第29話 窮地

「このっ……‼」


 ――――バシンッ。


「……ッ‼」


「‼」



 一度止めればザランが冷静になってくれるのではないか。

 そう考えて油断していたシズクの前で、非情にもザランはヴィヴィの頬をひっぱたいてみせた。



「……戻れ。お前にまだその選択権は無い」


「……」



 ザランから冷たい言葉が吐かれ、一瞬沈黙が流れる。

 ザランに顔をはたかれたヴィヴィは、足元に視線を落としている。

 とても辛く、今にもぼろぼろと泣きだしてしまいそうだった。



「ふざけんなあぁぁぁぁ‼」


「⁉」


 ――――ドゴッ。


 ヴィヴィが叩かれたすぐ後、シズクは衝動的にザランに殴りかかっていた。

 一発、二発、三発と、次々にザランへ拳をたたき込んでいく。


「う、ぐっ……! ふざけているのはお前のほうだ‼」


「⁉」


 ――――ドガッ、バゴッ。


 シズクの態勢から打ち込まれる攻撃を予測し、拳を回避したザランは、すかさず反撃を始めた。


「痛っ……!」


 ザランから何発か殴られたシズクは、その殴られた箇所を手で抑えながらザランの様子を見た。


「舐めるな。低俗なワーストのガキが」


 ザランはそう言って、コートのポケットからリモコンを取り出すと、スイッチを一つ押した。


 ――ビビッビシッヴヴッ。


 何かの振動するような音と共に、ザランの足元に青色の丸い照準が現れたかと思うと、素早くその照準がシズクの足元へ移動する。


 続けて、ザランはリモコンについていた二つ目のスイッチを押す。



「しばらく大人しくしていろ」


「な、なんだよこれ⁉」



 ザランが二つ目のスイッチを押して間もなく、その照準の上に立っていたシズクの周りを、ボルボの疑似ボックスのような半透明の壁が囲いつくしたのだった。

 シズクはそのボックス内に閉じ込められてしまった。



「そこからは出られないだろう。元々、これは罪人用に考案されたボルボの機密パッチだ。民間に出回っている疑似ボックスとは訳が違う。お前は私を殴ったんだ。ただじゃ済まさないからな」



「だ、出せ‼ ここから出せよ‼」


 ――――ドンッ、ドンッ。



 シズクが懸命にその壁を叩くも、出られそうな気配はない。壁は透明な見た目の割に、相当強固で、シズクの力で壊す事は出来ないようだった。


「はっはっはっはっは‼ いい気味だな」



 シズクが圧倒的に形勢不利な状況だった。

 箱の中に閉じ込められたシズク、手も足も出せない。


 恐らくザランとヴィヴィは、もうそのままモラトリアムへ帰ってしまうだろう。

 シズクの予測していた以上の最悪の事態になってしまった。

 だが、そんな次の瞬間。




「シズクーーーーーー‼」




 向こうの方から、ナーを抱えたイリスが戻ってくる姿が見えたのだった。


「‼ そ、そうだ。ザランさん……。あんた誤解してるぞ」


「……何?」


「誤解なんだよ……ヴィヴィは別に、モラトリアムを出たかったわけじゃないさ」


「どういう事だ……?」


「あの『飼い猫』を探してここまで来ていただけなんだ」


 そういって、シズクは近くまで走ってきていたイリスと、その腕に抱き上げられていた黒猫のナーの方を指差してみせた。



「飼い猫? ふんっ。そんなもの、他の者に探しに行かせればいいだけだろう。別にヴィヴィが自分で探しに出る必要はない。モラトリアムから出るな、という私の命令を破った事に違いはないだろう」


 ザランのその言葉に、いよいよシズクの怒りは爆発してしまった。




「俺達はなぁ……俺達は、籠の中で飼われてる鳥じゃねぇんだよ‼ この分からず屋が‼ 俺達は、皆一人一人、自分の意志を持って生きている同じ人間なんだよ‼ それはニューラーだろうが、シナプサーだろうが、……親だろうが子だろうが関係ねぇんだ! 楽しかったり嬉しかったりしたら同じように笑ったりするし、友達やペットが居なくなったら、誰だって悲しくなったり不安で心配になんだよ。自分の足で探しにいきたいって思うんだよ‼ なんでそんな気持ちの一つもわかってやれなくて、父親なんかやってんだ‼ もっと理解してやれよ‼ ヴィヴィの親なら、ヴィヴィの気持ち考えてやれよ‼ ……子供をいつまでも……子供のままにしとくんじゃねぇよおおぉ‼‼」



 ――――ドンッ、ドンッ‼

 ボックスの中に閉じ込められていたシズクが、叫ぶようにしてヴィヴィの気持ちを代弁する。そしてその透明な壁を力強くたたき続けていた。


「シ、シズク……っ」


 それ聞いていたヴィヴィは、涙が止まらなかった。


「はぁ……はぁ……シズク、あんた……」


 急いで戻ってきていたイリスも、息が整えながら、この場の状況を理解しようとしていた。


「ナ~……」



 その腕の中にいた黒猫のナーも、寂しげに一声鳴いていた。まるで状況がわかっているかのように。



「……ふん。お前が何を言おうと、これは私達家族の問題だ‼ よそ者が軽々に首を突っ込むなど……ん?」



 ザランは、ボックス内で叫び終わったシズクを眺め、ばつの悪そうな顔をしてそう言った。そして、丁度その場へ戻ってきていたイリスと、彼女の腕の中にいた黒猫のナーを見るなり、一瞬にして顔が青ざめていった。


「な⁉ なぜ、『お前』がここに⁉」


「……え?」

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