第2話 出会い 2

 マリッツがダフネの研究室に所属することになってからしばらくの日にちが経った。

 静かな研究室内に、紙にペンで書き付ける音が響いている。マリッツは閲覧可能な資料の内の数冊を机上に広げて、文字に目を走らせては、目に付いた箇所を拾い上げていく。まだ一分野目の資料の一部にしか手を付けられていないので、目標とする俯瞰にはほど遠い。だが、マリッツは丁寧に資料を読み込んでいく。目標に到達するまでの布石を、一つたりとも見逃すまいとするように。


 作業にひと区切りをつけ、マリッツは息を吐く。固まった首と肩をほぐすと、だらしなく椅子にもたれかかる。というのも、今、研究室内にはマリッツ一人しか居ないからだ。

 ダフネはフィールドワークがメインで研究室を空けることが多かった。ダフネからは、共に着いて来るのでも、やりたい事を優先するのでもどちらでも良いと告げられたので、マリッツはまず、開示されている資料を読み込む方を選んだ。たまに日を置かないこともあるが、大抵は数日に一度、ダフネは自分の研究対象の資料を山ほど抱えて戻ってくる。それからダフネと共に資料整理の手伝いをするのが、この研究室の日常となっている。

 研究室によっては所属する際に、室長の進める研究の補佐を求められたり、何らかの主題を与えられ、論文で一定の評価を出すことを課されることがある。

 だが、ダフネはマリッツ対して、特にするべき何かを指定することはなかった。というのも、そもそもダフネが研究室を持とうとした目的が、置き場所に困った研究資料の格納だった。なので、ダフネは研究室に所属することになった最初の日、マリッツに対して、「ここよりも条件の良い研究室があったら、いつでもそっちに移ってもらっても構わない」などとのたまった。

 言われた側のマリッツは、『やる気や能力が無かったら他へ行け』という意味を含んでいるのかとマリッツは思い込み、しばらく戦々恐々としていたが、資料を整理する際に、ダフネがこぼした話によると、研究室だけでなく門下を抱えることすら初めてで、勝手が分からず碌に指導を出来ないことを気にしてのことだったようだ。

 マリッツの目的はダフネの開示する複数分野の研究資料だが、研究室に所属して何の成果も挙げられず、俯瞰での新しい視点すら見つけられなかった時には、ダフネが責任を感じて、改めて別の研究室を勧められるかもしれない。

 じり、と焦りそうになる心を抑える。何も形になっていない今は、気ばかりが急いてしまう。そんな状態で掴むべきものを、取りこぼせば目も当てられない。

 マリッツは椅子に座りなおし、書き付けた紙の束に視線を移す。これすら、無駄なものになるかもしれない。けども、何一つ無意味にしないために、丁寧に物事を積み上げていくことを、マリッツは改めて心に決めた。


 - - -


 資料を読み込んだり、ダフネの手伝いで資料の目録を作成したりしている時に、マリッツは気になることを見つけた。魔術の基礎課程を学んでいる時に必須項目として薬学があったのだが、その時の基礎資料の記名にダフネの名前をよく見かけていた。なので、ダフネは主に薬学を研究しているのだと思い込んでいた。

 ダフネが過去に作成した資料の目録作りを手伝うこともあって、その予想が違っていることが分かった。薬学に関する資料も多かったのだが、一番に量が多かったのは解呪に関する資料だった。

 今はというと、「不死」を主に研究題材にしている。薬学なら多少被るところはあるだろうが、解呪だと方向性が違ってくる。

 マリッツは資料を読み込んでいる際に、どうしても理解出来なかった点をダフネに尋ねることがあった。ダフネは快諾して説明したり、併せて読む資料を提示したりもしてくれた。

 尋ねた時にちゃんとした説明を聞けていないのは二つ名に関することで、その際のダフネの反応は「面倒だった、あれなァ」と言って、過去に思いをはせてそれきりといったものだった。二つ名に関することは、ダフネにとって、特に嫌な記憶という様子ではなかったので、マリッツもその話を聞いたことを気にしてはいなかった。


 なのでダフネが研究室に戻ってきた際にマリッツは軽い気持ちで、「不死」を研究主題に選んだ理由を尋ねた。

「んー、そうだなァ。一定の成果とも言えるのにたどり着くのに時間が掛かりそうだからかな」

 マリッツから分類用のラベルを貼った資料を受け取りながら、ダフネはそんな答えを返した。

「一番、時間が掛かるのは全てを見通す「全過の目」なんだが、そっちは数代かけて足掛かりが出来るかどうかだし、自分の研究には一定の区切りは付けておきたかったからなァ」

