第7話 オモイ
私は袖で何度も涙を拭ったが、涙が止まらない。伝う涙の跡に風が当たって頬を冷やす。
「どうしたの?! 境さん!」
「…何でもない。何でもないの」
「何でもないって、そんなに泣いてるのに…。待って、はい」
橘遥はポケットからハンカチを取り出して、私に手渡した。
「…ありがと」
「どうしたの?? 何かあった?」
橘遥はとても心配そうに私を見ている。私は言葉を探すが、浮かんでくるそれらはどれも酷く子どもじみたもので、とてもじゃないが言う気になれない。「なんで学校ではあんまり喋ってくれなかったの?」「何で一緒にお昼休みを過ごしてくれなかったの?」「会う気があったのなら何で学校で言ってくれなかったの?」これじゃ本当に子どもだ。それに本当に言いたいことはこれらではない気がする。私は嬉しかったんだ。橘遥が私を探していてくれて。
「橘が…」
「私が?」
「…私に会おうとしてくれたのが嬉しくて…」
「え」
橘遥は驚きを隠さなかった。しまった! と思った。自分でも意味が分からないだろうと思う。それだけのことで私は子どもの様に泣いているのだ。正直言って私の想いは重すぎる。自分でも分かっていた。内心私は焦り始める。引かれたかも知れない。橘遥にだけは絶対に嫌われたくない。その焦りは私の涙を止めた。
「ごめん! ウソウソ! 冗談だよ!」
何が冗談なのか。こんなに目を腫らして。馬鹿か私は。
「…冗談なんかじゃないでしょ」
橘遥の一段下がった声のトーンに私は更に焦る。
「いや、ホントに何でもないの! 気にしないで!」
「………境さん」
橘遥は少し怒っている様にさえ見えた。その顔は初めて見る橘遥の顔だった。私は…もう誤魔化しきれないと思った。
「はぁ…………ごめん。ちょっとだけ待って」
「うん」
私は、早鐘の様に打つ心臓を何とか落ち着かせようとするが、無駄だった。やっと友達になれたのに、まだ嫌われる準備はできていない。そんなもの出来るはずもないか…。でも橘遥のその真剣な顔を見ると、もう嘘はつけそうにない。
「私は…思ってたの。橘と友達になれたから、学校でも、休み時間とか、喋ったり、お昼も一緒に食べたりするのかなって…」
橘遥は黙って聞いている。私は恥ずかしさと自己嫌悪で逃げ出したい気持ちを抑え込む。
「でも、思ってたのとは違って…。橘にとって友達って、そういうものなんだろうなって。だから、きっと今までと何も変わらないんだって思っちゃってて…でも、それが嫌で」
「…」
「けど、橘は私に会おうとしてくれてて、それが嬉しくて…」
どう考えても重い。友達になったのは昨日のことだ。私は改めて気が付く。私には本当の意味で友達と呼べる人間がいないのだと。だから、橘遥に重い期待を抱いた。本当に友達と呼べる人間が一人でもいたら、私はこんなに焦って橘遥との距離を詰めようとは思わなかっただろう。そう、私は焦り過ぎていた。今更気が付く私はどうしようもない馬鹿だ。
「ごめん、重いよね。私、友達って、どうしたらいいか分からなくて」
橘遥は黙ったままだった。私ももうこれ以上喋る気は無かった。これ以上何か口にすると、それは何か言い訳めいたものに変わってしまうと感じた。橘遥に言い訳は言いたくない。もう友達ではいられないかも知れないけど、最後まで私なりに誠実でいたいと思った。
ワン! と、モモが吠えた。今までよく黙っていてくれたものだ。相変わらず私の方には寄っては来ない。橘遥はしゃがみ込んでモモを撫でる。暫く撫でてから、
「私も…私もよく分からない。友達って」
今度は私が黙って橘遥の言葉を聞く。
「一番仲が良いと思ってた子も、なんか向こうは違う感じでさ…。友達って何なんだろ…」
橘遥にはそう思えた友達がいたのか…
「境さんが思ってた事にも気が付かなかった。鈍感なのかな私」
「そんな事…ないよ」
「私達って、友達になったけど、まだお互いのこと全然知らないよね」
「うん………そうだね」
確かに私は橘遥のことを何も知らない。誕生日や血液型すら知らなかった。
「だからさ、まずはそこからスタートしようよ」
「スタートって…?」
「お互いのことをよく知って、友達になるスタート」
橘遥は立ち上がって私の顔を見た。そこには穏やかな微笑みがあった。
「私が言ったこと、引いたりしなかったの? 重いって思わなかったの?」
私は聞かずにはいられなかった。勝手だと自分でも思う。でも、確信が欲しかった。
「思わないよ。それを言ったら、私だって昨日泣いちゃったし、境さんに会おうと昨日も今日も散歩してたんだよ? よっぽど私の方が重いと思うけど。境さん、嫌だった?」
私は大きく首を横に振った。
「全然」
「ふふふ。よかった。ならさ、お互い言いっこなしってことで。ね?」
私は、深く、心の底から安堵した。また泣いてしまいそうなほどに。でも、
「ありがと」
私は笑って言った。今、泣き顔は相応しくない。彼女の前ではなるべく笑顔でいたい。そう思った。
「それに」
橘遥がまた口を開く。
「私も今までと変わらないのは嫌なの」
「え…」
橘遥は今さっきまでの笑顔とは全く別の顔をしていた。それは怒りとも違う…何か…。
「もう遅いし、そろそろ帰ろっか。今日は私が境さんのこと送ってくよ」
「え、いや、いいよ。橘、帰るの遅くなっちゃうし」
「いいからいいから。境さんの家も見てみたいし」
橘遥はいつもの笑顔に戻っていた。
私たちは夜の河川敷を二人と一匹で歩いた。お互いのことを喋りながら。
「誕生日は?」「5月16日だよ。境さんは?」「9月16」「同じ16日だ。覚えやすいね。血液型は? 私B 型」「へー意外。私はABだよ」「あーそんな感じするね」「そうかな? よく言われるけど何でだろ? 身長は?」「155センチ。境さんは?」「160」「おっきいね。羨ましい」「ちっちゃい方が可愛いと思うけど」「そうかなぁ?」
取るに足らない、どうでも良いような話が私と橘遥の距離を少しずつだけど、近づけた。
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