第8話 イリス

「じゃあ、元気でね。シズク・シグマ君」


 トトリカは、シズクに優しく微笑みかけてそう言った。それはトトリカがこれまでの会話の中で最も感情を現した瞬間だったような気がした。

 その微笑みにシズクは少しホッとした。



「ふふっ……ありがとうございました」



 ……両親やイリスに、お別れを告げなければいけない。

 トトリカへお礼の言葉を述べると、それと同時にそうした思いがシズクの中で浮かび上がってきた。



 別れる事への淋しさや、新しい居住環境への不安感が、シズクの脳内でぐるぐるとないまぜになっていく。



 はぁ……。なんだか疲れるな……。

 一切がだるく感じる。こうしたあれこれの感情に揺れる自分に対し、シズクは一種のだるささえ覚えるくらいだった。



 もういっそ、役所に通知してもらうか……?

 シズクは、それでも良いような気がしていた。

 両親は、すでにシズクを放任していて、家業を手伝ってくれるのは嬉しいが、お前の好きなように生きなさい、と日頃から言ってくれているし。何も後ろ髪を引かれるような思いはない。


 シズク自身、そろそろ親離れしたいなと感じている節はある。

 ただ、イリスの方は……。



 イリスはシズクにとって腐れ縁のようなものだ。幼馴染で付き合いは長いが、ただそれだけである。何か特別なものがあるわけでもない、はずである。



「階層移住証明書」のカードを受け取ったシズクは、トトリカの喫茶店を後にした。辺りはもう暗くなっていて、日中よりやや気温も低くなっていた。


 シズクは、どこへ向かおうか悩んでいた。






 東ミスト通りを抜け、街外れに沿って南方へ進むと、シズクの家が見えてくる。さらにそこを通り過ぎてそのまま進むと、広大な夜の海が見えてくる。



「久しぶりだな、この辺に来るの」



 海が見えてきたあたりで、シズクは立ち止まった。

 近くに一軒の家屋が建っている。その家屋に灯る明かりが、シズクの顔を照らしていた。



「相変わらずだな、この家は」



 その家はイリス・マーガレットの生まれ育った家だった。

 シズクは、道端に転がる小さな石を握ると、家の二階の窓に向けてその石を軽く放り投げた。


 ――――コツンッ…。


 見事、小石が窓ガラスに当たる。

 目立つヒビが入らなくてよかった。細かいヒビは入ったかもしれない。

 しばらくすると、明かりの付いていたその部屋の窓が内側から開けられ、中からイリスが顔を出す。



「シズクじゃん。どうしたの? こんな時間に」


 よかった。小石についてはお咎めなし。

 とシズクは少しホッとした。


「ちょっと出てこれるか? 話あるんだ」


「……」



 イリスを外に呼び出すと、二人は近所を散歩しながら話をすることにした。



「なんなの、珍しいじゃない?」


 風呂上りなのだろう、イリスの青い髪は少し濡れていて、服装も普段よりずっとラフな格好だった。



「お前こそなんか珍しい格好だな……」


 なんだか露出が多く、シズクは直視できないでいた。胸元とか太ももとか……。



「え? あ、あれ? もしかして、お風呂上りの私に興奮しちゃってるのかな~?」


 にやにやとした表情を浮かべ、小悪魔のようにシズクをからかいだすイリス。



「バカ! 違う違う。そんなんじゃねぇよ…」


「へぇ~……本当にそうかなぁ?」


「違うから! イリスに興奮とか無いわ」


「そっかー……。じゃあ、これでも?」


「は⁉ 何やってんだよ⁉」


 そう言って、イリスは自分の着ていたTシャツの首元に指を掛け、クイッと引っ張ってみせた。イリスの豊満な胸の谷間が、シズクの前に少し露わになった。



「あっはははは! 絶対嘘じゃん。シズクく~ん、顔赤くな~い?」


「くっ……! くそ……」



 イリスはとても楽しそうにシズクをからかった。

 頬を染めるシズクの反応が可愛く感じられて、意地悪したくなってくる。そういったエロティック&サディスティックな様子だった。



「まぁ、ごめんねー。私、最近育ち盛りなのか、どんどん大きくなってきちゃって」


「あ、ああ。そうだよな……そいつは良かった良かった」



 シズクは、どんどんと早まっていた胸の鼓動を落ち着かせようとした。

 それから、少しだけイリスの胸のほうに視線を向ける。イリスの言うように、近頃の彼女はやたらと身体の発育が著しい。特に胸とかお尻とか……。


 美味しそうな感じに実ってきている。と果樹園育ちのシズクにとってみれば、その豊作っぷりは一目瞭然だった。あとは刈り取るだけ。左手は添えるだけである。



「それで、何か話があったんでしょう?」


「……え? あ、ああ‼ そうだよ‼ 危うく話を見失うとこだった」



 普段あまり見ないようにしていたイリスの身体に、やや目を奪われていたが、なんとかシズクは気を持ち直すことにした。


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