ある魔術師の話
uden
第1話 出会い 1
山間にほど近い場所に、分厚い壁に囲まれた小都市がある。その中央には覚悟を決めた者ならば誰でも魔術を学ぶことが出来るという学園がある。
覚悟を決めた者とするのは、その学園のある都市が『少々』切り立った場所を経由しなければならないため、辿り着く時点で手間取ること、入学前に提示される目的に応じた年数――目安程度と学園側は説明しているがほとんど外れることはない――に心を折られる場合があること、この学園で学ぶ際に一つ呪いを植え付けられることが挙げられる。
その呪いとは魔術によって人を意図的に傷付けることで発動するもので、効果はその対象者が死ぬまで、簡易的な照明さえ含んだ、全ての魔術を使えなくなることだ。
何故この学園がそんな方法を採っているのかというと、かつて一人の魔術師が暴走し、大陸のいくらかを焦げつかせたからだ。
その魔術師の暴走は止められたが、無視することの出来ない甚大な被害に魔術師や魔術そのものに、大陸に住む多くの人間が恐怖を抱くことになった。
魔術という技術を凍結せよと、さらには魔術師を排せよとの声まで上がった。
この学園は魔術を守るための自衛と譲歩と、叡智に至るまでの道に食らいつく貪欲さで構成されていた。
その学園の石畳の通路を、一人の青年が足早に歩いていく。マリッツという名の青年の目的は、通路先の部屋に貼り出されている魔術研究室の人員募集の貼り紙だ。
研究室は学園で基礎課程を修了した者や修了前でもいくつかの条件を満たせば所属することが出来る。研究室の目的は、現存する魔術の効率的な展開方法を構築することや、それぞれの分野の魔術の造詣をより深くすることなど、その室長によって様々だ。
部屋に着くとマリッツは目を皿のようにして部屋に貼り出されている全ての貼り紙をくまなく確認していく。ひと通り目を通し終えるとマリッツは内心で独白する。
(やっぱり、前に提示されたのって望外の条件じゃないか……!)
過去の自分を殴りたくなる程の後悔をしているが、マリッツはどの研究室に入るか迷う振りをして外見だけを取り繕う。その部屋に居るのは、今のところマリッツのみなので、あまり意味のない行為なのだが。
研究室を選ぶ条件としてマリッツが重視したのは、研究室に属することによって閲覧できる魔術資料の種類である。今、部屋の中にある募集が残っている研究室では一分野の基本資料のみに絞られている所がほとんどで、多くともそこに応用資料が加わるだけだった。
ちなみにマリッツが後悔している望外条件というのは、五分野の基本と応用の資料閲覧である。所属する研究室を探していた最初期に、マリッツに提示された条件だ。
そんな望外条件をなぜスルーしたのかと言うと、その条件を提示してきた相手が研究室の室長本人で、なおかつ、学園で基礎課程を修了したばかりのマリッツとさほど年が変わらず、その研究室も継いだものではなく新設されたばかりのものだったのだ。さらに挙げるならば、設立された研究室で行う内容はすでに存在する研究室に被るものも多々あったからだ。
状況のきな臭さから警戒して即決しなかったことを、マリッツは大きく間違った判断だと思ってる訳ではない。しかし、他の人間と問題なく活動しているのを見聞きする度に、自分を拳で殴りたくなる衝動に駆られることもある。
そこまでの望外の条件でなくとも、初期には二、三分野の閲覧資料を提示していた研究室もあったのだが、そこはすでにマリッツと同期の成績優秀者が枠に収まっている。ちなみにマリッツはというと、ぎりぎりの成績で修了の印を与えられている。
研究室の室長と掛け合い、枠を広げてもらうという熱意と度胸は持っていなかった。
複数分野の資料が閲覧できる方が良いと思ったのも、一分野特化では長年その道で研究し続けている人には敵わないと思い、複数分野を俯瞰しての新しい視点で何かを見つけられないかとぼんやり思ったのだ。
マリッツはふと考える。一分野提示の研究室で複数分野の提示の許可が下りるまで成果を上げられるか。研究室に属さず独力で閲覧許可をもぎ取るか。
(……どっちも無理そう。と、言うより後者は論外だ。そもそもなんとなく実家に戻りたくないからなんて、半端過ぎる動機が元々なんだし、そんな姿勢で研究に関わっていたら足を引っ張りかねない。本当は……実家に戻った方が良いのか)
