第二話 楓の追憶:十日の菊  

 



楓は、また夢を見る。

夢は、楓の過去を、沼の底を探るように見せてくる。


――帝の影武者だった兄が公開処刑され、帝の腕となり脚となり、眼となった楓は身分を隠し、疎開児童として苦難の生活を送った。

比叡山延暦寺という、あまり大阪国の監視が強くなかった地区に疎開した楓。


そこでは、いやどこの疎開先でも、弱い者はすぐに群れたがり、強いのだと勘違いする。

 戦学へ行かないと働くことができないため、疎開児童所の九割が戦学に通った。

残りはいじめが怖い者。病弱な者。そして九条も楓も通わなかった。

各地の戦学では、大阪国の者は頭が悪くても上位。それ以外の区出身の者は実力で決まった。しかし、京都は実力あっても下位。

京都区民へのいじめ、差別、迫害は目も当てられない程酷かった。

楓は通わず、一人で勉強していた。始めから戦学で学ぶようなことは全て理解しており、新しい戦術を本で学ぶくらいだった。

 寺にある本を全て読んでしまった楓は、定期的に会う者から名古屋の本を借りて読んで学んだ。

いろんな本を読んで学んだ。借りられる図書館の本も全て。そして一人で訓練した。

そしていつも、大鎌を抱きかかえていた。

(汚い、汚い、汚い。)

