第一話 楓の訪問
朝日奈医院の一室。
春の温かい日差しが窓辺の布団を照らす。
身体中に包帯を巻いた日向は布団の中から、毎日、傍らに正座をして淡々と話す楓を見ている。
『名隊』への入隊は、来週に行われる受験の合格者が決まってから配属や顔合わせが同時に行われることとなった。
「次は『
楓の説明が子守歌のように聞こえて、うとうとしはじめた時、
バシンッ
紙で頭をはたかれた。
「聞く気がないんやったら、いますぐ死ぬか?」
「誠心誠意、聞かせていただきます」
布団の中で背筋を伸ばす。
「でも、布団の中がポカポカで気持ち良いんだよ、日差しも温かいし」
「わたしは、選ぶ人間を間違えたようや。あんさんを飼う価値を見出せん」
日向は慌てて、背中にかけている大鎌を持とうとする楓を止めた。
「待って、待って、これでも、全治一か月を一週間で治してるんだから、許してよ」
「もうその時点で人間やないことに、あんさんと隣の阿呆は気づかないんか?」
日向のそばで常に看病をする司を冷たい目で見る楓。
「来週には、松葉杖使えば歩けるから、『戦学』に行くつもりなんだけど……あ、楓はいま五年制?」
六年制まである戦学は、午前に座学で国学や歴史などを学び、午後から各学制が所属する「塾(道場・医院・研究所)」に通う。
学びながら実践を積み、給料をもらうのだ。
五年制以上は座学が選択制になり、授業数も少ないためほとんど「塾」で働いている学制が多く、卒業後は、そのまま「塾」で働くことが多い。
楓は眉一つ動かさず、答える。
「わたしは戦学には行ってない」
「なんで?」
「必要ないからだ。名隊に入れば、土日も関係なく任務がある」
「勉強しなくていいの?」
「戦学で学ぶ程度の内容が頭に入っていなくては、名隊になど入れん」
「なるほど」
名隊に所属するためには頭脳も必要なのだと学んだ。
「そもそも未成年で、戦学制で名隊に入ること自体、異例なんだよ」
司が苦笑気味に話す。
十七歳が成人の愛知国で、十四歳の日向が戦学制で名隊に入るのは、史上初のことらしい。
「だから、名隊に所属する前に、お前に説明しなあかんことがたくさんあるんや」
楓はイラ立つと、「あんさん」が「お前」になって、関西州弁がきつくなるというのを、日向はこの三日で知った。
「わたしは忙しい。やのに、お前のような犬以下の動物を飼ってしまったせいで」
それから、表情はほとんど変わらないけど、意外とよく話すのにも気づいた。
口が本当に悪いことも、嫌でも気づいた。
「他の人に頼んだら? 五番隊副隊長なんでしょ? こんなところで話す時間もったいなくない?」
寝っ転がりながら、のんきに話す日向に、楓が半目になって日向の目元の菊のあざを押す。手加減がない。
「い、痛い痛い! 骨、そこ骨だから!」
布団から上体を起こして楓の手から逃れる。
「何故、わたしがわざわざお前のところに赴いて話さなあかんのか、その包帯だらけの身体に聞き。それから、わたし以外に『
氷のような声に、上体を起こした日向は、ちょっとだけうつむく。
「わたしは、お前の監視、命令、報告任務を担うことを条件に、副隊長になった。わたしの心配をするフリをするなら、空の頭に名隊での今後の任務内容を詰め込め。それから、戦学の予習もだ」
楓は手に持っている紙束をめくって眉を寄せた。
「お前の成績は悪くないが、特段いいわけでもない、つまらんな」
「成績に面白いもつまらないもないし」
いーっと歯を見せて悪態をつくと、楓はさらに紙をめくる。
「十四歳だったんか、十二歳くらいにしか見えへん、ほんまにあんさん、女子みたいやな……」
ボソッと呟く楓に、日向は身体をこわばらせる。
楓には女子だと知られたくない。名隊の色々と手続きなどが面倒くさくなりそうだから。
男性しか入隊できない名隊に入れないとなったら、女だとばれた瞬間、殺される可能性だってある。
「それに、あんさんの九歳以前の情報が一つもない、出身はどこや?」
日向に関する全情報が、いま楓の手の中にある。
「九歳より前の記憶はないんだ、蘭さん……えっと、医者には、戦争時のショックで記憶障害が起きたんだろうって、言われたけど」
楓は、五年前か……と呟いて、目を伏せると、他の紙をめくって顔を上げた。
「まあ、あんさんが不可解すぎることには変わりまへん。その黒い刀は?」
鋭い眼で、楓が日向の手の届く範囲に常に置いてある黒刀を視線で指した。
「これも、九歳のときに朝日奈道場に拾ってもらった時に持ってたものなんだ」
漆黒の鞘には菊がところせましと彫り込まれている。窓から差し込む日の光に黒が美しく輝く。
「貸し」
手を差し出した楓に、日向は黒刀を握って睨んだ。
「……楓、きみはその背中の鎖鎌を、簡単に人に触らせるの?」
楓は目を細めて紙を床に置いた。
その動作を目で追っていると、不意に楓が日向の胸ぐらをつかんだ。
あまりにも自然な動作で、日向は反応することができなかった。
「あんさん、少し勘違いしているようやから、もう一度言っておくわ」
