足を踏み入れる。

「お母さーん、友達来たー」

「はーい、いらっしゃーい」

 遥のお母さんは左のドアからエプロン姿で出てきた。これまた遥に似ていた。いや、この場合は、橘姉妹がお母さんに似ているのだろう。エプロンには何か白い粉のようなもので汚れていた。

「お邪魔します。遥さんのクラスメイトの境響です。いつもお世話になっています。あのこれ、つまらないものですが…」

 緊張して自分でもおかしいと思うくらい堅苦しい挨拶をしてしまった。手土産を遥のお母さんに渡す。

「ご丁寧にどうもね。こちらこそお世話になってます。遥が友達連れてくるなんて久々なの。あ、ご飯食べてきた? お腹空いてる? 今パン焼いてるの。あとで持っていくね」

 柔和な笑みで遥のお母さんはそう言った。優しそうな人で良かった。エプロンの汚れは小麦粉か。

「あ。ありがとうございます」

「さ、上がって上がって」

「お邪魔しまーす」

私は靴を脱ぎ、遥に習って、靴を揃える。

「部屋、2階だから、行こ」

「うん」

「愛は下にいてね」

「えー! 何でよー」

「勉強するのー」

「ぶー」

「ごめんねー愛ちゃん」

 遥と愛ちゃんは同じ部屋というのは事前に聞いていた。玄関に上がってすぐの階段を登る。

「良かったの? 愛ちゃん」

「良いの良いの。愛は勉強嫌いだから。遊びたいだけ」

 少し耳が痛い。私も勉強は嫌いだ。遥に誘われなかったら私は今回のテストも一夜漬けで終わらせていたことだろう。

 二人の部屋は階段を上がって、右の部屋だった。入ると、勉強机が奥に二つ、窓を挟んで向かい合うようにして配置してあった。左の机の横には大きな本棚があって、私の部屋の本棚と違い、中は本でいっぱいだった。こちらが遥の机だろうと、一目で分かった。右の机の横には電子ピアノが置いてある。部屋の隅には畳まれた布団が二つ。橘家は布団派らしい。床は板張りで灰色のカーペットが敷かれている。

「適当に座ってー机出すから」

 遥は壁に立てかけてあった、小さなテーブルを部屋の真ん中に置く。確かに勉強机一つで、二人並んで勉強するのはおかしいか。私は鞄を入り口のそばに置き、座る。

「あ、コート」

「あぁ、ありがと」

 私はコートを脱いで、遥に渡す。遥は窓枠にかけてあったハンガーにコートを掛けた。私は体育座りでそれを見守る。何だか、私の部屋と違って生活感がある。少し、おじいちゃんの家に似ているなーと思った。

「愛、響がくるの楽しみにしてたんだよ」

「え、なんで?!」

「私友達家に呼んだことなんてほとんどないから。ふふふ、私も友達になりたいってさ」

「えー、私なんかで申し訳ない…」

「そんなことないよ」

「嬉しいけど、仲良くなれるかな?」

「大丈夫。愛は人懐っこいから」

 人懐っこいはずのモモに嫌われた前例があるので私は余計心配になった。

「愛ちゃんかわいらしいね」

「うん。かわいい妹です。あ、お兄ちゃん今日はいないから」

「そっか」

部屋を見回す。風景画のパズルや、授業で描いたのだろうか。油絵や、習字が飾られていた。どちらもとても上手い。

「遥、字も絵も上手いね」

「そう? ありがと。習字は愛と一緒に習ってたんだ」

「へ〜。このピアノは? 弾けるの?」

「少しなら。ピアノも中学まで習ってた」

「へ〜。遥はなんでも出来るね」

 私とは大違いだ。この子はなんでも出来るのか。自分の特技の無さに落胆する。でもそれと同時に何か誇らしい気分になった。私のことではないのに。

「そんなことないよ。全部今はやめちゃったし。愛は今だにどっちも頑張ってるよ」

「愛ちゃんもすごいんだね」

「偉いよ。愛は」

「仲いいんだね。私お姉ちゃんのことそんなに褒められないもん」

「そうなの? 私も響のお姉ちゃんに会ってみたいなぁ」

「普通だよ。仲悪くはないけど。普通」

「ふふ、そっか。今度紹介してね」

「機会があったらね」

「うん。よし、それじゃ、始めようか」

 遥は、自分の勉強机の棚から教科書とノートを取り出し、テーブルの上に置く。

「え〜」

「何しにきたんですかー」

「遊びに」

「違うでしょー」

「はぁ〜」

 私は仕方なく、鞄を手元まで引き寄せ、チャックを開ける。

「あ」

「どしたの?」

「教科書忘れた」

「響…」

「…ごめんなさい」



その後、教科書は遥に貸してもらい、なんとかなかった。途中、遥のお母さんが焼いたパンを持ってきてくれた。それはどれもとても美味しかった。遥のお母さんはパン作り教室を開いているほどの腕前らしい。親子揃って凄いと私は感嘆した。

 一緒に勉強といっても、私が遥に教わることばかりだった。私は勉強の邪魔じゃないだろうかと心配になる。遥に教わりながら勉強を進めるうちに窓から夕日が差し込んできた。



「ふぃー、もうだめ疲れた」

 私は仰向けに倒れ込む。

「こんなもんにしておこうかー」

 いつしか隣に座って私につきっきりだった遥もペンを置く。そして、遥も私の横に寝転んだ。

 二人で横になり、天井を見る。

「ごめんね。教えてもらってばっかりで」

「いいよ。教えるのも勉強になるし」

「またお願いします」

「ふふふ。はい」

 天井は木目模様の板張りだった。木目を目線でなぞっていく。なんだか眠くなる。暖房の温かさ、茜色の夕日、そして何より勉強の疲れか、すぐに瞼が重くなってくる。

「…眠い」

「いいよ。毛布出してあげる」

 遥は寝転んだまま手を伸ばし、畳んであった布団から毛布を取って、私に掛けた。

「…あったかい」

 毛布は柔らかく、遥の匂いがした。

「遥の匂いだ…」

「えー。臭い?」

「…ううん。いい匂い」

 私は微睡の中でそう答える。そして、いつしか眠っていた。





目覚めると、部屋は暗かった。静かで、壁に掛けてある時計の音だけが聴こえた。

遥は…横を見ると、同じ毛布を被り、私の腕にひしと両手で掴まって寄り添うように寝ていた。耳を澄ますと小さな寝息が聞こえる。とても近い。でも嫌じゃなかった。遥の寝顔は幸せそうで、美しかった。私は衝動的に、遥の頬を撫でてしまった。起こさないよう、優しく撫でる。遥の体温を仄かに感じる。それは私の胸を暖めた。

 私は、私の腕に身を寄せる遥の顔をもう一度眺めて、その頭に顔を埋めた。遥の髪が頬や鼻先を掠めてくすぐったい。でも心地よかった。そしてそのまま微睡に落ちていった。

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