第28話 さよならを告げる
「ナ~!」
「あ、ちょっと……!」
急なボルボの接近に驚いたのか、ヴィヴィの抱きかかえていた黒猫のナーが、その腕から飛び出していってしまった。
「ヴィヴィ、大丈夫! 今度は私が捕まえてくる!」
「イリス……」
ヴィヴィと同じくナーの逃走に気付いたイリスが、すぐにそう声を掛ける。
ナーの後を、イリスが急いで追いかけていった。
ナーとイリスが居なくなり、シズクとヴィヴィの二人だけになったその場に、一台のそのボルボはゆっくりと地上へ降りてきた。
無論、中には、彼女の父、ザラン・エッジフッドの姿があった。
「ヴィヴィ、お前私の言いつけを破ったな……?」
ヴィヴィの父親ザランは、自分の娘の顔をじっと見つめながらその間合いを詰めていった。
脇にいたシズクやイリスには、目もくれない様子である。
「ごめんなさい、お父さん……」
ヴィヴィは様々な感情に打ち震えているようだった。
それは父への恐怖心なのか、シズク達と離れなければならない寂しさなのか、あるいは本心を言い出せない自分へのふがいなさなのか。
本当に様々な感情なのだろう。
「さぁ、早く帰るんだ。今後の処遇については移動中にじっくり話すとする」
ザランが、娘の肩に手を掛けたその時、そばに居たシズクが口を開いた。
「待ってください‼」
「ん? 誰なんだ、君は」
そこで初めて、ザランとシズクは目を合わせた。
「シ、シズク・シグマといいます」
シズクは、少し緊張しながら彼に名乗った。
ザランは、シズクの姿を頭のてっぺんから足先まで、じろじろと一通り見ると、残念そうな様子でヴィヴィにこう言った。
「ヴィヴィ。お前に色々な制限を設けてきたが、その中でも友人関係は特に厳しく教えてきたつもりだ。こんなワーストに居るような低俗な輩と遊ぶことは、お前の生涯に何の益ももたらさんぞ」
「…………」
ザランの言葉に、ヴィヴィはどう反応していいかわからなかった。
ヴィヴィは感情を表に出す事ができない。
ここで、「わかりました」と一つ答えて、父の言う通り、これまで通りに生きる事は、別に難しくないのかもしれない。
最近まで、自分はそうだったのだから。けれど……。
そうヴィヴィは感じていた。
けれど、その答えは、自分の気持ちを否定するようで、とても気の重いものだった。シズクやイリスと共に過ごしたあの楽しいひと時。
あの時の、裏表無く過ごす事の出来た本当の自分。
その本当の自分を、大切にするべきなんだと感じていた。
それは、シズクに会ってから教えてもらった事だ。
ここで父に従う事は、そうした感情の存在を、真向から否定することになる。
ヴィヴィは、ここから先の言動の持つ意味が、それだけ含みのある物だという事に気付いていた。だからこそ迷い、慎重になり、何も言い出せずにいた。
「ヴィヴィ……」
シズクは、自分がザランにコケに扱われた事に対しては、まるで気にしていなかった。
そんな事よりも、話に聞いていた通り、自由が制限されているヴィヴィをいざ目の当たりにして、憐れで仕方なく思っていたのだった。
「さあ、早く帰るんだ。お前が居るべき場所は、こんな場所ではないのだからな」
ザランが、ヴィヴィの肩に置いた手に少し力を入れた。
その時だった。
「私は…………私は、戻りたくありません‼」
少女のふりしぼって吐かれた一声が、その場に響いた。
「ヴィヴィ……‼」
「な、なんだと⁉」
ヴィヴィは、ザランの手を払い、そこで初めて父親に自分の感情を告白し始めた。
「私は! 帰りません‼」
「ヴィヴィ‼ 私の言う事が聞けないっていうのか⁉ 私はお前のためを思って言っているんだ‼ 悪い人間関係は、悪い人間を育てる。そうならないために――」
「私が誰と関わるかなんて、私が自分で決める‼」
ザランの話にヴィヴィの言葉が割って入る。
「……なんだと⁉ お前に、そんな関わる人間を見極めるだけの目があるとでもいうのか‼ この……」
ザランは、自分の感情を抑えきれなくなったのか、ついに自分の右手を振り上げ、ヴィヴィの顔を叩こうとした。
「ああーーーーっと‼‼」
――――ドンッ。
「痛っ! シ、シズク・シグマ⁉ お前一体何を‼」
ヴィヴィに手をあげようとしたザランに、シズクは体当たりしていた。
「おっと、すみません。お二人を止めようとしたら躓いてしまって。ははは……」
思わずシズクは止めに入ってしまっていた。
普通に考えれば、シズクは部外者なのだろう。親子喧嘩に割って入る事が、どの程度正しいのかも、シズク自身よくわかってはいなかったが、ヴィヴィが誰かに殴られるような光景は見たくなかった。
その一心だった。
「……私はモラトリアムへは戻りません。シズクと、それとイリスと、三人で生きていくと決めました‼」
ヴィヴィは顔を紅潮させ、必死になって主張した。
その瞳には涙が浮かんでいる。
声はずっと震えていた。
手も足も、自分の隠していた気持ちに取り込まれて震えていた。
初めて父親に反抗できた。
ずっとそれまで、言われるままに押さえつけられてきていた。
ふがいなかった自分に今日この瞬間、少女はさよならを告げたのだった。
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