楓の桜銀色のななめに分けられた長い前髪が同じ色の瞳に少しかかっている。
綺麗すぎる顔を至近距離で見上げる。
「あんさんの命はわたしが握っているんや。わたしが言うことは絶対で、それに従えないなら、あんさんに生きる価値も資格もない」
人間とは思えないほど冷たい声に、日向は声を出せなかった。
日向の背後に座っている司も息をのんだ。
「わたしは、死獅が、大阪国が、死ぬほど嫌いや。使えないクズもや」
ごくっとつばをのみこんで、日向は冷たい瞳を真っ直ぐに見上げる。
「ぼくは、死獅じゃないし、使えないクズでもない、きみの力になるよ」
自分の襟首を掴んでいる楓の手に両手を添える。
「だから、ぼくをちゃんと人間として扱って」
冷たい楓の手を温めるように握ると、ゆっくりと外す。
「ぼくにも、感情はあるし、生きる価値も資格もある」
外れた楓の手に、黒刀をのせる。
「きみの奴隷や犬になるつもりもない、きみと対等な友人として扱ってほしい」
楓の桜のような美しい瞳をしっかりと見つめ返して言葉を続ける。
「命令じゃなくて、お願いをしてもらえるような関係になりたい」
ニコッと笑って、楓の手の上から、黒刀を握る。
「この刀は、唯一ぼくのものなんだ。だから、あまり人に触らせたくないんだ」
黒刀の鞘に彫られた無数の菊は一つ一つが生きているかのように美しく輝いている。
「だから、いまは友人として、楓に触らせるってことで、はい」
楓に黒刀を押し付けるように渡した。
楓はしばらく口を閉ざして、日向の眼を見た後、黒刀に視線を落とした。
刀の隅々まで見て、鞘から抜いて、光に当てて角度によって色を鮮やかに変えてゆく刃を見た。
「……美しいな」
太陽の光を受けて淡く虹色に色を変える刃は、この世のものとは思えないほど美しかった。
刀を隅々まで見て、楓は鞘に収めて日向に返した。
「ここだけではわからん。後日、改めてこの刀は本部で調査する」
「ぼくの話聞いてた?」
楓は床に置いていた紙を持つとゆっくりと立ち上がる。
「名隊では、わたしがあんさんの全責任を負い、あんさんはわたしの全命令を遂行するだけ。それは、愛知国の名隊長とその隊員も同じ」
「そんな言い方!」
「名隊にどんな夢を描いているか知らんが、仲間に殺される可能性が高いことも忘れるな」
淡々と話す楓は、左耳のイヤーカフに触れた。
「わたしとあんさんの存在は、愛知国の敵や。排除はされても、歓迎はされん」
冷たい眼で自分を見下ろす楓を見上げる。
口の端を少し上げた楓の瞳はいつも以上に冷めている。
「誰も、助けてはくれへん。その中で、助けようとしてきた奴は、あんさんを殺すか利用しようとする奴だけや。甘言につられて阿呆な問題だけはしはるな」
若葉色の羽織がふわっと舞った。
きらきらして見えた羽織が、いまは前ほど魅力的に見えないのは、単純な頭だからだろうか。
「飼い主に迷惑をかけないのが、駄犬が唯一できることや、はよ治して自分の足で城に来ぃや」
そう言って扉をくぐって去った楓を見送って、日向は、ふぅーっと息を吐いた。
「……疲れた」
「大丈夫か?」
「あれだね、楓は絶対に子どもに会わせちゃいけないやつだ。子どもの夢をことごとくつぶしていくやつだ」
べーっと、楓の去った扉に舌を突き出した日向に、司はあごに手をあてて、少し考える。
「でも、あながち言っていることは間違いでもない気がする。むしろ、考えようによっては、心配して助言しているようにも聞こえる……」
「わかりずらい」
もう一度、大きく息を吐くと、日向は布団に倒れた。
「楓と友達になるには、骨より心のが先に折れそう」
ふっと、苦々しげに笑った司は、日向に布団をかける。
「ねえ司」
「ん?」
日向は布団から顔だけだして、どこか遠くを見る。
「わたし……そんな危険なのかな」
ぼく、じゃなくて、わたしと言う日向は、誰かに取り繕う存在としてではなく、「日向自身」として考えている。
司は首を横に振って、日向の寂しげな目の縁にある黒菊のあざをそっと撫でた。
「日向は、日向だよ。危険なんかじゃない。ただ、人より力があるだけだよ」
優しい声と、その指先に、日向は目を伏せた。
「その力をどう使うかだよ。日向は、愛知国を守るために使うんだろ?」
兄のように、家族のように優しく寄り添う司の言葉に、日向は救われた気がして、嬉しそうに目を細めて司を見上げた。
「そうだね、ありがとう」
笑顔の戻った日向に、司は頷いた。
「あいつや名隊が日向を必要としてなかったとしても……おれには必要なんだ」
真剣な表情で話す司に、日向はふふっと笑った。
「世界中のみんなが、司みたいに優しかったらいいのに」
日向の言葉に、司は少し目を見開いて、それから嬉しそうに日向の頭をなでた。
「そしたら、日向が足りなくなる」
冗談交じりに言う司に、日向は満足げに目を閉じて、身体を休めた。
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