第11話 なんでも
「遥、おはよう」
「おはよー響」
私たちは今日も一緒に登校する。いつもと変わらない景色。それが何より嬉しい。変わったのは11月も下旬、すっかり寒くなってコートとマフラーを手放せなくなったこと。それとやっと名前で呼び合うことに慣れたことくらいだろうか。最初はどうにも慣れなくて、「橘」と呼んでしまい、遥に軽く睨まれたり、あえて無視されることもあった。私はそんな矯正を繰り返されやっと「遥」と違和感なく呼べる様になった。でも未だに、「遥」と呼ぶことへの高揚感は消えていなかった。私だけが、彼女を「遥」と呼ぶ。それは遥自身にとっても特別なことだと思う。呼び捨てで呼び、呼び捨てで呼ばれる。他の人間にとってはどうという事もないだろう。でも私たちにとっては特別だ。家族以外でそう呼ぶのはお互いだけなのだから。それも人生で初めてのことだ。お互い名前で呼び合うようになってから、私たちの距離はより一層近づいた様に思う。
「響―、手袋は?」
「あ、忘れた」
「もう、私の片っぽ貸そうか?」
「え、いいよ。大丈夫」
「じゃあ私も外すから手繋ごうか?」
ドキリとする。遥は悪戯な笑みを浮かべて言ってくる。
「やだよ。恥ずかしいし。誰かに見られたら」
「誰も見てなかったらいいの?」
「からかわないでよ…」
「ふふふ、ごめんごめん。でも友達なら手繋いでも変じゃないと思うけどなぁ」
「そうかなぁ?? 確かにたまーに見るけど」
「でしょ? ほら」
遥は手袋を外して、手を差し出す。私は再度ドキリとしたが、恐る恐る遥の手を握ってみる。遥の小さい手は柔らかくて、とても暖かかった。私の手と心をふんわりと包み込む様だった。遥の手を握るのは友達になった時にした握手以来。その時とはまたちょっと違う暖かさだった。
「響の手、冷たい…」
「じゃあいい!!」
私はパッと手を離して逃げる。
「あ! もう! 待ってよ!」
私は恥ずかしくて赤くなった顔を見られないよう、走った。
昼休み以外の休み時間も私たちは二人で過ごす様になっていた。遥が窓際の私の席まで来る。前後の席が空いていればそこに座り、空いていなければ今の様に窓に寄りかかる様に立って私と喋る。
「今度さ、響の家行きたい」
「え」
遥が突然そう言った。
「いや?」
「嫌じゃないけど、何にもないよ? 来てもつまらないかも」
謙遜ではなく、本当にそう思った。友達を家に呼んだことなど思い出せる限り、田舎にいた頃の小学生以来無い。私は友達をもてなす方法がわからなかった。
「いいのいいの。行くことが大事なんだよー」
「? そういうものなの?」
「ふふふ、わかんないけど。じゃぁ、今度の休みにでも。いい?」
「うん。いいよ」
遥が家にくる。安請け合いしてしまったが、良かったのだろうか。何だか想像すると緊張してくる。変んなものは…置いていないとは思う…今日家に帰ったら確認してみよう…
「よし、楽しみが出来た。それとさ、今日は一緒に帰ろうよ」
「いいけど、部活は?」
「今日はいいや。行く気分じゃない」
「大丈夫なの?」
「具合が良くないってことにしとく」
遥は時々だが、部活をサボるようになっていた。私は幽霊部員なので部活の事情とかはよく知らないが、大丈夫なのだろうか? 正直あまり「らしくない」とも思うが、一緒に帰れるのは嬉しいし、本人が大丈夫というのであまり気にしないように私はしていた。
その週の土曜日、私は、私の住むマンションの前で遥を待っていた。約束の時間は14時だが、私は午前中から部屋の掃除をして、身だしなみを整え、30分も前から、こうしてマンションの前の道をウロウロしている。遥が来るであろう道の先を何度も確認した。
「やっほー」
遥が来たのは約束の5分前だった。きっちりしている。そして何故だか遥は制服姿だった。コートの裾から制服のスカートが見えた。
「何で制服?」
「ちょっと顧問に呼び出しされて学校行ってた」
「今日部活だったの?」
「うん? まぁ…」
何だか歯切れが悪い。私は少し心配になった。
「なんかあったの?」
「ううん。何でもない」
「…ほんと?」
「相変わらず心配性だね。大丈夫だよー。それより、ほら! 中入れて。寒いよー」
「う、うん」
私は何だか腑に落ちないままだったが、遥に押されるのでマンションの中に入る。私の住むマンションは6階建ての小さなものだ。私の家は4階なのでエレベーターに乗る。エレベーターの中、遥の顔をチラリと見たが、特に変わった様子はなかった。4階に着き、廊下を進んで突き当たり右が私の家だ。鍵を開け、ドアを開く。
「友達来たよー」
家族には事前に遥が来ることを伝えていたが、中にいる皆に聞こえる様に言った。
「じゃあ、どうぞ」
何だか私は畏まりながら言ってしまう。
「お邪魔しまーす!」
遥は元気よく言う。これも家族に聞こえる様にだろう。
「はーい!」
家の奥から母の返事が聞こえた。母は駆け足で玄関にやってきた。出てこなくていいとも言っておいたのだが、無駄だったようだ。
「お邪魔します。初めまして。響さんのクラスメイトの橘遥です」
「ご丁寧にどうもねー。初めましてー。響の母ですー。響と仲良くしてくれてありがとねー」
母はペコペコと頭を下げながら言う。
「いえ、こちらこそお世話になってます。あの、これ」
遥は何やら手土産を持って来ていたらしい。紙袋を母に渡す。
「あらー、ありがとうございますー。よくできた子だね〜。うちの子と違って! あはは」
「…お母さん、もういいから…」
何だか恥ずかしくてたまらない…。母は明るく陽気な人で、話好きだ。私とは性格はあまり似ていないと思う。
「あ、ごめんごめん。どうぞどうぞ上がって」
遥は靴を脱いで玄関に上がると、しゃがんで靴を揃える。
「ほんと良く出来た子。可愛いし! お母さんびっくりしちゃった!」
「ふふふ、ありがとうございます」
もう耐えられない…!