京都御所で帝と共に、世界で最も格式高い場所で生活していた楓には、外の暮らしは汚かった。

新月の日だけ、息を吸えた。

毎月の新月の日だけ、伏見稲荷の仕掛け鳥居の中でのみ呼吸ができた。

真夜中、延暦寺から抜け出して一人で向かった伏見稲荷大明神。

何千という鳥居の並ぶ不思議な神社。その三〇〇一番目の鳥居の裏、軸の部分に菊の模様がある。

 その目印にそっと指を添わせる。

軽く押すと、カチッと音がして、人が一人入れる穴があいた。

そこは武器庫であり、秘密の会議室だ。

新月の時だけ、秘密を知る家系の老が現れて、帝からの文をもらっていた。

その瞬間が一番生きていた。一ヶ月に一度のご褒美。

その場で次の行動を確認し、老とともに活動報告をし合った。

そして下された、『白服』の隊員を集めさせる命令。

楓の一三歳の時だった。

どこの国に行き、交渉を進めるか。幼かったが、楓には力と頭、そして信念があった。

楓はそのまま少しの間、延暦寺で過ごすことにした。

そこで少し仲の良い友人ができた。縁代という名の少年だった。その時の楓は友というものに少しだけ憧れを持っていた。

「君はずっと月を見ているよね。」

ある時縁代が楓に言った。

 縁代は戦学に通っているが、人間関係をうまく交わしていた。楓は頷いた。新月が待ち遠しかった。

「月は嫌いです」

「なんで?」

「なんでも見透かしてはる」

月を眺めながら言う楓。

「新月が好きです」

  隣に座る縁代。

「嫌な世界だよな」

縁代はよく愚痴る。両親と別れ、妹と二人でここに来たらしい。以前はよく妹の話をしていたが、最近は全く話さなくなった。

「楓はまるでお公家さんのようやな、所作が綺麗や」

橙の色をした、明るい髪の少年。丸い目が印象的な縁代はよく楓を公家だと言った。

 兄が死んでから、笑顔ができなくなっていた楓。縁代といると少し笑えるようになってきた。

 楓はなるべく人と関わることを避けていた。

 正体がばれたら殺さなくてはならない。私情をはさむことは許されない。

それでも縁代は気さくな人だった。群れるというよりは全員と仲良くなる人。

人と上手く付き合うのはこれから必要になると思い、楓は真似てみた。縁代のいつも楽しそうな笑顔。楓もなんとか笑えるように努力した。

 無表情の多い楓には辛かったが、これからのために、いつも笑った。

楓は縁代とよくいるようになった。楓の頭と身体能力、優美さに縁代はいつも気をとめていた。

ある日、戦学から帰ってきた縁代は真っ黒な眼をしていた。

「大丈夫ですか?」

縁代に教えてもらった笑い方で、とりあえず歯を見せて口をにっと開いた。

その顔に、縁代は悲しそうに笑った。初めて見る顔だった。

次の新月の夜。

楓はいつも通り四時間ほど馬を走らせて山を下った。

伏見稲荷につく。闇の中、山を登って三〇〇一番目の鳥居まで走った。

しかし今日はいつもと違った。寄り道をする。少し開けた場所。楓はそこで止まった。

途中まで気づかなかった。ずっと後ろをついてきた、もう一つの足音が止まる。

黒い上着を着た、帽子をかぶった男。

「……誰ですか」

楓の殺気のはらんだ声に、男は答えなかった。長い斧をかまえている。

何も言わず、襲いかかる男に、楓は交戦した。

いとも簡単に勝てた。

「やめて――」

ガッ

楓は男の腹部に鎌をあてた。紅いものが闇の中でもわかった。返り血が顔に、身体にへばりつく。

倒れた男の帽子をはずし、そこで楓は固まった。

「……はは、お前はやっぱ強いわ、楓」

縁代だった。

「な……んで」

「お前をつけてたんだよ、お前は庶民にしては綺麗すぎた」

かすれる声で言う。腹部からの血は地面に溢れ流れる。

「なんで……」

「大阪から脅迫されてたんだ、妹が、誘拐されて……唯一の、家族の……」

もうほとんど意識はなかった。薄く開く眼に、楓は自分の顔を移すように覆いかぶさった。

「縁代」

「楓、生きろよ」

楓は笑った。

縁代に教えてもらった笑顔。眼を細め、口角を上げて、楓は笑った。

満足そうに眼を閉じた縁代。

縁代は死んだ。

大鎌を構え、月明かりのない山の中、楓は初めて人を殺めた。


「誰も信用するな、全てが敵だと思え」

 老が現れて、そう言った。

その時楓は、心を消した。

縁代の妹はその後行方不明で、街に捨てられたという噂を後に聞いた。

「誰も信用するな」

その日以来、楓は疎開児童所に現れることはなかった。


そして楓は帝の力を借りて全国へ赴く。

他の五撰家とも交渉し、東北へと拠点を向ける。独特の風土と大阪から離れた地。情報技術の発展していない土地。そして、憲法の支配から離れた北海道に目をつけた。

北海道に進出し、その戦略術と開拓計画に北海道の北部を一日で占領した。そして祿に出会い、白服として共に生きることを決めた。

北海道の開拓を機に、学んだ知識をいかして、各地で信用を獲得。

楓の指示で京都民はどんどん全国へ。

皆、楓の正体は誰も知らないが、帝の直属の部下であることは知っていた。

創設者を知らないまま、人々は動いた。それを五撰家が陰で支えた。

楓の的確な指示に皆、信用して動く。


そして『大京戦争』が終わって四年が経った一八九二年、楓、一四歳。

大阪では凰煌緋毀が総帥となり、前総帥の色濃い迫害の種族主義から、実力主義に転換された。

