第三話 楓の追憶:朱に交われば紅くなる
目を伏せ、『下関条約戦争』を思い出す。
その日、楓は桜屋敷としてではなく、六花泉という名で出陣した。そして戦争が激しくなる少し前に一人、任された区域から離れた。
暗殺部二番隊の担当する山口区へ馬で走る。
元暗殺部隊七番隊長だった楓は暗殺部隊では少し顔が知られていた。そのため、芹沢の前に現れた時、楓はすぐに認知されることができた。
「誰の許可を得て俺の視界に入ってる?」
楓に気付いた芹沢は顔をしかめた。まだ暗殺部二番隊が『四国・中国隊』に出くわす前だった。
「わたしかて、あなたの汚い眼ん中入りとうない」
楓は微笑むと、芹沢をすっと綺麗な目で睨んだ。
「わたしはこのどさくさに紛れてある方を殺そう思っとったんや」
「奇遇だな、俺もだ。」
芹沢は純大阪国民で、昔から京都区民を嫌っていた。楓が前暗殺部七番隊長を殺して隊長になった時も芹沢は楓のことを酷く嫌った。
大阪国から京都区民を排除しようと考えていた芹沢は、楓のことも例外ではなかった。
「気が合いますね。」
「やめろ、反吐がでる。」
「ひどいですね」
楓は感情の読めない微笑みをする。
「すれ違わなくてよかったですね、お互い。」
鋭い楓の目。芹沢は知らない、楓の過去を。
「お前のそのへらへらした顔、鎌、なによりそのしゃべり方がいっちばん気に入らん。」
芹沢は知らない、楓が芹沢を殺すためだけに何年も計画を立てていたことを。
芹沢は知らない、楓の憎しみを。
「聞くだけで反吐がでる。」
大阪城ですれ違うたびに、楓は鎌を握ろうとする手を抑えた。憎しみを抑えた。
薄笑いを芹沢に向ける楓。
「あんさんと戦うの楽しみにしてました。」
ずっと、この時を待ってた。兄の柊が芹沢に殺されてから、ずっと。
「ですが、なんやお友達ようけいらっしゃいますな。」
芹沢は二番隊員の部下を連れている。
「お前と違って信頼があついからな。」
「弱い方はようけ群れはる。」
楓はまた薄笑いを浮かべる。その右手にはすでに大鎌が握られている。
「……いいだろう、お前たち絶対手ぇだすなや! 俺一人で充分や。」
「……おおきに。」
大剣と大鎌が交わり、曇り空の下、雷を思わせるような激しい交戦。
互角の戦いだった。少し楓が圧した時、楓の右肩が二番隊員に撃たれた。
瞬時に避けたものの、かすった右肩は流血し、痛みは右腕をしびらせた。
「……うかつやった」
「は、これでお前も勝ち目はねぇな。」
「なんや、結局お友達はんに手伝ってもらっとるんやな。」
「うるせえ。」
楓が一瞬油断した瞬間、芹沢の大剣が楓の右肩に直撃した。
「くっ」
楓の背中まで走る衝撃。腕がとれそうなほどの深い傷を負った。
楓が右腰につけている中型の鎌と大鎌をつなげ、鎖鎌に変形させる。
「わたしの邪魔ばかりしはる。」
その眼に芹沢は体が震えた。
こんな暗い眼は見たことがなかった。暗く、憎しみを込め、飢えた獣のような眼は。
「覚えてまへんよね、わたしを侮辱したこと。」
左手に持った大鎌を振りかざし、不規則に動く中鎌で第二の攻撃を、そしてそれを避けた瞬間に再び大鎌を。
激しく、目に見えないほどの速さで攻撃を繰り出しながら楓は芹沢を本気で殺しにかかった。
芹沢の目にすらとらえることは困難だった。
「覚えてませんよね、帝様を侮辱したこと。」
「うがっ」
芹沢の右腕をおとす。
「覚えてませんよね――」
芹沢が反撃で楓の右肩をまたも攻撃する。楓はわざと真正面から攻撃を受けた。芹沢を逃さないために。右腕はもう動かない。
「わたしの兄上を殺したこと。」
公開処刑を行った者、全てを消す。芹沢はその張本人。
芹沢の攻撃と同時に、大鎌が芹沢の体を狙う。そして投げられていた中鎌が、遠心力を伴って戻ってくる。反対側の芹沢の体を狙って。挟まれた芹沢は、最期にこう呟いた。
「大阪は悪じゃねえ。」
ばたっ
目の前で倒れた男。過去を生きた男。
芹沢には芹沢の過去があり、憎しみがあり、復讐があった。黒服の現れた後の『関西戦争』、『大京戦争』。
時代を生きる者には、それぞれの歴史があり、終わりがある。
楓はただ血まみれでその男を見下ろす。
「もっと……楽しめる思っていました。」
静寂。ずっと殺そうと思っていた男。
「兄上は……こんな弱い男に殺された……。」
あっさり死んだ男。動かない右腕なんてどうでもよかった。
楓はただその男を見つめた。一〇歳の時からずっと復讐を糧に生きてきた楓。この男を殺すことを考えて生きてきた楓。
「兄上、仇は取りましたよ、あと一人です。」
闇しか知らない楓。柊と、帝しかない楓。胸に開いた孤独という名の空洞を埋める者はない。胸元をぐっと握り、楓は血だらけになった顔を上げた。
「あと、一人。」
京都区民の迫害が強まると予想し、もとから京都区民を戦場から逃れさせる『京都区民一掃』の噂を流していた。だからあとは計画通り、暴れるだけだ。
襲い掛かる二番隊員をこともなく殺し、その場に火を放った。
芹沢の亡骸を引きずりながら、あまりにもあっさりと終わってしまった芹沢に、楓は悲しみさえ覚えた。
もし緋毀を倒した時、あまりに簡単に終わってしまうのではないかと言う考えが浮かんだ。
七年間の苦労が無駄になってしまうのではないのかと不安になった。
もっと早く殺せたのではないかと、努力が無駄になるのではないのかと思うと怖かった。
楓は、ゆっくりと眼をふせ、そして、約束の場所へ向かった。
「月桂樹さん、これで、わたしは名古屋の名隊に入れますね?」
「ああ、いらっしゃい、六花泉ーーいや、桜屋敷楓くん」
そこで、日向に出会った。
決戦の前日。二月二九日。
楓は、 手元にある文をながめた。
「明日、あのお方とお会いできる……。」
背もたれに体を預けながら、楓はその銀色に光る長いまつげを伏せた。
(これからは、この文を焼き消さなくていい。)
上質な紙に書かれた美しい字を、楓は愛でるように見つめた。
文を額にあて、目をつぶった。
「全ては……あなた様のために。」
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