第33話 後日談「新生活」

 数週間後。



 ザランが乗り込んできたあの日以降、シズク達の生活はまた変わった。

 変わったといっても、勿論良い方向への変化である。



 エッジフッド夫妻がどのように口実を付けてくれたのかは不明だったが、シズクとヴィヴィに加えて、イリスまでもがモラトリアムでの居住を許可されたのだった。


 結果として、シズク達三人は、共にモラトリアムで生活する事となったのである。



 ――――ピンポーン。



「シズクー? 起きてる~?」



 ――――ドンッ、ドンッ、ドンッ。



 シズクが一人暮らししているマンションの扉を、イリスが相変わらずの調子で叩いていた。



「あー……起きてるよ~……」


 シズクがそう言いながら玄関扉を開けると、イリスは意外だと言わんばかりの顔をした。



「あれ? 起きるの早くない……? 今日雪でも降る?」


「はぁ~、違うから! ……ほら、あれのせいだよ、あれの!」


「あれって?」



 シズクはそう言って、家の中に戻り、イリスをリビングまで案内した。


 そして最近取り付けたばかりの遮光カーテン(※慌てて購入したから柄がおかしい)をジャッと端に寄せてみせた。



 ――――ガシャッ、ガシャギャギャ、ウィーン。

 ――――ガシャン、ガシャン、ガガッガ。



 そこに映っていたのは、例の浮遊型ロボットの立体収容庫だった。

 いつも通り、今日もそこは忙しなく動いているようである。


 ただ、この収容庫の騒音に、シズクはまだ慣れていないようだった。



「あ~、まぁなかなかうるさいね、これ……」


「そうなんだよ。イリスみたいでさ」


「そっかー……って、私あんなに『ガシャガシャ』うるさくないからねっ⁉」



 シズクの冗談に、イリスが外のロボット達を指差して怒る。



「うわっ! ……ほら、やっぱりうるさいって……し~っ!」


「ふんっ! でも、これ夜もずっとこんな調子で音出してるの?」


「いや、それがそうでもなくて、一応決まった時間にしか稼働しないみたいだし、うるさい時間は決まってて、朝九時過ぎから午前中一杯と、あとは夜の五時にちょっとだけ」


「まぁ、それくらいなら良いんじゃない? 決まった時間うるさいのなんて、ワーストでも工事現場とかはそんな感じだったじゃん」


「あ、言われてみれば確かにそうか……?」


 イリスの口にした「工事現場」という単語を耳にして、シズクは思い返す。

 シズクが生まれ育った階層ワーストでは、「働く」という行為が当たり前だった。


「ほら、シズク行こう?」


「行くって?」


「今日、スライスサーカス(※街の中心部にあるイベント会場施設)でイベントあるんだってさ」


「へーへー」



 ここ「モラトリアム」には、「働く」という概念が既に消えつつあったのだった。

 それはやはり「ポピュラー」という高度な文明社会の賜物だった。


 民衆が積極的にやりたいと思わない物は、その多くが機械の手によって代替されていた。



 今ここに居る住人は、専ら働いていないのだ。

 強いていえば、働くのではなく「遊ぶ」事自体が人間の「労働」だと言える環境だった。

 かつての人間が、四、五歳くらいまではそうであったように。



「そういえばボルボの開発者主催イベントだっけ?」


「そうそう~。あ、そうだ。ちょっとコンビニ寄ってっていい?」


「別にいいぞ」


 シズクとイリスは、マンションを出ると、それぞれのボルトボードユニットを起動させた。



 ――――ビビッ、ジリリッビビ。



 一人一台ずつ起動させると、今ではすっかり見慣れた電気の薄い膜のようなその板が、二人の足元にそれぞれ地面から自然と現れた。



「どこのコンビニ?」


「う~ん、E-19かな。サブカル資料館の横の」


「了解」



 前述のようにワーストに居た頃の労働と呼ばれる物は誰もしていなかった。ただ、自分の好きな事として、他者に何かを与えたい、広めたいと感じる者が、自由な意志のもとで、従来のお店のようなものを開いていたりはした。



 イリスが話した「サブカル資料館」は丁度それに当たるものだ。

 シズクとイリスは、モラトリアムの街をボルボで駆けていった。



「イリスー、お前は相変わらずマニュアルモードなんだな」


「えー? だって、こっちの方が楽しいんだもん♪」



 イリスのゆるゆるっとパーマのかけられた青い髪が、移動する速度によってはためいている。


「そういえばヴィヴィは今日も業務?」


「ああ。なんか図書館の集積データを扱ってる機械が不具合起こしたとかで、メンテナンスなんだと」



「へぇ~。まぁ、後でお昼でも持っていってあげる?」


「まぁ、たぶんお昼には終わるんじゃないか? 前もそうだったし。持っていくより一緒にどこか食べ行ったほうが早くね?」



 ヴィヴィ(もといシナプサー)は、この町において言えば、一番「仕事」をしているのかもしれない。それでも、前にシズクが尋ねた時のように、お昼くらいにはそれも片付いて、あとは「遊ぶ」事が労働になるのだが。



「そろそろね~」


 向こうに、「E-19」と大きく黄色い字で書かれた高層ビルが見えてきた。

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