第一話 白菊軍の六花泉楓の追憶:会稽の恥

未明 第一号軍艦

を去り、本拠地東北から、大阪に向かう軍艦の中で、楓は眠っていた。

浅く、そして長い眠り。楓は夢を見ていた。


――楓は京都御所に入る。

気温が一気に下がる。

己の着ている純白の衣がこすれる音しかしない。

神聖な空気。

この世の全てを統治する者の住む場所。他と隔離された神聖な場所。


六花泉家は先祖代々、帝の補佐護衛を生業としている。

生まれてから死ぬまで、帝のためだけに生きる。

京都御所と呼ばれる帝の住む敷地で育ち、最高の教育を学び、下等な市民が見ることの許されない帝の姿を当たり前のように見て育った。

帝を守るためだけに生きる。それが楓の全てだった。


いつものように午前の勉強が終わり、一五歳の兄、柊と戦闘訓練をしていたとき、柊が両親に呼ばれた。一〇歳の楓は一人庭で訓練を続けた。

長く続く『大京戦争』が、三年目に突入した。

帝の両親は病で亡くなったため、この世には今現在の一人の帝しかおられない。

(あの方が世界を支えている。)

帝はその位を譲り受けた時から、神の力を授かる。

(帝様は憂いていらっしゃる。もしかしたらもうすぐ兄上やわても戦争に行くことになるんやろうか。)

「でもわては帝様の護衛が本職やし……でも仲間は次々と行っとる。」

独り言が癖の楓は、つい考えていることが口から出てしまう。

鎌を握る手を止め、綺麗に晴れた空をぼーっと見上げる。

(わてはまだ戦争を知らない。)

たくさんの方が亡くなるということしか知らない、残酷な話だ。それでも京都区民は圧勝しているのだと聞いた。

(帝様のいる区は強い。強くなくてはいけないんや。)

戻ってきた柊はいつも通りの表情だった。安堵を覚えた楓。

(兄上が戦場に行くことになるわけないのに、わては阿呆やな。)

不安が一掃され、ほっとして訓練を続ける。

しかしなかなか訓練に入ろうとしない柊を、楓は口をとがらせて振り向いた。

「兄上、おサボりは――」

柊の悲しそうな微笑みに、楓は口を閉じた。

「なあ、楓。」

楓は兄のその表情が嫌いだった。決まって悪いことを言い出すときの表情だからだ。楓は鎌を回す手を止めた。

「ここ京都御所におっては、分からなかったかもしれないが、京都はいま危ないんや。私は知っとった。大阪の勢いが凄まじい。もう戦争を終わらせようと、躍起になっとるんや……既に京都区民の半分以上の勢力がやられた。」

