第10話 ヒビキ
「モモーただいまー」
私は家の外扉を開け、犬小屋に向かった。モモは小屋の中で寝そべっていて、目線だけを私に向けた。
「よしよし」
しゃがみ込んで頭を撫でてあげると、目をつむって気持ちよさそうにしている。
「お前こんなに大人しいのに何で境さんには吠えるのかなぁ。ダメだぞー」
境響。私の友達。友達になってからの時間は他の人と比べても長くはない。むしろ短いくらいだ。それなのに私は境響のことばかり考えている。彼女と友達になってからは、学校にいくのが数倍楽しみになっていた。見た目のわりに小心者のところとか、私の冗談を真に受けて焦るところとか、ちょっとだけ間の抜けているところとか、優しいところとか…。境響を知るたびに彼女のことをどんどん好きになっていく。
「…好き…か」
帰り道、彼氏が欲しいかと問われて、私はとても嫌な気持ちになった。もし仮に私が彼氏が欲しいと言ったら境響はどんな反応をしたのだろう? 喜んで男子の話を始めただろうか、自分も欲しいと言ったのだろうか。私はそのどちらも聞きたくない。それなら、いらないと答えれば良かったのか? そう言ってしまえば話はそこで終わるだろう。けど、私はそれも望まなかった。
彼氏なんて欲しくない。でも私は恋人が欲しい。
そう言いたかった。けど、私にそう言う、そう告白する勇気はなかった。だから、中途半端な、「彼氏『は』いらない」などと言ってしまった。彼女にその接続詞が意味するものを感じ取った気配はなかった。けれどそれで良かったのかも知れない。今はまだ、その時ではない様に思う。
自分自身でも確証が持てないのだ。この気持ちはただの友達との間の情なのかも知れないではないか。境響は私にとって特別だ。それは間違いない。この17年生きてきて、こんな想いになったのは初めてだ。友達は沢山いる。けれど、境響だけには私だけの友達でいて欲しいなどと馬鹿らしい束縛心を抱いてしまう。誰にも取られたくないと。境響が男子と二人でいたのをみた時の私の感情は彼女が聞いてきた様に、確かに「怒り」だったと思う。
私は、私の中に眠っていた醜い感情と初めて対峙して、狼狽えている。それに付随して、その感情を呼び起こしたのは境響に対する「想い」からだと理解した。この「想い」が友情なのか、はたまた恋愛感情なのか、確定するにはまだ時間がかかりそうだ。いや、私は時間をかけたいんだと思う。同性を好きになってしまう。私はよく本を読むので、別にそういった事に抵抗はない。よくある話だ。だが、自分の身にそれが起こり得るとは想像もしていなかった。
正直、私は怖いのだと思う。恋愛小説を読んでいまいちピンと来なかったのはきっと私は人を好きになったことがなかったからだ。友達みんなが好きだった。でもそれは裏を返せば、特別な人がいなかったからそう思えたのかも知れない。誰も好きではなかったのかも知れない。それは私の根底を覆す。怖くないはずがない。それに同性を好きになるなんて、受け入れてもらえるとは思えなかった。家族や友達、それ以上に境響に受け入れてもらえなかったら…むしろ、その可能性の方が高いだろう。私は…怖くてたまらない。境響に受け入れてもらいたい…。彼女に私の全てを抱きしめてもらいたい。
私はここまで考えてようやく気が付いた気がした。
「もう…答え出てるようなものだよね」
私は、モモを撫でながら、苦笑いを浮かべた。
「まーた難しい顔してる。おーい。シワシワになっちゃうぞー」
谷さんの発言を無視して私は考えていた。私にはある願いがあった。
『橘遥に呼び捨てにされたい!』
