第26話 父の束縛

――――数時間ほど前の事。


「おい‼ ヴィヴィはどこ行ったんだ⁉ まだ連絡取れないのか⁉」


「ダ、ダメです‼ 全然見当たりません‼ 思い当たるところは全て確認済みです!」



 モラトリアムのとある建物の一室で、一人の男がもう一人の男に叱責している。

 𠮟りつけている男の方は、全身黒い服に身を包んでおり、一見細身のようだったが、首元から見える筋肉は明らかに常人とは違う。

 普段からどこかで鍛えあげてきたものなのだろう。



 一方で、叱られている男は、グレーのスーツ姿の短く切った白髪の初老男性だった。腰を低くして、その男の言葉を聞いている。



「ザランさん……ヴィヴィさんと連絡取れません」


「ヴィヴィの奴……。もういい。あとは私が一人で探す」


 黒服の男は、もう一人の男が何か言う前に、既に出発の身支度を始めていた。


「ザ、ザランさん⁉ まだ職務が残ってます‼ ヴィヴィさんは私の方で探しますから……」


「もう、もういいと言ったんだ‼ 仕事なんてそのままにしとけ。戻ったらいくらでもやってやる‼」



 どうやら、その男は、ヴィヴィの父親ザランのようだった。ザランの相手をしていたのは、補佐か何かと思われる男だった。


 補佐は額の汗を自前のハンカチで拭いながら、この暴君のように荒れた気性の男の様子を気にしている。


「移動の痕跡を辿れば居場所の特定など容易いものだ。……待っていろ、ヴィヴィ。すぐにお前は連れ戻してやる‼」


「あ! ザランさん‼」



 コート掛けから力強くコートを持ち去り、素早く羽織る。

 羽織ったコートを翻しながら、ザランは建物の出口へと足を運んだ。


 ザランは、ヴィヴィの後を追う形で、モラトリアムからワーストへの階層移動を始めていたのだった。




――――――――――――――――


 黒猫のナーを探している最中、ヴィヴィは不思議に感じていた。

 自分と父親の事をシズクに打ち明けると、なぜこんなにも胸の不安が軽くなっていくのだろうと。


「ヴィヴィー。そっちに猫いるかー?」


 少し離れたところにいるヴィヴィに向け、シズクが声をあげる。


「いないわー。それどころか人さえいないわー」


「ひ、人がいないのは知ってるー……」


 ヴィヴィは、商店街のうちの一軒のガラス窓を覗き込んでそう答えていた。

 中華飯店だったらしいその店の店内は、明かりがついておらず、中の様子も暗くてよくわからない。


 ヴィヴィは、色々と思い返していた。

 これまでの辛かった感情や過去の記憶を、シズクにだけは話しても大丈夫な気さえしてくる。別にシズクに、それほどニューラーとして、他の者と比べて変わった点が多くあるわけではない。


 あるとすれば、自分の背中を押してくれたり、父親への感情を代弁してくれた事くらいだった。

 ただ、それがひょっとすると、自分の感情を揺れ動かす鍵だったのだろうか……?


 ヴィヴィはそんな事を考えながら、キョロキョロと辺りを見回した。


「もしかしたら、もうこの辺りにはいないのかもしれないわね……」


 ヴィヴィはわからなかった。

 ただシズクが、イリスという幼馴染と仲良くしている姿を見ると、なぜだか胸の奥が苦しくなる。

 ぎゅっと何かでしめつけられたかのように切なくなる。

 この感覚自体、ヴィヴィにとっては初めての物だった。

 その時だった。



「あああーーーっ‼」


「‼」



 向こうから響いてくるシズクの声に、ヴィヴィは両肩が浮くような思いで驚いた。


「ヴィヴィー! 居たぞー! 居た居た‼ こっちにナーが居る‼」


 人気のない、寂しげな商店街にシズクの声がやや反響する。


「ほんとっ⁉」


 ヴィヴィはそんなシズクの元へ、早足で駆け寄っていった。


「ほら!」


「‼」



 ヴィヴィがシズクの元へ駆け寄る。丁度同じタイミングで、シズクが横倒しになっているゴミ箱から、中に居た黒猫のナーを抱き上げた。


 ゴミ箱の中には何も入っていなかったが、どうやら黒猫のナーは、その中で休んでいたようだった。



「ナ~。……ナー、ナー」


「ナーさん……」



 シズクに抱き上げられたナーは、切なそうな声でよく鳴いていた。

 近寄ってきたヴィヴィの顔を見て、安心したのかもしれない。

 念願の再会を果たす事の出来たヴィヴィも、ナーの顔を見て少し頬を赤らめ涙ぐんでいるようだった。



「よかったな~。ヴィヴィ」


「……ええ。とても……。本当にありがとう、シズク」


「いいや、全然。気にするなって。見つかったのはたまたまみたいなもんだし。そもそも以前に俺がここで見掛けたのも偶然だしな」



 ヴィヴィは、黒猫のナーを抱きかかえて、何度かシズクに頭を下げた。

 おお、またそんなに大きく体を動かすと、胸の辺りが暴れちゃいますよ、ヴィヴィさん……。


 シズクのそんな邪まな心とは裏腹に、ヴィヴィはシズクに感謝の意を表明していた。

 ナーは相変わらず、その二本生えた可愛らしい尻尾と、くりっとした青い瞳でヴィヴィの顔をじっと見ていた。



「よし、無事ナーも見つけた事だし、早くモラトリアムに戻らないといけないな……」


「イリスにもこの事を伝えないとね」


「ああ。ちなみになんだが、今こうしてワーストに来てる事がヴィヴィのお父さんにバレた場合って、ヴィヴィ……。お前はどうなるんだ?」


「……」



 シズクのその問いに、ヴィヴィはすぐには答えられないようだった。

 しばらく沈黙したのち


「どうなるかわからないわ……。もう、私の家からの外出自体、禁止されるかもしれないわね……」


「‼」


 ヴィヴィの悲しそうな顔を見て、シズクはまたしても納得がいかないといった様子だった。


「ヴィヴィ。お前のお父さんおかしいだろ⁉ なんで飼ってる猫を探しにいくだけで、そんな罰を受けなきゃいけないんだ‼ 過去に何があったのか知らないが、そもそもモラトリアムを出ちゃいけないだなんて、ヴィヴィの意志を全く尊重してないだろ。そんなの……」


「……。きっと、もうお父さんはわかっているわ。私があそこから抜け出して、ワーストに居る事……。追手を寄越しているのか、帰りを待ってるか、そのどっちかはわからないけど、あの人の性格からして、そんな悠長に何もしないで待ってる事は無いと思う……」



「前に言ってた移動の痕跡か……。でもそんな……」


 シズクとヴィヴィのそんなやり取りの中、ヴィヴィの腕の中にいたナーは目をぱちくりとさせている。


「イリスを探しに行きましょう。それほど遠くへは行ってないはずよ」


「……そうだな」

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