楓は愕然とした。この京都御所は帝の住処。常に平穏だった。

「半分? 親衛隊のお方も、治安維持隊のお方々もですか?」

鎌を持つ手が震えた。

「で、でも、世間では優勢と――」

「士気を上げるためや。」

「じゃ、じゃあ嘘の情報を流してたってこと?」

柊は何も答えず、楓の頭をくしゃりと混ぜる。自区への誇りと希望が同時に崩れた気がした。

「兵が足りんのやと。やから――」

「わ、わたしがいく!」

柊は驚いて、そして笑った。

「ばーか、一〇歳の可愛い戦士を戦場に送る者がいるか」

ぽんと楓の頭に手を置いた。

「だって、兄上は帝様を守らないと! 一番強いんだから! 大阪なんて外道なやつらと戦う必要はないやないか!」

「落ち着きなはれ。誰も私が行くなどと言ってないだろう?」

柊の白い制服の胸についている家紋が目に入る。楓の制服にもついている六つの菊の花の家紋。

帝家と生死から六道を常に共に過ごすという意味でつけられた家紋。帝家が存在する一六〇〇年以上前の時から、戸籍にも歴史にも名を残さず、隠れて存在してきた六花泉家。

生まれてから死ぬまで、一生、帝と共に生きる存在。

「そ、そうでした、すみません。」

謝りながら落ち着く楓。だがその気持ちも柊の微笑みで全て消えた。

「かんにんな、楓。」

「兄上?」

その頃はまだ良く分かっていなかった。だが柊の謝罪は、簡単に楓に『死』を連想させた。

柊は特別な人間だった。誰にも代わることのできない仕事をこなす人間。

「もうじき、時は来てまう。」

柊の優しい微笑み。

楓の頭には、戦争と死は切り離せないものだった。

「兄上……。」

「戦士が涙を見せるもんやないよ。」

気づいたら瞳にたくさんの涙がたまっていた。くしゃっと髪をかきまぜる柊。

「行かないことは、できないんですか?」

「かんにんなぁ、楓。」

困ったような笑い方。

縁側に座って背の低い楓と向き合う。

「兄上! 一緒に北の雪を見ると約束したじゃないですか!」

叫ぶように声を上げる楓。

「かんにんなぁ。」

楓の両肩に手を置き、首をだらんと下げた。

「兄上……。」

か細い声。鳥の声も風の音も全てが無になった。


その一週間後、あまりにも早く時は来てしまった。

その日、京都御所は真っ赤に染まった。

京都が負けた。

大阪軍が京都御所まで侵入し、京都の主、そしてこの世の神――帝を襲った。


「楓! 帝様を! いそげ!」

京都御所の中を狂ったように逃げ惑う者。重鎮たちが帝を必死に探し回る。

しかし火をつけた大量の大阪軍も、帝を捉えようと武器を持って探しまわり、近くにいる者をなりふり構わず切り裂いた。

まるで地獄絵を再現したようだ。

六花泉家に伝わる中型の鎌を握りしめ、楓は顔を隠すように帽子を深くかぶった柊の後を追いかけるのがやっとだった。

「帝様はどこだ!」

誰の声かもわからない、悲痛な叫び。熱さに耐えきれず倒れる人々。

助けたくても、自分の力じゃどうしようもならない現状。

(逃げたくても、帝様を見つけるまでは死ぬことも許されない。)


―帝様はこの世界の神なんや。―

この世の現人神。

(神を殺すということが、なぜ大阪にはできるのか。帝様が亡くなってしまったら、この世界には滅びしか残されてはいないのではないか。)

一介の重鎮は、帝の姿を見たことなどない。

姿や特徴すら知らない。

一五歳の少年。そのイメージだけで手当たり次第に探す大人たち。


「楓、いいか、帝様の特徴は誰にも言うな、あの秘密も。」

柊が真剣な顔で言う。

いつものんびりしている柊からは想像がつかない。

楓はコクリと一度だけ頷くと、鎌をギュッと握り直した。


「絶対に見つけるぞ。これを渡す、見つけたらここを押せ。」

新しい爆物だった。防衛部の道具の一つだ。特徴的な煙を発し、それは空まで届く。

この火事の中、これなら合図をだすことができる。


「見つけたら、だ。 俺も押す。」

どちらかの煙が見えるまでは探し続ける。それは言葉にしなくても自分たちの運命として理解している。


「俺は東、楓は西を頼む!」

「はいっ!」

赤々と燃える炎は、逃亡を防ぐために入り口の南から始まった。

放火した大阪軍も死の覚悟はあるようだ。もし自分が死んでも、帝が道ずれになる。そう考えての行動だった。

(なんて、なんて外道な!)

楓は体のひとまわり大きな鎌をしっかりと握りながら、ある場所へ向かった。

(兄上、ごめんなさい。わたしには一つ秘密があるんです。)


指定された西には向かわず、東の右角、草がまだ生えている場所に、楓は向かった。

途中、何度も捕まりそうになった。楓ほど小さな少年はここには普通いない。しかし、楓は大きな鎌で全てを切り倒した。


「帝様! 帝様!」

その場所に着いた時には、もう辺りは真夏を超える灼熱の炎に包まれていた。

(帝様と二人でこっそり遊んだ場所。退屈なとき、いつも帝様をここにお連れした。わてらの秘密基地。)

そこは高い木々が林立する林のようなところだった。


「帝様! 迎えに参りました! 楓でございます、六花泉楓でございます!」

楓は全てをかけて叫んだ。もし帝が西の入り口側にいたら、もう取り返しの付かないことになる。

しかし、いくら呼んでも帝は返事をしない。

泣きそうになりながら、熱が気力すら溶かして襲い来る中、叫び続ける。

どんどんと中に進む。火はもう林の中まで及んでいる。炎の熱と走り続けた荒い呼吸で、喉が焼けるように痛かった。

そして、一番立派な木の前に来て、楓は泣き崩れた。かすれる声で、最後の力を振り絞った。


「あま……てらす様……。」

「なんぞ。」

威厳のある声が降ってきた。

全てをかけて守るために探した声が。

木の一番低い位置に、帝はいた。


「帝様!」

楓が急いで涙をふき、両手を広げ叫んだ。


「お願いします! 私を信じて来てください! ここはもうダメです!」

帝が一瞬戸惑った雰囲気をだしたが、全てを知っているのだろう。きっと楓と比べることができないほどの多くのことを。

帝が木から飛び降りた。


「敵は入り口からか。」

「左様でございます。」

帝を見つめ、頷く楓。多くの秘密を抱えた帝。

その秘密を知っているのは、六花泉家の楓と柊、その両親の橘と桜。

そして最高職につく、老僧の五名のみだ。

それ以外の者は、帝の姿も声も聞いたことがないまま、ただその存在を崇めている。

楓は火の回った林から離れ、爆物の点火部を押し、空へ投げた。闇と炎を割くような黄色の煙が空高く上がる。

すぐに柊が現れた。

その眼は何かを決意した強い光が宿っていた。帝にみすぼらしい布を渡すと、視線を交わし、お互いに頷く。

柊は濃い煙の中、帝の前に跪き、最期の敬礼をした。


「あなた様に、今生、歿後、六道の忠誠を。」

帝は柊の肩に手を置く。


「そなたはよくやってくれた。」

柊はこうべを垂れたまま、臣下の六花泉柊として、最期の言葉を述べた。

「ありがたき、お言葉。」

煙が薄れてくる。

柊は立ち上がると、自分の大鎌を楓の小さな手に持たせた。


「あに、うえ……。」

楓の髪をくしゃりと撫でた。涙でくしゃくしゃの楓の頭を。


「楓、かんにんなぁ。」

柊は最期に微笑んだ。楓は叫びたかった。

(お願いです兄上、兄上! お願いだから、行かないでください、私の隣で生きてください、そうでないと、私は一人です。)