よくよく考えればおかしいのだ。私は「橘」と呼び、橘遥は「境さん」と呼ぶ。おかしい。どう考えてもおかしい。フェアじゃない。橘遥と友達になってしばらく経った。最初は気にも止めていなかったが、何度も「境さん」と呼ばれるたびに私の願望は蓄積していった。確かに、「境―」などと橘遥に呼ばれるのは何か違和感がある。まず橘遥が人を呼び捨てにするのをみた事がない。「ちゃん」付けや「さん」付けが基本だ。まず第一に呼び捨てするキャラじゃない。
けれど、彼女は私に「橘」と呼ばれたことを嬉しいと言っていた。それと同じだ。私も呼ばれたい。「境―」は変でも「響―」なら違和感も少ないように思う。でもいきなり名前で呼んでなどと言っても彼女は困惑するだろう。何かいい方法はないだろうか。
「谷さん」
「何」
「名前を呼び捨てで呼ばれたいんだけど、どうすればいい?」
「え。何それ。いいよ。響―」
「いや、谷さんじゃなくて友達に」
「何だそれ。今なんて呼ばれてるの?」
「境さん」
「え。境さんからいきなり響? ハードル高くない? 最初からそう呼んでって言えば良かったのに」
なんだと…。もう遅いというのか…。
「頼りにならないなぁ…」
私は小声で呟く。
「おい、聞こえてんぞー」
私はお弁当をチビチビつまんで考えを巡らせた。
「何かいい方法はないものか…」
「あんた本当に不器用だねー。付き合いたてのカップルじゃないんだからさぁ」
谷さんは呆れた様子でそう言った。
グゥぅぅ
モモは相変わらず境響に向け唸っていた。
私が夜、モモの散歩をするのは毎日ではない。犬を飼いたいと兄妹で両親に懇願した時、決めた散歩の当番表があった。つまり兄や妹と交代でモモの散歩をしている。最後まで飼うのを反対していた父が行くことすらある。なので毎夜境響と散歩を共にするわけではない。ただ、私の当番の日には時間を合わせる様にしていた。今日は当番ではなかったのだが境響から話があるとメッセージが来たので私は散歩を勝手出た。明日ではダメな話なのだろうか。私は少し緊張しながら家を出たのだった。
河川敷で顔を合わせると、何やら境響も少し緊張した面持ちだった。私たちは土手にある階段に並んで腰を下ろした。
「ごめんね。呼び出しちゃって」
「ううん。全然いいんだけど、話ってなに?」
「うん…」
何だか言い出し辛そうだ…私の緊張が高まって行く。
「橘ってさ、私のこと…」
まさか…私の気持ちに気付いた!? 心臓が早鐘の様に打った。手が震えるのを必死で抑える。そんな、まだ心の準備はできていない…。
「『境さん』って…呼ぶじゃない?」
…ん?
「それ…やめない?」
「…え」
「だって! 私は橘って呼んでるのに!」
境響の顔は至って真剣なものだった。私は呆然としてしまった。
「あっ…いや、嫌だったらいいんだけど、その、できればで…いいんだけど…」
境響の声はどんどん小さくなっていく。それを聞いて私もようやく自分の勘繰り過ぎに気が付いてくる。そして笑いが込み上げる。
「ぷっ…あはははは」
「え! 何で笑うの?!」
「あははは」
「そんなに笑わないでよ! 真剣に言ったのに!」
境響は涙目で私に言ってくる。それが可愛くて…
「あはは、ごめん、ごめん。あははは」
「…もういい」
今度は拗ねてしまった。プイと向こうを向いてしまう。私はそれを見て笑うのを何とか抑えた。拗ねてそっぽを向く境響の横顔がとても愛おしく思えた。今度は微笑みを抑えきれなくなった。
「響」
私がそう呼ぶと、境響はゆっくり振り返った。
「私が響って呼ぶんだから、「橘」じゃヤダよ?」
「遥?」
「うん。そう呼んで」
「遥」
「…うん。なぁに?」
私は微笑む。境響、いや、響も微笑んだ。
響と呼んで、遥と呼ばれた。私の心はとても暖かかった。こんな幸せは他にないんじゃないかと思えるほど、それは私の胸を締め付けた。優しく、強く。
私は響が好きだ。
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