第8話 いつも


私は一人、制服姿で河川敷を歩いている。清々しい朝だ。夜中に歩くのとは景色がまるで違う。雲は遥か上空。秋空は青が濃く、それでいて高い。風は冷たいが日差しは強く暖かかった。土手に生える草花に付く朝露が、太陽に照らされキラキラと輝いている。美しかった。

そう見せるのは私の心の雲が晴れたからだろうか、それともただ単純に物珍しいだけだろうか? どちらにせよ、私は小躍りしたい気持ちだった。なぜなら…

「おはよー!」

笑顔の橘遥が手を振ってこちらに走ってくる。そう、私達は朝、一緒に登校することになった。

いつもより少し早く家を出る。お互いの家の中間地点を待ち合わせ場所にした。電車通学している生徒もいる中、それと比較すれば、私たちの家はそれほど遠くなかったのが幸いした。

「おはよ」

私は自然と笑顔になってそう返す。「これからは一緒に登校しようよ」と橘遥が言った時、私は「その手があったか」と思った。橘遥はテニス部で放課後一緒に帰ることは難しい。だからこの提案を私は即座に快諾した。朝一番に橘遥と顔を合わせるというのは何か特別な気がしたし、普通に登校するよりも遠回りなのに、彼女がそう言ってくれたのが何より嬉しかった。

「境さん、朝辛くなかった? 眠そう」

「私、朝ダメなの。いつものこと。少し睡眠時間が減っただけ」

「ふふ、その分早く寝ようよー」

 私は朝に弱い。低血圧なのだろう。それに不眠症とまではいかないものの、私は寝つきが悪い。夜の散歩も、夜眠れなかった日に外に出たのが始まりだった。それが、転じて、私は今、橘遥と共に登校している。眠れなかった自分を褒めてあげたい気分だ。こんな気持ちのいい朝に、橘遥と二人で歩く。夢のようだ。ただ眠いだけか?

「毎日そんなじゃ辛くない?」

毎日。私達はこれから毎日、こうやって二人で登校するのか…。ぼんやり考えて笑みが溢れる。

「…朝、辛いならやめようか?」

「やだ!」

 私は自分でも驚くほど素早く拒否した。眠気もどこかへ吹き飛んで行った。そして恥ずかしさが代わりにやってくる。「やだ!」ってまた子どもみたいに私は…

「あ、いや、これからはちゃんと早く寝るから。うん…」

「ふふふ、なら良かったです」

 橘遥は悪戯っぽく笑う。私をからかったのだろうか? でも嫌な気分にはならなかった。

むしろ嬉しかった。橘遥にからかわれるのは、特別だ。



「あんた最近ここに来るの当たり前になってない?」

谷さんは呆れ顔で言った。私は昼休み、いつも通り保健室にいた。でもいつもと違うこともある。私は悩んでここにきた訳ではない。「境さんごめんね。私、お昼はミーティングってことで部活の人達と食べなきゃいけないの…」と、橘遥はとても申し訳なさそうに言っていた。私は少し淋しい気持ちもあったが、そういうことなら仕方ない。彼女曰くミーティングと言っても一緒に食事するだけ。食事を共にすれば部活の仲間達とより親交を深められる。といった顧問の考えからきたもので、強制ではないものの断るのは難しいらしい。仕方なしに他のグループに混ざることも考えたが、私はクラスでの立ち位置などもうあまり気にならなくなっている自分の気持ちに気が付いた。橘遥と友達になれた。それだけで、他のクラスメイトなど…。こんな風に思ったらいけないか…。ただ、私は何か煩わしい考えを捨て去ろうとしているのは事実だった。なのでこれからは居心地の良い保健室に根を張る事にした。

「谷さん」

「何」

「私友達できたよ」

「いや、それ聞いたし。だからさ、じゃあなんでここにいる」

「まぁ、色々と事情があるのだよ」

私は多分、微笑んでいたと思う。いや、ニヤけていたかも知れない。

「ふーん。まぁなんか分からんけど良かったじゃん」

 私の心境の変化に気づいたのかも知れない。私の顔を見て谷さんはそう言った。

「それに私が来なくなったら谷さん一人ぼっちじゃん。可哀想」

「いや、それはあんたの方でしょ」

「あっ! そうだ!」

「何! 急に大きい声出すな!」

 私は谷さんの方へ向き直して、頭を下げた。

「ありがとうございました」

「え…? え、何が?」

谷さんはポカンとしている。橘遥と友達になれたのは谷さんの言葉があったからでもある。私の想いは橘遥に届いた。お礼を言うのが礼儀だろう。ただ恥ずかしいので詳細は省く事にした。



私はいつも通り食堂で部活仲間と昼食を取る。学食は無いので皆お弁当や購買で買ったパン等を食べる。食堂の一画は毎日テニス部が占領している。私は自分で作ったお弁当を食べる。

「相変わらず料理上手だよね橘さん」

「ありがとー。食べる?」

「やったー」

由美ちゃんが私のお弁当から卵焼きを取って口に入れる。いつも通りだ。でもいつもとは違うこともあった。

「由美ちゃん」

「んー? なに?」

「『橘さん』って言うのさ…」

「ん?? なに?」

「ごめんやっぱり何でもない」

「何だよー」

 私は言い淀んだ。皆と仲良くいたい。それは変わらないはず。でも「橘」と呼び捨てで呼ぶのは境響だけで良い。そう思った。それに。

「由美ちゃんて親友っている?」

「いるよー。小学校からの幼馴染」

 由美ちゃんはこともなげに言う。

「そっか。いいねーそういうの」

 私とは言わない。そう言うのは何となく分かっていた。今までは聞くのが怖かった。私が、私だけが一番仲がいいと思っていたらどうしよう…。そんな恐怖があった。ただ、今の私にはそれが無い。境響と友達になって、私は、私の中にあった何かが急速に冷めていくのを感じていた。それは由美ちゃんに対してだけじゃないかも知れない。部活の仲間やクラスメイトに関してもだ。こんなこと考えるべきでは無いと思う。でも…。私は、退屈だと感じ始めていた。

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