第22話 『それ』・2

 ――――ワンッ! ワンワンワンッ‼



「ま、まずい! 近づいてきてる!」


「ど、どうしよう、シズク……」


「あっ! こ、こっちだ! とりあえず、こっちに来てくれ!」



 シズクは、迫りくる野犬の恐怖に怯えるヴィヴィの手を引いて、すぐ近くに見えた公園の茂みに飛び込んだ。 


 ――――ガサ、ガサガサ、ガサ。


 二人は、真っ暗な茂みの中で息を潜めていた。

 遠くではまだ野犬の鳴き声が、近隣にこだましている。まだ近くに居るらしい。



「はぁ、はぁ、はぁ……ちょうど良い所に公園があってよかった。……はぁ、少し、ここで隠れてよう」


「はぁ、はぁ……そ、そうね」


 息を荒げて、暗闇に身を隠す二人。シズクは、茂みの隙間から住宅の方を覗いた。


 ――――ワンッ! ワォンッワンワァンッ‼


「‼」


 シズクの目に、黒い影が一つ映った。

 動きからして、それは野犬の影に違いなかった。


 その影が、すぐそばの道を走っている。

 そばには、二つ、三つと、他の影もちらついて見える。


 奴らはほんの数メートル先にいる。


「は……は……ふぁ……くしゅんっ!」


 ここでヴィヴィが、不意にくしゃみをしてしまった。


「‼」


 シズクは、慌ててヴィヴィの口元を自分の右手で覆った。

 その微かだったくしゃみの音に、影の一つが反応した。


 ゆっくり。

 ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 その様子が、茂みの隙間から見える。


「んんっ……!」


 緊迫した空気。

 シズクは身じろぎひとつできなかった。

 ヴィヴィも、こんな状況のせいで少し涙目になっている。


「……!」


 その時だった。

 シズクはとっさに、左手のそばにあった小さな石を手に取ると、そのまま遠くのほうへ軽く投げてやった。


 ――――コツンッ、コロコロ、コツンッ。

 ――――ワンッ! ワンワンワンッ!


 シズクが左手で投げた石の音に、その影は反応したらしい。


 二人が身を潜めていた植物の茂みから、次第に遠ざかっていったようだった。


「…………」




 二人は、しばらく沈黙の中にいた。

 数分経って、辺りから野犬の気配は感じられなくなり、もう完全にどこか遠くへ行ってしまったと思われた。


「もう行ったか?」


 ようやく沈黙を破ったのは、シズクの声だった。

 シズクは、ヴィヴィの口に当てていた右手を離し、そのまま茂みの隙間を覗こうと、少し態勢を横にずらした。

 その時だった。


「ちょ、ちょっと待って‼ 動かないでシズク! あっ……ちょっと……ダメッ……そこ……触っちゃだめって……あっ」


「ん? なんだ⁉ ど、どうしたんだ……?」


 シズクの身体を支えていた手の置き場の感触が、明かに違う!



 ふにゅふにゅん。



「あ、ちょっと……」


 ぽよよん。ぽよん。


『それ』には、柔らかな感触とパーカーごしに若干伝わる人肌の温もりとが同居していた。偶然にも、シズクの手には思いっきり『それ』が掴まれていた。


「ん? なんだ、この手の感触……この柔らかさって、ひょっとして?」



 無論、『それ』とは、ヴィヴィの特盛おっぱいのことであった。



「もうだめえぇ‼」


 バチィィィン――――。



 思い切りはたきつける音が、廃れかけの町に気持ち良く鳴り響いた。

 華麗なる平手打ち。お見事だった。

 シズクの頬に、綺麗な紅葉マークが描かれた。ヴィヴィの目一杯振りぬいた右手によって。




 それから、二人は夜の町を歩いて進んだ。

 南ミスト通りから、東ミスト通りへ。町並みは次第に変化していき、シズクやイリスが住んでいる家が近づいてくる。



 野犬でのハプニングがあった事で、二人は尚更、今晩はシズクの家で過ごさないといけないだろうという結論に至っていた。


 言葉を交わさなくても、その気持ちにはお互い同意である。

 あの野犬騒動では無理もなかった。


「もうシズクのご両親、寝ているかしら」


「……ああ。寝てると思う。農家の朝は早いからな。基本、早寝早起きだ」


 シズクはひりひりとしていた自分の頬を手でさすりながら答えた。

 案の定、シズクの家の明かりは落とされていた。

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