でもそれは叶わない。暗闇に血と同じ色に燃える炎、熱くて苦しい。でもそれ以上に胸が苦しい。


煙が晴れた。

大阪軍、京都の重鎮。生きている者が皆集まっていた。

純白の軍服を着た柊。帽子を外し、真っ直ぐ大阪軍の方へ歩み寄る。

大阪軍が柊に武器を向ける。


「鎮は帝。この国を納めし神なり。」

堂々と話す柊。

京都の者は皆その場で跪く。布を被った帝と楓も、頭を下げてその場で跪いた。

楓は血の滲むほど唇を噛み締め、握りこぶしを砂利に押し付けた。


(兄上は……全て分かってたんや、こうなることを。だからわざと人を集めやすい爆物を渡した。他の人にも知らせるため、何も言わず。わたしがそのことを知っていたら……たぶん、わたしは爆弾を投げなかった……。)


白い細かな石が、楓の涙で色を変えてゆく。


柊の仕事、それは帝の影武者だった。

柊の死は、帝の死を意味し、京都の死を意味する。

戦争を終わらすため、自らの命を受け渡す柊。

柊が何も言わずに、わざとわかりやすい煙にしたのは、帝の無事を確認してから、自分が犠牲になるためだった。

楓にそれを伝えなかったのは、楓がそれを知ったら絶対に煙を出さないのを知っていたから。


(わたしは……一生自分を許さない。)

『禁門の変』 この京都御所の放火事件は後にそう呼ばれた。


翌日、大阪城の下で緋毀と芹沢豪により公開処刑が行われた。

皇軍として働いていた者も皆ここで処刑される。

縄でくくられ、火をつけられる。楓の両親、橘と桜も共に火あぶりにされた。


そして、大阪軍に縄で縛り上げられた柊。その体には見るも無残な拷問の痕。

京都民の前で行われる処刑。楓は逸らしたくなる目を必死で抑えた。

生まれてからずっと慕い続けてきた仕事の先輩として、何でも話せる最高の友人として、そしてずっと愛してくれた兄として。

その死闘の姿を最期まで見届けなくてはいけない。

涙で溢れる瞳を精一杯開き、柊を見つめる。

柊の表情は帝そのものだった。

捕まってからずっと拷問を受けてたであろう体中の傷にもびくともせず、ただ真っ直ぐ前を見つめていた。

初めて帝を見る者どもがむせび泣く。


「帝様ああああ!」

騒ぐ者はすぐに大阪軍に殺された。楓はただ黙って見つめた。

庶民の着物を着た帝も、隣でただ柊を見つめている。


「七月一九日 九時 関西州の州都を決める戦の代償にて、この穢れた京都の血を持った過去の神を、ここに処す。」

緋毀が声を上げた。その瞬間、

ザンッ

芹沢豪が大きな剣で首を切り裂いた。

うおおおおおおおおっ

大阪軍の地響きのような歓声。


「ここに、『大阪国』を建立する。」


一八八八年 七月 一九日 『大京戦争』が終わった。


その後、帝と楓は事情を知っている、生き残った五人の『五撰家』の老と、残りの同志たちに匿われ、身を隠しながら時を待った。

また再び帝の世界を作るため、『白服』の結成の時を。


「これから妾は外に出ることも許されない。その時が来るまで。」

「……はい。」

「お前はもうただの側近ではない。」

「はい。」

「時が来るまで、お前は妾の脚となり、腕となり、眼となる。」

  楓は跪き、こうべを垂れる。


「お前は妾と共に生きる。妾のために動き、この世を再び取り戻す。」

「はい。」

「それが、妾とお前と、そして、柊の運命だ。」


「……はい。あなた様に、今生、歿後、六道の忠誠を。」

帝が手を出す。楓はその手の甲に口づけをした。


「全ては、あなた様のために。」

(私の生まれてきた意味、六花泉として生きる意味……それはこの方を、この世界の神を守るために生きることだ。)


『誰も信じるな。全てが敵だと思え。』

  初めて人を殺めた時、楓はそう習った。

 それから、誰も信じることなく生きてきた。


 なのにーー

「楓! ぼくは生きるよ! きみのとなりを歩ける友人になるよ!」

  日向と出会った。――


 楓は、ゆっくりと、目を開いて。

 部屋にある、命ほど大切な金色の簪と、そのとなりにある、銀色の柊の模様の簪を見つめ。

 そして、再び眼を閉じた。







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