第1話 異彩な教え子

「センセイ……センセイってば!」


「はいぃッ!」


 もともと、人一倍臆病なわたしです。

 急に話しかけられて、声がひっくり返ってしまいました。


「あれっ、わたし、濡れてない……?」


 おなかに傷もありません。どうしたというのでしょうか。


 首をひねった三拍後に、どっと笑いがわき起こります。


「先生、ホームルーム中に寝てたの?」


「今日は快晴ですよ」


「おいおいみんな、センセイは研修やらなんやらで、オツカレなんだよ。察してさしあげろ」


 ……やってしまいました。


 わたしはいま教壇に立っていることを、ここで思い出したのです。


(さっきのは、夢よね? そうよね。あんな恐ろしいこと……夢だったんだわ)


 勤務中に居眠りだなんて、言語道断!

 これは汚名返上せねばなりませんが……はて、どこまで進めたかしら?


「出欠確認が途中だよ。ちなみに俺からね、ミツバっち!」


「あっ、は、はい!」


 またも飛び跳ねたのは、ふいをつかれたからでも、心を読まれたからでもありません。


(ミツバっち……)


 それはわたしの、日野ひの三葉みつばの愛称にちがいありません。

 なのにどうして、違和感を覚えるのでしょう?


(いえ、考えるのは後にしましょう)


 個人的なことより先に、優先すべきことがあるのですから。


(しっかりしなくては)


 気合いを入れ直して、出欠確認を再開します。

 最初に呼ぶのは、「俺からね」と教えてくれた男子生徒の名前です。


「須藤くん」


「はーい!」


 教卓の目の前、最前列にある真ん中の席に座る須藤すどう理玖りくくんは、人懐っこい人気者です。

 ニッと爽やかな笑みを返されて、わたしもほっと気持ちが和らぎました。


 ですが、それから二十秒もたたないうちに、奇妙な出来事は起こりました。


七海ななみくん……」


「先生ー、だれそれー?」


「……え?」


 可愛らしく首をかしげたのは、ひとり前に名前を呼んだ松本まつもとさんです。

 新学期がスタートしたばかりで、座席は出席番号順。

 たしかに、彼女のあとに『七海くん』なんて、おかしな話です。


「――ムツキです。六月むつきれい


 松本さんの後ろ、教室最後尾の席から、静かな声があがります。


 びくっと、肩がこわばってしまいました。

 右は蒼、左は金と、左右で色のちがう瞳の少年に見つめられていたのです。

 夜のような黒い猫っ毛を持つ少年の顔だちはあまりに整いすぎていて、圧倒されてしまいます。


「…………六月、くん」


「はい」


 やっとの思いで絞り出した声に、少年は眉ひとつ動かさず、淡々と受け答えました。


 本来なら、この時点で気づくべきだったのです。

 六月くんに関してなにも茶々を入れない、教え子たちの違和感に。



  *  *  *



 二年二組 六月零


 児童養護施設出身。

 本校へは、今年度より編入。

 成績は優秀だが、コミュニケーション能力に乏しい模様。


「いわゆる、ぼっちってやつですね……」


 クラス担任就任一年目にして、大当たりです。

 新人の必須アイテム・メモ帳をスーツの内ポケットにしまい込んで、ため息をおさえきれません。


「ミーツバっち!」


「は、はいっ!」


 ひとり廊下を歩いているところを、呼びとめられました。

 ふり向くと、栗色のクセっ毛とキラキラした瞳が印象的な少年が、爽やかな笑顔を見せていました。須藤くんです。

 声がひっくり返らなかったあたり、日野三葉、成長したようです。


「どうかしましたか? 須藤くん」


「ミツバっち見かけたから! やっぱオツカレ気味? 俺でよかったら、なんか手伝うよ?」


「あわわわ……わたしごときに、もったいなきお言葉ぁ……!」


「ミツバっち、俺のほうが立場下だかんね?」


「感動に、震えているのですっ!」


 なにをやっても鈍くさいわたしが、まさかお手伝いをしてもらえるほど、生徒に慕われていたなんて。

 閻魔えんま帳を抱きしめてペコペコお辞儀をくり返していると、プッとふき出す須藤くん。


「あっはは! 生真面目だねぇ~!」


「唯一の取り柄です!」


「頑張るのはいいけど、あんまムリしないでね? ただでさえ、六月のことで気ィ遣ってると思うし……あ」


 しまった、というふうに口をつぐむ須藤くん。たしかに、裏表のない彼らしくない言動です。


「陰口みたいに……ごめん」


「いえ……六月くんが、なにか?」


 六月くんのことを気にかけているのは、本当です。

 生徒のみんなが心地よい学校生活を送れるよう手助けをするのが、わたしのつとめですもの。


「気になることがあれば、教えてください」


「んー……まぁ、あいつ、あんなんじゃん?」


「あんなん、とは?」


「オッドアイ、だっけ? 右が蒼で左が金とか、すげー色じゃん。きいた話だと、アレのせいで六月、親に捨てられたって」


 たしかに、良くも悪くも、あの瞳は目を引きます。

 でも、捨てられたっていう話が本当だとしても、一切六月くんのせいじゃないですよね?


「それに加えて人間不信みたいで、友達も作らないし……やなウワサが立ってる」


「ウワサ……」


 恐る恐るくり返すわたし。

 須藤くんが声を潜めて放った言葉は、衝撃的なものでした。


「最近、先生たちが注意喚起してる動物虐待犯、あいつなんじゃないか……って」

 

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