それは戦学にも影響が及んだ。才能がある者がどんどん排出されるようになり、京都民にもチャンスが訪れた。楓はその風潮を見て、二年ぶりに大阪国に戻った。

戸籍登録では低所得者層の住宅に一人暮らしと記した。

楓は実践と信頼を積むため毎日、大阪国で戦場派遣の仕事をした。そこでの成績は目覚ましいものがあったが、大隊に入ることすらできなかった。

楓はどうにかして、大阪の中心の極秘情報に触れられるほどの地位が必要だった。それは『白服』のため、帝のため。その考えは老たちも同じようだった。

そして、【あの任務】が楓に下された。

楓は東北で帝の護衛をしていた九条家という、老が京都に戻ってきたことを知り、一人で会いに行った。

「私を売りなさい。」

「九条殿……」

  任務は九条家の老を犠牲にしてでも大隊に就くことだった。

「私はどうせもう年だ。帝様を頼んだ。」

  楓は泣くのを必死で我慢した。

「全てを背負え。そして、人間であることをやめろ。」

「……はい。」

その日、楓は人間であることをやめた。


その日、楓は近衛家の老に願い入れた。背中の六つの菊の周りに、柊を描いてもらうことを。

「帝様のものであるこの体に、柊を記すことをお許し下さい。」

帝はただ一度頷いた。

六つの菊のもとに、美しい柊が咲いた。


「緋毀様、お話がございます。その代わりとして、お願いがございます。暗殺部隊への入隊を希望いたします。」

楓は九条家の老を売った。

二週間後、九条家の老は大阪城の牢獄で拷問により亡くなった。七五歳だった。

その情報は一瞬で京都区民の間に流れた。

 冷徹鬼人裏切者の六花泉。その肩書を背負ったまま、楓は仕事を続けた。

その冷徹さに緋毀が眼を止め、楓を暗殺部一六番隊員に採用した。最年少にして五人目の京都区民だった。

五撰家内でも九条家の老の死は酷く混乱を招いた。だが、事情を知る四人の老が影で支えた。

楓が任務によって九条家の老を売ったことは全て秘密。

 六花泉一人の裏切りによって引き起こされた事件。一般の京都区民は九条家の老が生きていたことすら知らない。

 しかし全京都区民の連帯意識が強まり、より大阪国への憎悪が一つにまとまるきっかけになった。

ほんの少しの情報の洩れも許されない世界。

 楓はただ一人、孤独な鬼として大阪国で戦った。世界に恨まれながら、帝のためだけに。

四人の生き残った老以外は楓の正体を知らない。楓は名前を変え続け、生き続けた。

しかし情報を受け取る五撰家の末裔、近衛たちだけは楓と常に連絡を取り合っていた。楓の正体を知らないまま。

楓は大隊で手配される家で一人生活を送った。大隊の中は皆敵。楓の座を狙っていつも隙を伺っている。そして京都区民からも命を狙われる毎日。

仲間はいない、つくらない。誰も信用しない。鬼と呼ばれ、人間をやめた楓は一人戦う。常に死者のそばに立つ者。

大隊として働く中でも白服の創設者として裏で活動をこなす。

そして各国との小さな戦争で、楓は大きな手柄をとった。


大阪国の隊長を殺したら大事件。しかし京都区民の隊長は殺してもいい。

そんな風潮があった。唯一京都区民で隊長になった暗殺部隊七番隊長の御厨慎二。

楓はやってのけた。

月桂隊長は、楓を大隊に入れるよう手伝ってくれた人でもあった。

楓はただ帝の、柊のためだけに生きた。

大隊暗殺部七番隊長就任。任務はもうすぐ終わる。

「かんにん」

楓には感情はなかった。京都区民からの非難と暴言、裏切り者として暗殺を何度もされかけた。大阪国からは諜報員と疑われ、常に向けられる疑念の視線。

それでも楓は笑っていた。

(大丈夫……兄上がいる。)

暗い部屋の中で一人、大鎌をぎゅっと握った。


暗殺部でも内密な情報に関われるようになった。ちゃくちゃくと実力を伸ばし、初めての隊長会に出席することになった。


  一際自分を睨む男。

(ああ、あいつが暗殺部隊二番隊隊長か)

目が合うと、ニッコリ笑う。虫けらを見るような目で返された。

(……気が合いわないな。)

同じ空間に敵を討つべき二人がいる。楓は鎌に伸ばしそうになる腕を必死で抑えた。

(まだだめだ。ここで暴れたらいままでの苦労がなくなる。)

暗殺部隊七番隊長になると、様々な場所に侵入ことができた。情報部の機械管理室。そこで情報を流す方法や貴重な資料、それらを白服の情報部に繋げるなど、裏工作をし続けた。

そして楓が一番多く侵入したのが、地下にある資料室。そこには過去に起きた出来事の真実が全て書かれていた。

帝殺しの記事を見つめ、楓は震える肩を抑えようともしなかった。

兄の殺される写真。焼かれる両親や幹部たち。

「もうすぐや、兄上。」

資料を閉じようとした時だった。肘が最新の資料棚にあたり、真新しい資料が床に広がった。その資料の文字を呼んだ時、楓は決意した。

『下関条約戦争』四国・中国州襲撃計画。

(数か月後、ここで、芹沢を倒そう……。)


その後、緋毀により、名古屋の偵察の命令を受けた楓は、より計画を練り、芹沢を殺し、名古屋にやってきた。

 そして、月桂隊長の元、より確実に復讐をするために、白菊軍の準備をしながら計画を進めた。

そこで楓は日向と出会った。――


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