Act.16 屈辱(アンナ)

「……ぐっ!?」


 再び眩い閃光が爆ぜる。

 膝をついたのはアンナだった。

 完全に追い詰めたと思った一瞬の気の緩みで生まれたスキをミス・ジェイドは逃さなかった。丹田のあたりに正確かつ強力な打撃をもらったアンナは、全身が痺れるような感覚と共に魔法が発動できなくなった。そればかりではなく、力も抜けて立っていることすらままならなくなった。


(このわたくしを、魔法も使わずにこんなに容易く……)


 アンナはミス・ジェイドの強さをまざまざと見せつけられ、戦意を喪失した。


「……まだやりますか?」

「いいえ、参りましたわ……」


 アンナが答えると、強襲科Aクラスの面々はざわざわとし始める。皆、実際にミス・ジェイドが戦闘をしているところを初めて目撃したので、改めてその強さを見て少なからず驚いているようでもある。


「──しかし、危ないところでした」


 ミス・ジェイドは腕にはめていたグローブのようなものを外してアンナの前に投げる。それは、真っ黒に焼け焦げており、見る影もなくなっていた。再びクラスの面々がザワつく。


「魔力の流れを絶たれながらも、咄嗟とっさに反撃できるのは冷静さを保てている証拠です。もし、アンナさんの雷の威力があと少し強ければ、私も無傷では済まなかったでしょう」

「……」

「化け物ですかあなたは」

「それは褒め言葉ですか?」

「ええ、褒めているつもりです。あなたのことを過小評価していました」

「わたくしこそ、教官を試すような真似をしてしまい申し訳ありませんでしたわ」


「誰かアンナさんを医務室へ。──少々強めに打ってしまいました。魔法が使えるようになるにはしばらく時間がかかるでしょう」


 ミス・ジェイドの言葉に、すぐさまかなでが名乗り出て、そのままアンナに肩を貸して医務室まで連れていく。

 その途中の廊下で、かなではアンナに声をかけた。


「……アンナ大丈夫?」

「ええ、なんとか。でもミス・ジェイドの打撃があと少し強かったら、皆さんの前で大失態を犯すところでしたわ」

「……」


 どんな大失態なのか、かなでは詳しく聞かないことにした。


「もう、かなたちが教官に敵わないのは当たり前なんだから、もう無茶しないでよね」

「はい。でもおかげで色々分かったこともありますわ」


「……?」

「ミス・ジェイドの身のこなし、わたくしに武術を教えてくれたメイドのソフィーとそっくりでした」

「つまり……?」


 かなでが首を傾げる。


「ソフィーもミス・ジェイドと同じく、軍で武術を習ったのではないかと思いますわ」

「軍かぁ……アンナも軍を目指すの?」

「そこで、わたくしの目的が果たせるのなら」

「そういえば聞いたことなかったね。アンナの目的って何? なんのために異世界からこの世界にやってきたの?」


「わたくしの目的は魔王の完全なる討伐。それと、この国の文化──特にアニメや漫画を守ることですわ」

「えっ?」

「この国には実に素晴らしいものがあります。それを絶やすことはあってはならないと思いますわ。だから、わたくしは戦っているのです。……極めて個人的な理由ですわ」

「そのまま異世界にいれば平和に暮らせてたかもしれないのに。アンナって変だね」

「それ、ソフィーにも言われましたわ」


 医務室で治療を受けるアンナを置いて、かなでは授業に戻ってしまった。


(まだまだ、強くならなければ魔王を倒すなんて夢のまた夢……)


 アンナは寝台に横になって医務室の天井を眺める。ミス・ジェイドに殴られたお腹がじんじんと痛む。

 彼女は焦りを覚えていた。確かに、アンナは征華の中でもトップ30に入り、同学年では1、2位を争うくらいの実力がある。けれど、魔王は遥かに強大だ。あの勇者ですら完全に葬ることが出来ず、異世界の魔導士が協力しても未だに魔王の一部分である魔物ごときに苦戦を強いられているのだから。


(……もっと強くなりたい。わたくしはまだまだ弱いですわ)


 そう考えると、いてもたってもいられなくなったアンナは、応急処置が終わるや否や医務室を飛び出した。が、それと同時に授業終了のチャイムが鳴る。この後授業はないので、アンナはこのまま寮に戻ることにした。早くしないとまた新入生に捕まってしまう。アンナは自然と早歩きになり、人気の少ない場所を選んで寮まで戻ろうとした。


 だが、校舎の裏を歩いていると、背後から声をかけられた。



「3年生の、アンナ=カトリーン・フェルトマイアー先輩ですね?」

「……なんの用ですの?」


 振り返ると、1年生と思われる3人組がアンナの退路を塞ぐように立っていた。そして前方からも2人。アンナは完全に囲まれてしまった。


(……また姉妹希望の方ですの? 面倒なことになりましたわね)


