第9話 シット
部活が終わる。時間は18時を過ぎていて外はもう真っ暗だ。女子用の部室で着替えを終え、鞄から携帯電話を取り出すと、境響からメッセージが来ていた。それだけで顔がほころぶ。
「なになに橘さん、にやけちゃって。もしかして彼氏?!」
そう言ったのは同じクラスで同じテニス部の木村さんだった。
「にやけてなんかないよー。それに彼氏じゃないよ。境さん」
「境さん? 境さんて同じクラスの?」
「そーそー」
「仲良かったっけ?」
「んー最近ねー」
「へー意外」
何が意外なのだろうか? とも思ったが口にはしない。
「境さんてちょっとだけ怖い感じするけど大丈夫?」
「そんなこと、ないよ…。優しいと思うけど」
「そう? ふーん」
何だか少し腹が立った。木村さんに境響の何が分かるというのだ。…私もそんなに分かっているとは言えないかも知れないが…私だけが知っている境響がいることは間違いない。でもそれは私の中だけにあればいい。わざわざそれを木村さんに教える必要は無い。私はこれ以上木村さんと境響の話をしたくないと思った。
「もう行かなきゃ。木村さん、じゃあね」
「あ、うん。お疲れー」
私は部室を出て部室棟の廊下を歩く。誰もいないところで再度メッセージを確認した。
『部活終わった? お疲れ様。私は何となく教室でダラダラしてるよ』
私はまた微笑んでしまった。今日、一緒に帰る約束はしていない。直接は書いてはいないが、来て欲しいと言う事だろう。
「ふふ、こんなに可愛いのに。何が怖いんだろ」
私は小さな声で呟いて、走って教室に向かう。
教室のドアを開ける。そこには椅子に座っている境響の姿があったが、もう一人、知らない男子生徒がいた。私は少しだけドキリとした。一人じゃなかったのか…。
「あ、橘。部活お疲れ様」
「…うん」
男子生徒はカバンを持ち、立ち上がる。
「じゃ、俺帰るわ」
「うん、じゃあね」
境響がそう返すと、男子生徒は教室から出ていった。
「今の人、友達?」
「んーそうなのかな? 同じ写真部の人」
「境さんて写真部だったんだ」
「幽霊部員だけどね」
「ふーん。そうなんだ…」
「? どうしたの?」
「いや、仲良いのかなぁって思って」
「全然だよ。なんで?」
「…ううん。何でも無い」
私は少し残念に思っている自分に気が付く。一人で私を待っていてくれていると思っていた。なんでこんな事…。それに何だか少しモヤモヤとする。あまり味わったことの無い感情だった。
「部活終わるの待っててくれたの?」
私はこのモヤモヤを払拭してくれる境響の言葉が欲しくなった。
「え、いや、まぁ…」
煮え切らない答え。これじゃない。
「…待っててくれたんでしょ?」
「え! …うん。迷惑だった?」
境響はそう言ってチラリと私を見た。私は微笑みを取り戻した。
「ふふ、ううん。ありがと。嬉しい」
「なら良かった。じゃあ帰ろっか」
「うん!」
私は、少し反省した。ちょっと意地悪だったかも知れない。けれど、私は安心したかった。男子生徒と喋っていてたまたま遅くなってしまっただけで、私と一緒に帰るのはそのついで…。それは嫌だった。私はこのモヤモヤが、この感情が、嫉妬だということにようやく気が付いた。
二人で帰路につく。さっきの橘遥には何か言い知れぬ迫力があった。私はつい、勝手に待っていた恥ずかしさを忘れて白状してしまった。何だか怒っているようにさえ見えた。何か気に触ることでもしたのだろうか? でも今はいつも通りニコニコしている。私の勘違いなのか?
「橘」
「んー?」
「さっき、なんか怒ってた?」
「何で?」
「いや、何だか、そういう風に見えたから」
「怒ってないよ。…ただ、男子といたからびっくりしただけ」
「びっくり? 何で?」
「境さん、美人だし、スタイルもいいし、男子に人気ありそうだし」
「え!? ないないない! 美人でもないし!」
私は虚を突かれた思いだった。首を左右に振って全力で否定する。そんなことを言われたのは初めてだった。
「…彼氏とか、いるの?」
「え! いやいや! いないよ!」
「…そっか」
「橘こそ、か、彼氏とか、いるの?」
私は何故か緊張しながら聞いてみた。
「いませんよー」
「…そっかー」
ホッとする。何故私はホッとしているのだろう。こんな話を橘遥とするのは初めてだ。橘遥にもし恋人がいたら…想像すると私の心に何か黒くてドロッとしたものがまとわりつく様な感覚を覚えた。それは酷く不快で、苦しく、痛い。だめだ。これ以上考えると、何か触れてはいけないものに触れてしまう気がした。それなのに私はもっとこの話に踏み込みたくなった。橘遥がどう考えているか、知りたくなった。
「…彼氏、欲しかったりする?」
橘遥は立ち止まって私の方を見た。
「…何でそんなこと聞くの?」
橘遥の顔からさっきまでの笑顔が嘘の様になくなる。何やら不穏な空気を私は感じとる。でも、
「だって、そういう話してきたのは橘の方じゃない?」
「それはっ! …そうだけど」
何だかちぐはぐな橘遥の反応に私は困惑した。聞いてはまずい事だったのだろうか…。この空気を変えたい。橘遥とは常に笑顔でいたい。この話はもうやめた方が良さそうだ。
「ごめん、言いたくないならいいよ。行こう」
私は歩き出す。
「…そうじゃないの」
立ち止まったままの橘遥がそう言ったので、振り返る。街灯に照らされた橘遥の顔は何故だか赤くなっていた。
「彼氏…は……いらない…かな」
私は再度安堵してしまった。でも分からなかった。そんなに言いにくい事でも無い気がするが。溜めた割には普通の答えだったので正直何だか拍子抜けした。
「そっかー。まぁ、そんなもんだよね」
「…うん」
「じゃぁー、行こっか。遅くなっちゃうし」
「…うん」
橘遥は未だに何故か恥ずかしそうだった。私の頭の中は疑問符で一杯だったが、これ以上何か聞いてまた不穏な空気になるのが嫌だった。私と橘遥はまた並んで歩き出した。
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