「お母さん! もういいから!」
私は母を手で押して、家の奥へ引っ込める。
「何よ! お母さんもガールズトークしたい!」
「ガールって歳かっ!」
「遥ちゃん、ゆっくりしていってねー」
「はーい」
私はリビングのドアを開けて、母を押し込んだ。
「ふふふ」
遥はそれを見て楽しそうに笑っていた。
「ごめんね。もう…。だから出てこなくて良いって言ったのに…。部屋行こう」
「ふふふ、うん」
私の部屋は玄関を上がってすぐ左の部屋だった。ドアを開ける。
「ほー」
遥は私の部屋に入り、中を見渡すと何か関心しているように頷いている。
「な、なに? なんか変?」
「ううん。響の部屋っぽいなーと」
「何も無いでしょ」
私の部屋には女子らしいものは何もなかった。パソコンが置いてあるデスクテーブル、炬燵とベッド、洋服ダンスに、スカスカの本棚ぐらいしか置いてあるものはない。自分で言うのも変だが生活感はあまり無い。つまらない部屋だと思う。
しかし、自分の部屋に家族以外の人間がいるのは変な感じがする。それも遥がいる。何だか楽しい違和感だ。
「コート」
「あ。ありがと」
私は遥からコートを預かり、ハンガーラックに掛ける。
「適当に座って」
私はベッドに腰掛け、促す。
「じゃあ」
遥はカバンを下ろすと、ベッドの上、私の隣に腰掛けた。
「え」
私はびっくりした。別に嫌ではない。だが、普通適当に座ってと言われて、隣に座るものなのだろうか? ベッドの上だし…。何だか変な緊張がやってくる。遥は気にする様子もなく、まだ私の部屋を物珍しげに見回している。
遥と居て、こんな緊張を味わうのは久しぶりのことだった。
「お母さん」
「ん?! なに?!」
「楽しい人だね。意外だった」
「あぁ…うん。ごめんね。うるさくて」
「ううん。ふふ、優しそうで良かった。でも、あんまり似てないね」
「…よく言われる」
「ふふふ」
そして、沈黙がやってきた。
何故なのだろう。こんなに緊張するのは。初めてこの家に友達を上げたから? 遥が隣に座ったから? それがベッドの上だから? 私は何を考えているんだ! 私は文字通り頭を抱えた。
「え、どうしたの?」
遥は心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「…何でも無い」
沈黙が続く。私は変に意識しすぎだ。いつもと変わらない。いつもよりちょっと近い気もするが…それが私の部屋の中というだけだ。私の部屋は何も無いので、お喋りするぐらいしかやることはないのだが。それはいつもやっていることだ。問題ない。そういつも通り…
そう考えていると、突然、遥が私の肩に頭をもたれる。
?!
なに?! 何が起きてるの?! 何で?!
私は心の中で慌てふためく。これっていつも通り?! 友達ってこういうものなの?! 具合悪いとか?! 色々な考えが頭の中でぐるぐると渦巻く。心臓がバクバク鳴って、遥に聞こえるのでは無いかと心配になる程だった。
そして、しばらくしてから私の出した結論は…
「ね…眠いの??」
「…ううん」
遥の声は答えと違い、眠いような、何かこう…艶っぽい感じがした。私の心臓はさらに速度を増した。
「だ、大丈夫? 何かあった?」
「…ううん」
わからない。遥が何を考えているのか。私は肩を動かさないように、首だけぎこちなく回して遥の顔を見てみた。遥は目を瞑っていて心地良さそうに見えた。私はそれを見て…
「響―! お茶ぐらい出しなさいよー」
「わぁ!!」
私は驚いて立ち上がった。母が突然部屋にお茶を持ってきたらしく、ドアを開ける。
「ん? どうしたの??」
母は私の慌て様に不思議そうにしている。
「何でも無いです何でも無いです。あ、はいお茶ありがとね、じゃぁ」
私は急いでお盆を母から受け取ると、ドアを閉める。
「あはははは」
「あーびっくりしたぁ」
「見られちゃったかな?」
「いや、大丈夫だと思うけど。って…遥、ほんとどうしたの?」
「何でもないよ」
遥は笑ってそう言った。
その後、遥はいつも通りだった。いつも通り喋って、いつもの通り、笑顔で帰っていった。
私はほんの少しだけ、本当に少しだけ、遥が怖くなった。
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