「先輩に少しお話がありましてね」

「わたくし、姉妹は募集していませんと何度も言いましたけれども……」


 すると、リーダー格と思しき黒髪ロングの少女がクスリと笑った。


「あぁ、そんなことじゃないので安心してください。ちょっとした身の上話です」

「……」


 アンナは少女の口調に不穏な空気を感じて身構えた。が、少女は肩を竦める。


「あー怖い怖い。そんなに身構えなくても、ただの世間話ですよ。ねぇ?」


 少女が同意を求めると、取り巻きの少女たちもこくこくと頷いた。


「……あなたたち、何者ですの?」

「これは失礼しました。あたし、1年生の真砂まさご千秋ちあきっていいます。以後お見知り置きを」


 アンナが怪訝な表情をすると、千秋と名乗った少女はうやうやしく一礼した。その仕草は芝居がかっていて白々しくも見える。


「それで、千秋さん。わたくしに話とは?」

「一つだけ、先輩にお願いがありましてね」

「お願い……?」

「ここにいる皆はあたしを含めて全員魔物に両親や家族、大切な人を殺されてるんです。土下座して謝ってもらえますか?」


「ど、どうしてわたくしがそんなことを……」

「知ってるんですよ。アンナ先輩、異世界人で勇者の血を引いているのでしょう? ここにいる皆は全員家族や大切な人を魔物に殺されているんです。……もちろんあたしも、母と祖父母を殺されました」

「……それは」


 千秋はキッとアンナを睨みつけて反論を許さなかった。と同時にアンナを取り囲んでいた4人が詰め寄ってくる。


「アステリオンの奴らは、自分たちが撃ち漏らした魔王が他の世界で多くの犠牲者を出していることを恥じた方がいいです。しかも、その世界の人々に代わりに戦わせて、本当に無責任ですよね。……てめえの世界のことなんだからてめえらで解決しろよ! ──って思いません?」

「……でも」

「でも! だって! どうしてそうやって言い訳しようとするんですか! あたしたちがアステリオンに何か悪いことしました? してないですよねぇ? だったら犠牲になるのはアステリオンの人間だけでよくないですか!?」


 もちろん、アンナもこういったことを言われるのは当然だと思っているし、慣れている。いくら言葉を弄したところで、大切なものを失った彼女達の怒りは収まらない。彼女達はやり場のない怒りの矛先を探しているのだ。いくら、アンナがその責任を果たすために戦っていると言っても聞く耳を持ってくれないだろう。

 そして、ここで争ったとしても更なる反感を買うだけというのもわかっていた。アンナは素直に頭を下げた。


「……申し訳ありませんでした」

「聞こえませんねぇ? なんか言いましたか?」

「全部わたくしたちの責任ですわ。あなた方は何も悪くありません、なのに……」

「本当にそう思っているのなら、土下座して誠意を見せてくださいよ。こっちは大勢死んでるんですよそれくらいやってくれても罰は当たらないでしょう?」

「……っ! ゆ、許してくださいまし」


 名家の出のアンナは、土下座をするということがどのような屈辱的なものか理解していた。そして、わずかばかりのプライドがそれを拒んでいたのだ。


「だーかーらー、誠意が足りないって言ってんの! 謝り方が分からないなら教えてあげましょうか? 地面に手と頭つけて『申し訳ありませんでした』ってちゃんと謝ってください」

「謝れ」

「早くしろ」


 周りの4人も責めたててくる。アンナはぎゅっと下唇を噛み締めた。


(これ以上拒否しては実力行使に出られるかもしれません。この人数相手に怪我をさせずに無力化するというのはなかなか難しいですわ。……背に腹はかえられませんか)


 アンナは悔しさを顔に滲ませながらも、ゆっくりと膝を折り土下座をする。


「……も、申し訳ありませんでした」

「はぁ? 聞こえませんねぇ、もう1回!」

「申し訳ありませんでしたっ!」

「──謝っても失われた命は戻ってこねーんだよ!」


 空気が動き、脇腹に鈍い衝撃が加えられる。アンナは、自分が蹴られたのだと察知するまで少し時間がかかった。


「うぅっ……!」


「なにが強襲科3年生のエリートだ気色悪い!」

「これは殺された弟の分! これは父さんの分!」

「地獄の底で後悔しろ汚らわしい異世界人め!」


 5人は散々罵声を浴びせながらアンナをひたすら蹴り回した。その間、アンナは身体を丸めてひたすら耐えた。反撃しようと思えばいくらでもできたが、そうすれば余計に恨みを買ってしまう。アンナには耐えることしかできなかったし、これは異世界にやってきた時から覚悟していたことだった。

 やがて、アンナがぐったりと地面に倒れ伏すとひとしきりその頭を踏みつけてから5人はアンナに唾を吐きかけて去っていった。


 意識を取り戻したアンナは身体の痛みに顔をしかめる。そして、制服のポケットから携帯端末を取り出した。

 戦闘にも耐えうる強度に改造されているガラケー型の端末は、蹴られても壊れることはなく機能していた。アンナはホッと息をつくと、両手で身体を引きずるようにして木の根元まで這っていく。そして幹に背を預けると、携帯端末で友人に連絡を取った。相手はすぐに出た。



『もしもし、アンナ? さっきかなでが探してたよ?』

「瑞希さん……、何も聞かずに助けにきてもらえませんか? 今、校舎裏にいますわ……」

『……! 今行く!』

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