実家の商家は優秀な兄弟が家業を継ぐべく父と共に方々を廻り、色々な勉強をしている。もちろんマリッツも途中まで参加していたが、その方面はからきし駄目だった。縁があって学園で魔術の基礎課程を学ばせてもらったが、迷いなくその道を選べるほどの結果は得られなかった。
実家に帰っても、マリッツに家業については手伝えることが何一つ無い。途方に暮れてマリッツはその場に立ち尽くしていた。
そんなマリッツの横合いから声を掛けられる。
「やあ。君はどこかの研究室に属しているかい?」
マリッツが目を向けると、金色の髪をぞんざいに背の中ほどまで伸ばしている女性が立っていた。気安そうな緑の目がマリッツを見つめている。
「人員探しですか」
ぽつりとマリッツがこぼすと、女性が頷く。
「そうそう。設備備えた研究室持とうとしたら人員が最低一人は居ないといけないらしくてな」
前はそんなことなかったんだけど、と女性はぼやいた。
研究室設立に関する規定となると、そこそこに根幹からの改定だ。マリッツが学園で学んでいる間に目を通した十数年ほどの学園史にそこまでの規模の規定改定はなかった気がした。
外見では二十代あたりに見えるが、魔術師であるなら何らかの理由でズレがあるのだろうとマリッツは推測する。以前に声を掛けてきた室長もそうであったなら、安心してその研究室に所属したのに、と意味のないことを考えた。
ぼんやりと落ち込んだ気分を引きずりながら、マリッツは女性に対して尋ねた。
「研究室の閲覧資料って何分野ありますか」
そんな問いを口にしてから、マリッツはしまったと慌てた。重要視しているのは閲覧資料であって、相手の研究内容に興味が無いのが丸分かりだ。マリッツはそっと女性の様子を窺うが、当人はまるで気にしていないように問いの答えを考え込んでいる。
「えーとなあ。いや、一応他の連中がどの程度開示してるか聞いておくか。なァ、一番多い奴はどれ位だ?」
口にしかけていた答えを飲み込み、女性はマリッツに訊いた。マリッツはそれに正直に答える。
「自分が知ってる範囲だと、五分野の基本と応用の資料でした」
「ん? その程度でいいのか?」
マリッツの答えに女性は片方の眉を跳ね上げる。
「あー、多すぎても間違って覚えることもあるから基礎的な部分に絞ってあるのか。なるほど」
だが、すぐに自分なりの仮説を立てたようで、女性はそれを口に出しつつ納得していた。うん、と一つ頷くと女性はマリッツに顔を向け直した。
「じゃあ、その位で」
軽い口調で望外の条件が提示される。思わぬ展開にマリッツは茫然とする。しん、と沈黙が部屋の中に降りた。
「……他に良い所があるんなら、別の奴を探すけど」
無反応なマリッツに女性はそんなことを言った。
「いえ、ぜひお願いします!」
「やったぜ」
慌ててマリッツが引き止めると女性は軽く微笑んだ。
「そういやまだ名前を聞いてなかったな」
なんとか所属する研究室が決まり、実家に戻らない理由が出来てほっとするマリッツに女性が訊いた。マリッツは改めて姿勢を正し、口を開く。
「マリッツと言います」
魔術師は識別のための呼び名だけを求める人間も居るので、訊かれた際に家名まで求められていない場合は、名前のみを告げた方が面倒がられない。マリッツもそれに倣って名前のみを告げた。
「私はダフネだ」
マリッツの返答を受けて、女性も同じく名前のみを口にした。その名前に聞き覚えがあり、マリッツの思考が一瞬止まる。
「ええと……『彩光』の?」
「ああ、それ」
記憶をたぐり、浮かんできた二つ名をマリッツが提示すると、女性はぞんざいにそれを肯定した。
二つ名とは功績における勲章のようなものだ。『新しい』魔術を複数作り出すことや、魔術体系に寄与する重大な論文を出すなど、いくらかの取り決められた功績を挙げなければ与えられることはないため、研究室の室長でも多くは居ない。
「やっぱ別の所にするか?」
またも空いた間にマリッツが萎縮したと見たのか、ダフネがそんなことを言った。
「いいえ。お願いします」
マリッツはまっすぐにダフネの目を見据えて答えた。それを受け、ダフネはにかりと豪快に口端を釣り上げた笑みを浮かべると、「よろしく」と言った。
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