 そして、いつものように棚へ適当に資料を詰め込みながら、軽い口調でそう言った。

「という事は、成果にはあまり興味が無いんですか」

「そうだな。多くの先人が目的にして、未だ完璧な技術の確立はされていないし、そもそも「不死」の成果自体にもあまり需要はないしな。だけども、死ににくい技術の発見に繋がるかもしれないんで、割と協力者が見つかりやすくて研究がしやすい題材ではあるかな。私も成果のおこぼれに預かっている延命の技術も安定して成果が出るっていう訳でもないからなァ」

 そんな事を同じ口調で続けられた。

 マリッツの脳裏に「暇潰し」と「自暴自棄」という単語が浮かぶ。

 資料の目録を作成していた時はなんとも思っていなかったものが、マリッツの中で意味を持ち出してくる。長い時間を掛けて相当数の解呪や薬学の資料を作るまで手を尽くした者がその甲斐なく失われてしまったのでは、と想像してしまう。

 それを裏付けするような話をマリッツは聞いた訳ではないので、ただの妄想に過ぎないと分かっていた。ダフネという人間は何の理由もなく思いつくままに研究に没頭したり、題材を変えたり、身の安全が保障されない研究にも、興味本位で飛び込んだりしたのかもしれない、と違う可能性を考えてみた。

 それはそれで、マリッツは胃痛を伴う苛立ちを抱えることになった。

 自分の想像に振り回され、ダフネには事実を確かめられずにマリッツは居心地の悪い沈黙に身を置くことになった。

 そんなマリッツに気を回したのか、ただの思い付きか、ダフネは口角をつり上げにかりと笑みを作る。

「それになァ、「不死」の研究は「全過の目」や他の研究題材に比べると先人たちに人気らしくて、各地で資料が残っているらしいんだ」

「ええと、各地で研究資料が残っているのって大事なことなんですか」

 マリッツが話に食いついてきたのを受けて、ダフネは続ける。

「そうさ。何せ、資料閲覧のついでに各地のうまいもんが食えるからな」

「……は?」

 思わぬ言葉にマリッツはぞんざいな言葉で聞き返していた。

「熱意の維持になるものは大事なんだぞ」

 気にした風でもなくダフネはそう言った。口調からすると慰めではなく、かなりの割合で本気の言葉のようだった。

「それは大切ですね」

 マリッツがダフネの笑みにつられるように笑いながら言うと、ダフネは満足そうに「そうだろう」と頷いた。


「そういやマリッツは何の研究やってんだ?」

 今更、唐突に思い出したようにダフネは、マリッツに対してそんなことを聞いた。

「色々な資料を読み込んで、新しい視点というか発見とか見つけられないかなと思いまして……」

 ダフネの問いにマリッツはしどろもどろに答えた。

「なるほど、そいつは豪儀だな」

「ふぁっ?! 豪儀ですか?」

 感嘆と共にダフネにそう告げられて、マリッツが慌てる。

「新技術なら他にも躍起になって探している奴も居るだろうしなァ」

 ダフネにそう言われてからマリッツは改めて自分の口に出した目的がどのようなものであるかを認識した。

「け、研究室に所属したばっかりの人間が何を言っているって話ですよね……」

「適正な時期じゃなきゃその目的を持つ資格は無いのもおかしな話だろう。まとめ役は大変かもしれないが、個人的には考える頭はいくつあっても良いと思うがな」

 マリッツはネガティブな思考を口に出したが、ダフネは軽い口調で否定した。

「そうですか……」

 元はと言えば自分の家に帰りたくないがため、苦しまぎれに考えた研究主題だった。そもそも魔術課程を学びに行ったのも、逃げ場を探してたどり着いたと言えなくもない。

「悪ィ。余計なことを言ったかな」

「いいえ」

 ばつの悪そうなダフネの言葉をマリッツは否定した。

 逃げるようにして自ら選んだ道は、到達するのも果てしないような険しい道のようだ。それでも、マリッツは逃げが含まれた苦しまぎれを否定されなかったことは有難かった。今は何が出来るか分からないが、いつかはこの研究室の主――ダフネに報いる何かが出来れば良いと思った。

「まずは資料の読み込みを頑張らないとですね」

「おう。ほどほどに頑張れよ」

 ダフネの激励の言葉にマリッツは頷くと資料を抱えて机へ向かった。

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