第12話 モラトリアム・2

 戸惑いながらも、これが、空中を自由に移動しているあの人々のツールなのではないかと推察する。



「なるほど……ふむふむ。まぁ、乗ってれば慣れるだろう」



 一体、何に対する「ふむふむ」なのかシズク自身よくわからなかったが、意外にも、シズクはこの程度なら自分でも適応できそうだなと感じていた。



 事実、この後も彼は適応力の鬼とも呼べそうなほど、様々なものに適応していくのだが、それはまだまだ先のお話である。



「……で、これ一体どうやって進むんだ?」



 そんな素朴な疑問を口にしたのとほとんど同じタイミングで、その電気ボードは自動で移動し始めたのだった。



「おわっ‼ 急! 急に‼」


 気まぐれなのか、そんなわけなく時限式に動き出すのか、シズクはボードにその身を預けるしかなかった。シズクを生かすも殺すも、電気ボード様次第であった。



 斬新な町並みを軽快にすっ飛ばしていく。

 乗ってる奴とか知った事ではないらしい。



 気ままに加速する。


「速い。……速いって。……速い速い速い!」


 そして急に曲がる。


「急だな⁉」


 急に上昇する。


「急だ!」


 急に蛇行する。


「急‼」


 急に。急に。


「ふざけてんのか‼ 蛇行意味ないだろ‼」


 急に蛇行する辺りから、いつツッコもうか迷っていたらしい。



「安全運転でお願いします、ほんと」


 まるでシズクの声が届いたのか、電気ボード様はゆったりまったりと、徐行運転をご決断されたらしい。ここまで独り言を続ける奴も珍しいのかもしれない。



 電気ボードに容易くその命運を握られてしまったシズクだったが、なんとか無事、目的地の新しい住居に到着したようだった。



 目的地に着くと、地上から二十センチと離れていなかった低空浮上の状態から、その電気ボードは滑らかに地上へ沈み込み、シズクの両足をしっかりと地面へ届けた。



「……っふぅ。こいつ免許取りたてだなっ」



 後ほど詳しく明かされる事だが、電気ボードの操縦は、基本乗っている者の意識が大きく影響してくる。つまるところ、この発言は頓珍の漢という事になる。



 思ったよりかなり良さそうだな。と、シズクはその建物を眺めて思った。

 そこは灰色をメインカラーとした、モダンな雰囲気のある五階建てのマンションだった。



 これから自分が新たに住む事になる場所。

 新しい生活の拠点となる場所。


 ここからまた、自分の知らなかった世界が始まるのかと思うと、シズクは好奇心で胸がいっぱいになった。



 決して、ワーストの階層を嫌だと感じていたわけじゃない。


 けれど、あの階層に住む者は、その実多くが保守的で、世の情報に疎く、移住を神格化してはいるけれど、自分が選ばれるのを良しと思わない者が多いのではないだろうか。


 親にしても、イリスにしても。

 学校で共に学んでいたクラスメイト達にしても。



 皆どこか、移住に対する好奇心より、不安が勝っている。変化を恐れている。無論、表立ってそれを言う者は少なかったが……。



 シズクは、新しい自分の生活を思う反面で、そのような事を考えていた。



「それにしても、なんか露骨に似たような建物が並ぶ場所だな」



 シズクの新住居と並ぶようにして、ズラリと同じ外観のマンションがそこから続いていた。


 ワーストの階層にも、アパートやマンションといった集合住宅は存在していたが、これほど大規模にまとまっていたわけではない。



 それだけ、このモラトリアムという階層は、何に対しても出来る限りの効率化を計っている、という事なのかもしれない。



 悪くなかった。むしろ良い環境。良すぎる環境だった。

 シズクが指定されたマンションは、1LDKの過ごしやすそうな住居だった。


 適度に広く設けられたキッチン。狭くもなく、かといって広すぎもしないリビング。

 意匠的に差し支えないクローゼット。統一感のある床やクロスの配色。



 天井中央のシーリングライトに優しく照らされて過ごすこの部屋での生活は、この上なく快適なのだろう。

 これ以上、コンパクトにまとめあげられた居住空間は無いんじゃないか? 窓の外の一点だけを覗いてな……。



 シズクはそう思っていた。

 窓の外には、立体駐車場ならぬ浮遊型ロボットの立体収容庫が、ドォーンと空高く聳え立っている。



 その収容庫から、浮遊型ロボットは忙しなく出入りしているようだった。

 八本の伸縮自在なアームを持ちながら浮遊している彼らは、まるで深海を漂うタコのようだ。



 今は明るい日中なので何とも思わないが、これが夜中になると、非常に気味が悪くなるような気がする。

 シズクの脳裏に、夜の暗闇を泳ぐ不気味なタコの化け物が浮かび上がる。そしてすぐにその悪夢のごとき想像を振り払う。



「うっ……。早いとこ遮光カーテン買お……」



 この点だけは早急だな……とやや残念な気持ちになりながらも、部屋にあらかじめ備え付けられていた家電などの確認をしていく。


 冷蔵庫、電子レンジ、エアコン……。この辺りはまだわかるのだが、学習机の上に置かれたこの薄く四角い板のような物はなんだ……?素材はアルミニウムか、それに近い物で出来ているようだけど……。




 それにもう一つの、手のひらサイズほどの長方形のこいつも気になる……。つるつるとしていて、表面が鏡のように反射して天井が映っている……。


 シズクはこの他にも、リビングの壁際に設置された小さな空き缶サイズの黒い物体や、キッチンの本来コンロがあるべき場所に付けられていた、プレートのような物も気掛かりだった。



 初めて見る家電(?)なのだろうという事はなんとなく予想できたが、何しろ説明書も何もない。右も左もわからないとはこの事で、シズクは自分がまるで赤子のようだとさえ感じた。



「誰かから教えてもらうのが一番じゃね……?」


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