第6話 デザインゲイン・2

 シズクは一層その猫を怪しく思った。

 だがシズクがさらにその猫をじっと見つめていると、黒猫は「あんま見るなよな」といった様子でさらっと建物の隙間に入っていってしまったのだった。


「?」


 不思議に思いつつ、シズクはまるで黒猫が導いてくれたかのようなそのお店を改めて眺めた。

 通りに少しはみ出す形で出ていた立て看板に、『デザインゲイン』という店名らしきものが記されてある。



 喫茶店……?



 お店のガラス窓に白く描かれたコーヒーカップから、シズクは、なんとなくここが喫茶店なのかもしれないと連想した。こううらぶれていたのでは、店舗の業種も疑わしいが。



 一応、中でオレンジ色の灯りが付いている。営業中らしい。

 気が重い。重すぎる……。



 シズクはそう感じ、何度かこのまま素通りしてしまおうかとも考えたが、こういった不足の事態だ。下手にここを無視してしまうと、何か罰則のような物が公的に自分に降りかかってくるかもしれない。いや、そのような事は無いにしても、何かしら……。

 色々、考えた結果、やはりこの扉の向こうへ進むべきだと感じた。



 カランコロ~ン♪



 軽いベルの音。

 扉の重み。

 立ち込めてくるコーヒーの香りと、少し埃っぽいにおい。

 年季を感じる喫茶店。そこに、シズクは足を踏み入れていた。


「…………」


 誰もいない。というか見当たらない。お客も、店員も。

 電気は付いているし、先ほどまで誰か居たのだろう。


 狭く細長い店内を縦に分割するように伸びたカウンター。そのカウンターの中で、コポン……コポン……と焙煎器が可愛い音を立てている。

 その様子からして、店主は少し席を外しているらしいが、すぐ戻ってくるのだろう。


 シズクは、カウンター席に腰がけてしばらく待つ事にした。

 ズボンのポケットには、役所から渡された報告書がある。ポケットの中に入れた右手で、それをぎゅっと握っていた。


 それでも、シズクが待てど暮らせど誰一人現れない。隕石が落下すると叫ばれても、この店はこのままな気がする。

 営業中でこれだ。階層【ワースト】の名に恥じない名店と言える。

 そのようにシズクは思っていた。



「あのー、すみませーん」


 ついにしびれを切らしたシズクは、店の奥の方のキッチンに向けて声をあげた。


「はいはいー? ここに居ますけど、何かご注文?」


「え? ……うわっ‼」


 声をあげてすぐ、カウンターの中から声がしたので、シズクはつい大声で反応してしまった。


 まさか、こんな狭いカウンターの中に人が居て、それに自分が気が付かないとは思ってもいなかった。どうやら、このお相手はずいぶん存在感が無いらしい。

 その店主と思われる人物は小柄で細身な、白髪交じりの男だった。


「ははは…存在感無くてごめんね」


「い、いえいえ……」


「ところで、何飲むんだい? レギュラーコーヒー?」


「あ……えっと、じゃあお願いします。あとこれ、役所から渡されたんですけど、住所ここで合ってますよね?」


 何も頼まないというのも悪いかな、と気を遣いつつ、シズクは本来の目的の話に移った。


「【測定不能】か~。ああ、合ってるよ。間違っちゃいない。ここで、その報告書を受けてる」


 シズクに答えつつ、男はコーヒーをカップに注ぎ始めた。



「その前に、一応自己紹介しておこうか。私は、ここの店主をしてるトトリカだ。よろしくね」


「シズク・シグマです」


「シズク君ね。はい、コーヒー」


「ありがとうございます」



 シズクとトトリカ。二人の間に、トトリカが差し出したコーヒーの良い匂いが立ち込めてくる。



「それで、ちょっといくつか質問させてほしいんだ。シズク君」


「なんですか?」


「ああ。まず、今日、ここに来る事を、誰かに話したりしたかな?」


「いえ、誰にも話してないです」



 トトリカは、別のカップを拭きながらシズクとの会話を続けた。

 シズクも、先ほど出されたコーヒーを飲みながら話に応える。ただ、やや苦い。



「そうか。じゃあ、少し待ってね」


「……?」


 トトリカはそう言って、店の出入り口の方へ行くと、『営業中』の札を裏返した。

 一応、営業していた自覚はあったらしい。

 シズクは、それ裏返すんだ、と思った。


「……話を続けよう。今回の【測定不能】は初めてかな?」


「はい」


「じゃあ、【測定不能】になった原因に心当たりはある?」


「それは、測定装置の不具合だと思います」


「不具合?」


「そうなんですよ。俺がこう、装置を使って測定してる途中で、フッと映像が切れちゃって。そしたら役所の人たちが慌てはじめて……」


「ふ~ん……。そうかぁ、なるほど……」


「……?」


 トトリカは顎に蓄えられたその白い髭をジョリジョリ触りつつ、何か考えているようだった。


「やっぱり、『モラトリアム』に移住してもらうしかないかなぁ…」


「『モラトリアム』…?」


 モラトリアム。シズクは初めて耳にする単語だった。

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