第30話 黒猫のナー

 ザランは、黒猫のナーを見て、急に慌てふためいていた。



「……あらら~? あ・な・た? もう『その猫の中』に私は居ないのよ~?」



「‼」


「だ、誰だ? あの女性……?」



 慌てるザランの背後から、急に一人の綺麗な女性が現れた。

 それは、ヴィヴィと同じような、美しい銀色の長い髪と透き通るような青い瞳を持った大人の女性だった。


「す、すっごい綺麗な人ー……」


 イリスは、その女性の美貌に目を奪われて、ぽぉ~っ、となっていた。もちろん、シズクも。


「お母さん……」


「「え⁉ お母さん⁉」」


 ヴィヴィの発言に、シズクとイリスは声を揃えて驚いた。



「お、お、お前……この所ずっと仕事が忙しいっていう話じゃなかったのか⁉」


「ふふんっ。ヴィヴィが音信不通になって貴方がすぐに飛び出していったって、補佐のシーゼさんから連絡があったのよ~? そんなの、見に行かないわけにいかないじゃない?」


「シーゼの奴め……裏切ったな……」


 妖艶な微笑みを織り交ぜながら話すその人は、確かにヴィヴィのお母さんらしかった。



 すごいな……身体とかもすごいヴィヴィっぽい……。(※両者に失礼)

 などと、シズクは閉じ込められている状況など忘れるほど、納得と関心を繰り返していた。作を肥やさず土を肥やせとはよく言ったもので、やはりすべからく豊作のもとに豊作はなるのだろう。



「とりあえず、あの子を閉じ込めているボックスを解除してあげなさい」


「それは無理だ。なぜあんな奴の拘束を解かなきゃいけないんだ……?」


「あ~、そう。じゃあ残念だけど、今晩からあなただけ夕飯はデリバリーにしてくださいね」


「し、仕方ない……。解除してやろう」



 折れるのはやっ‼ すぐ謝るじゃん‼。

 というか、めっちゃかかあ天下じゃないっすか、エッジフッド家。

 エッジフッド家の御家劇場の一端を垣間見たシズクは、ザランの豹変ぶりに笑ってしまいそうだった。あの人は完全に旦那の胃袋を握りしめているのだろう。



「……ふぅ」


 それからすぐに、シズクは閉じ込められていたボックスから解放された。

 ヴィヴィの母親の意向で、なんとか窮地を救いだされたシズクだったが、未だに状況の整理が追い付いていなかった。



 しかし、ヴィヴィの母親は、父親よりもずっと理解のある人かもしれない。既に彼女の佇まいや振る舞い、口調の雰囲気から、その望みを薄っすらと感じていた。


「ヴィヴィのお母さん、なんですよね?」


「ええ、そうよ」


「はじめまして。シズク・シグマです……」


「イ、イリスです。イリス・マーガレット……」



 綺麗な人だが、それだけに妙な迫力がある。

 その迫力にやや圧倒されながら、シズクとイリスは自己紹介をした。



「あら? 一応会った事はあるんだけどね。シズク君と、イリスさん?」


「え?」


「ふふふっ♪ まぁ、二人が気付かないのも無理はないわよね。会った事があると言っても、私ちょっと前まで『その子』の中に居たんだから」



 そう言ってヴィヴィの母親は、イリスが抱きかかえていた黒猫のナーを指差した。



「「ええ⁉」」



 どういう事かさっぱりわからない、といった様子で茫然としている二人に、ヴィヴィの母親は丁寧に説明をし始めた。



「私はナトアトラス。ナトアトラス・エッジフッド。もうわかってると思うけど、この子の母親よ。私は、モラトリアムにある電子技術開発実行班に所属しているの~。今はそこで、他律駆動制御と呼ばれる物の実験を行っていてね」



「た、他律駆動制御……?」



「そうそう。まぁ~簡単に言うと、他の動物や物体に、人間の意識信号を落とし込んで動かす技術の事よ。操縦とか遠隔操作に似てるけど、体感的にはほとんど中に入り込んで自分の身体として動かしてるとか、そういう感覚に近いかしらねぇ~」



「な、なるほど……。それで猫の中に居た、という事ですか?」


「ふふっ。私の意識はね。だからその猫でもうすでに貴方達の事は見知っているという事なの」



 とんでもない美人な上に、そんな開発に加わるとか、無敵か……。

 シズクは、目の前にいる人が同じ人間とは思えないような、そんな気がしてならなかった。


 ポピュラーもモラトリアムも、こういう人が技術を進歩させているんだなという事を、シズクとイリスはそこで初めて認識したのだった。



「お、お前‼ 政府が秘密裡に行っている試験の事を、こんな奴らにバラすだなんて、軽率だぞ⁉」



「あら~? 軽率なのは貴方もでしょう? 娘が心配だからといって、仕事もほったらかしていきなり機関を飛び出していくんだもの。シーゼさんが泣いてたわよ? それに、この子達はもうただのニューラーではないでしょ? 『ヴィヴィのお友達』なのだから」


「うぐ、ぐぬぅ……」



 ザランは、ナトアトラスの言葉に反論できないでいるようだった。

 ナトアトラスの言った『ヴィヴィのお友達』という単語に、ヴィヴィはそれまでの暗い面持ちから、少しだけ明るい表情を示していた。



「じゃあお母さんがあの時からずっとそばに……?」


「そうよ、ヴィヴィ。ごめんなさいね。私も中々忙しかったから、こうして定期的に猫の身体に入って、貴方を見守っていたの。黙っていてごめんなさい、本当」


「ううん……」



 ナトアトラスは、ヴィヴィに深く頭を下げて謝っていた。


「あの、ナトアトラスさん」


「何かしら~? シズク君。あ、それと私のことは、別に「ナーさん」と呼んでくれても構わないわよ」


「は、はい。ナーさん」



 シズクは、この夫婦間のわずかなやり取りを見て、母親を説得する方が近道だと感じたのだった。勿論、ヴィヴィの処遇の改善を求めることについて。


「さっき、ザランさんにも伝えましたけど、ヴィヴィはもうとっくにひとり立ちできる年齢です。俺らと一つしか変わらない。世間ではもう、十二歳から親元を離れて、皆OB計測次第で違った階層へ移住したりしているじゃないですか? それでもまだ、モラトリアムから出さずにいるのはどうしてなんですか?」


「ええ、そうねぇ……」



 シズクの言葉に、ナトアトラスはその表情を曇らせていた。

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