第6話 さかい


帰り道、私は半ば放心状態だった。橘遥が泣き出した時、私はパニックになった。また私は何か間違いを犯したのかと焦った。人を泣かせたことは多分物心ついてからは一度も無い。田舎にいた頃は男の子相手に喧嘩して泣かせていた様な気もするが…それが相手は橘遥だ。とにかく謝る事しかできなかった。でも彼女は泣いていたかと思うと笑った。そして手を差し出して握手を私に求めた。橘遥の手はとても暖かかった。今日あったことをフワフワと思い返す。今日は怒涛の1日だった。一人で教室にいると、橘遥が来て、一緒に帰ることになって、橘遥は淋しそうで、友達になろうと勢いで言ってしまって、それで、それで…私は橘遥と友達になった。今更ながら、「友達になって下さい」って…。小学生じゃ無いんだから…。私は一人歩きながら恥ずかしさで死にたくなった。私は立ち止まり、人目も気にせず顔を両手で覆った。でも、橘遥は笑っていた。泣きながらだったけど、本当に嬉しそうに。彼女の淋しそうな横顔は無くなっていた様に思う。今日はそれだけで良しとしよう。

「橘と友達…」

 今度は顔がにやけてしまう。だめだ。私も女子高生。もう大人だ。これ以上子供っぽいことはやめよう。そう心に決めると、スキップしたい気持ちを抑え込んで走って家まで帰った。


布団に入って気が付く。連絡先の交換すらしていない。まぁ、それも明日でいいか。もう変な心配はいらない。橘遥と私は友達になった。なんの問題も無い。今日は色んな事があって疲れてしまった。散歩も今日はお休みだ。また明日だ。また明日…。



それが何故、私はまた今日も今日とて保健室で谷さんと昼食を取っているのだろう…。

「はぁ〜…」

「こらぁー幸せ逃げるぞー」

何かがおかしい。思っていたのと違う。朝、私は緊張しながら教室に入った。橘遥は先にいて、目が合うと、いつもと変わらない笑顔で「おはよう」と言った。私も、「おはよう」と頑張って笑って言ってみた。私は自分の席に着くと、チラリと橘遥を見やった。彼女は他のクラスメイトと喋っている。まぁ、最初はこんなものだろうと思った。でも、休み時間、待てど暮らせど橘遥からの接触はなかった。私から友達になろうと言ったのだ。待っていてばかりではいけない。私は昼食には彼女を誘うと心に決めていたのだが、昼休み、意を決して彼女に声をかけようとした時、彼女はいつも通りお弁当を持って教室から出て行ってしまった。そして今に至る。

「はぁ〜…」

「あんた何なの。人のオアシスにお邪魔しといてそのため息は」

「谷さん」

「何」

「友達できたよ」

「おお、良かったじゃん! …で、何であんたここにいるの?」

「そうなんだよぉ!」

「何なのよ!」

 私は少し泣きそうになりながらお弁当をつまんで考える。これじゃあ前までと何も変わらない。橘遥にとっての友達とはこんなものなのか? 私が期待しすぎていたのかも知れない。別に昼食を共にしないからといって友達じゃないわけではない。分かっている。でも、私は期待してしまっていた。休み時間二人でお喋りすることを。彼女と毎日お昼休みを過ごすことを。私は酷く惨めな気持ちになった。…まただ。私は最良と最悪しか考えない。今回は珍しく前者の方に思考が転がってしまっていたのだ。私は馬鹿だ。とんだ大馬鹿だ。期待してしまった自分に腹が立って仕方なくなった。

「…どした」

 黙りこくってしまった私を見て谷さんが声を掛けてくる。

「…何でもない」

 自分で予想したよりも声が震えてしまった。

「はぁ〜……よしよし」

 谷さんは私の頭を撫でた。私は少しだけ溢れた涙を袖で拭った。


HRが終わる。皆が各々帰り支度を始めたり部活に行く準備を始める。私は一応写真部に所属しているが、幽霊部員だった。ほぼ帰宅部。ただ今日は帰る気になれず、机に突っ伏していた。

「境さん」

橘遥の声だ。私はバッと起き上がる。

「じゃあね」

橘遥はそう言って、笑顔で手を振る。私も精一杯の笑顔でそれに応えた。また期待した。まただ。彼女はテニス部、昨日の様に私と一緒に帰ることはまず無い。なのに、一瞬、「一緒に帰ろう」という言葉を期待した。私はまた机に突っ伏した。


 夜は散歩に出た。足取りは重かった。今日は一段と寒く、コートを着てきた。母はいつもの通り私を止めた。だが一人部屋で過ごす気分ではなかった。心に重く乗っている何かにこの寒風はとても沁みた。吐く息が白くなり始めている。冬は嫌いじゃ無い。ただ今日だけは、春や秋の暖かい陽気が恋しかった。自分の愚かさに、浅はかさにまいってしまっている今日だけは。

 橘遥は何も悪くない。それは分かっている。ただ、じゃああの時の涙は、握手は何だったのだろうと思う。誰にでもしている事だったのだろうか? そんなことはない。と思いたい。

 さん付けでしか呼ばれない。とポロッと零した彼女の言葉には確かな孤独が秘められていたと感じた。それも勘違いだったのだろうか。

「また、明日話しかけてみよう…」

 そう口に出して言ってみる。でも、もうその気は私の中に無い様な気がした。このまま橘遥とは、何となくの友達のままなのだろうか。他のクラスメイトと同じように。今までの人達と同じように。そんなの…。胸がとても苦しくなる。昨日のとは違ってそれはとても痛かった。

私は足を止めた。もう歩く気が起きなかった。「帰ろ…」私は踵を返して帰路に着く。

「あ! 境さん?! おーい待ってー!」

声が聞こえた。私は驚いて振り返る。そこには犬のモモと一緒に走ってくる橘遥がいた。

「はぁ、良かった! 昨日は居なかったから今日もいないかと思ったよ!」

 昨日…

「毎日河原散歩してるって言ってたからいるかと思ったんだけど、でも今日は会えたね!」

 昨日も橘遥は私に会おうと…

「連絡先も交換してなかったからさー」

「…っ」

「境さん??」

「っううぅ…うぅ」

「境さん?! どうしたの?!」

私は涙を抑えきれなかった。昨日の橘遥と同じ様に。また私は間違っていた。

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